母のアルバムに母がほとんど写っていない理由
実家を整理していたとき、一冊の古いアルバムが出てきた。
小さなプラスチックの角が擦り切れた緑色のバインダー形式のアルバムだ。ページをめくると、幼い頃の私や妹の写真が並んでいる。誕生日のケーキを前にした写真、運動会でゴールテープを切る瞬間、家族で行った海で波に怯えている表情など。
どれも鮮明に覚えている場面ばかりだった。だが、半分ほどめくったところで、ふと手が止まった。
母が、ほとんど写っていない。
たまに写っていても、姉の帽子をかぶり直させている横顔だったり、レジャーシートの端で重箱の蓋を開けている手元だけだったりする。カメラのレンズは常に私や姉、そして時に誇らしげにカメラを構える父に向けられていて、母はいつもその「外側」にいた。
当時の私は、それを当たり前だと思っていた。母は写真を撮る側であり、家族の時間を整える側だったからだ。
しかし、自分が歳を重ね、家庭や職場でさまざまな立場を経験するようになってから、あのアルバムの「写っていない場所」について考えるようになった。
母はあの時、カメラの向こう側で何をしていたのだろうか。
記録に残らない時間
写真に写っていない時間は、何もしていなかった時間ではない。
旅行に行く前日、家族全員の服を判別して鞄に詰め、持ち物リストを頭の中で何度も確認していた時間がある。海から上がったあと、砂だらけのタオルを洗い、子供たちの着替えを済ませ、車酔いしやすい私のために酔い止め薬を準備していた時間がある。
それらはすべて、何も問題が起きずに一日が終われば「何もなかったこと」になる時間だ。
朝、家族がそれぞれの場所へ出かけるために、靴を並べ、鍵の場所を確認し、天気を予測して傘を持たせる。体調が怪しそうな家族がいれば、夕食のメニューを消化の良いものに変更する。誰かの機嫌が傾きそうになれば、それとなく話題を変える。
こうした細かな気づかいや判断は、手帳のスケジュール帳には残らない。履歴書に書ける職歴にもならない。
社会は昔から、目に見える成果や数字で表せるものを大事にしてきた。どれだけの売上を出したか、どんな役職についたか、どんな成果を残したか。街の歴史や会社の記録に残るのは、いつもそうした「目立つ動き」だ。
一方で、事故や不機嫌が起きないように先回りして整える仕事は、うまく行けば行くほど「最初から何も問題がなかった」かのように扱われてしまう。
目に見えないから、評価もされない。評価されないから、社会の記録からも消えていく。
「当たり前」という言葉の陰で
男性である私は、これまでそうした営みを「家庭の温かさ」や「愛情」という言葉で片付けてしまっていなかっただろうか。
「家族のために時間を遣うこと」は、ときに美しく語られる。しかし、「愛情だから」という言葉で一括りにされることで、その選択の裏にあったはずの迷いや諦めざるを得なかった別の選択肢が見えなくなってしまうことがある。
例えば、子育てや介護のために仕事を一度休んだ人が、もう一度外で働こうとするとき、履歴書を見た担当者が「数年のブランクがありますね」と言うことがある。
しかし、そこにあったのは空白などではない。人間の命や日々の生活を、24時間体制で途切れさせずに回し続けるという、途方もなく密度の高い時間だったはずだ。それなのに、社会がそれを測る定規を持っていないという理由だけで、「何もしていなかった時間」と同じように扱われてしまう。
これは、特定の誰かが悪いという話ではない。
生活を支えるための細やかな仕事や時間を誰かが「当たり前にやってくれるもの」として組み込んだまま動いてきた、この社会の成り立ちそのものの問題なのだと思う。
レンズの向こう側を想像する
母の写っていない古いアルバムをめくり直す。
母がレンズの向こう側にいたのは、決して写真が嫌いだったからだけではないだろう。家族という小さな場所を壊さずに動かし続けるために、常に全体を見渡す場所に立ち続けていたからだ。
そして、その場所で行われてきた無数の判断や作業は、一瞬のシャッターを切るような華やかさとは、一番遠いところにあった。
私たちは、自分が生きてきた時間の中で、どれだけの「記録されない時間」に守られてきたのだろう。そして今もなお、目の前で静かに動いている誰かの手を、どれだけ見過ごしているのだろうか。
写真には残らなかった時間の中に、本当は何が存在していたのか。
私たちは、身近な人の人生や働きを、本当に理解していただろうか。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします!
いただいたチップは、もっと理解しやすい記事を書くための活動費に使わせていただきます!