ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドは、なぜ『攻略する順番』を消したのか考察してみた
初めて『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を起動して、始まりの台地を抜けた瞬間、びっくりした。崖の下に広がるハイラルの、その奥に禍々しい城がもう見えている。案内もない。鍵もない。矢印もない。ゲームがいきなり「あそこがラスボスです、今すぐ行ってもいいですよ」と言ってくる。
この「開始直後にラスボスが見える」って話、比喩でも誇張でもない。発売から1週間ほどで「開始直後にガノンを倒す」タイムアタックが1時間切り目前まで来て、今ではグリッチありのAny%で20分台前半まで縮んでいる。装備も揃えないまま、序盤の足でハイラル城に突っ込めてしまう。
普通のゲームは、終盤のコンテンツに序盤から突撃できないよう何かしら制限を敷く。BotWはその制限を、正面玄関ごと取り払った。しかもシリーズの看板タイトルで。なんでこんな賭けに出たのか、ちょっと考えてみたい。
「鍵と扉」でできていた、あの頃のハイラル
昔のゼルダは、基本「鍵と扉」でできていた。進める先には鍵のかかった扉があって、鍵はダンジョンのどこかに隠れている。ゲーム全体もこの構造の拡大版だった。フックショットを手に入れないと進めない場所があって、ボスも特定のアイテムを前提に組まれている。
子どもの頃、『時のオカリナ』の水の神殿で何時間も同じ部屋をぐるぐる歩いた記憶がある。今考えれば、まだ持っていない道具を使う場面に順番を間違えて迷い込んでいただけなんだけど、当時は本気で「詰んだ」と思っていた(というか、実際詰んでいた)。攻略サイトなら今は3秒で開けるところを、友達に電話して「水位、下げた?」と聞いて回っていた。
この構造自体は悪くない。むしろ精巧なパズルだし、ペース配分を作り手が完全にコントロールできる。ただし前提が一つある。プレイヤーは、作り手が敷いたレールを、決められた順番で歩く、という前提だ。
この前提はシリーズが進むほど強くなった。『スカイウォードソード』のフィなんて、次に何をすべきかまで教えてくれる。丁寧すぎて「見守られすぎている」と不満が出たのを覚えている人もいるはずだ。迷いたいのに、迷う前に答えを渡されてしまう。至れり尽くせりが、気づいたら息苦しさになっていた。
鍵を「鍵」のままにしない発明
BotWがやったのは単純だけど、実行するのはめちゃくちゃ難しい発想の転換だった。道具を「特定の扉専用のキー」として作るのをやめた。
最初に手に入る4つの能力
・マグネキャッチ
・リモコンバクダン
・ビタロック
・アイスメーカー
これらはどれも「この扉専用」じゃない。マグネキャッチは金属を動かすだけの能力で、謎解きにも移動にも戦闘にも使える。道具が「特定の答えを持つ鍵」じゃなく、「なんにでも応用できる汎用の物理法則」になっている。
道具Aは扉Aしか開けない設計だと、入手順でゲームの進行順が自動的に決まる。道具が物理法則になると、組み合わせで解ける問題の数がそのまま増える。正解は一つじゃなくなって、プレイヤーの数だけ正解がある状態になる。
正解が一つじゃなくなった瞬間、「順番」という概念自体が成立しにくくなる。順番って、A→B→Cの単一正解ルートがあって初めて意味を持つ言葉だから。BotWは答えを増やしただけじゃない。答えが複数ある世界を作ることで、「順番」という発想そのものを弱めてしまった。ここが一番デカい発明だと思う。
「バグ」を遊びに変えた開発思想
道具を汎用にしただけじゃ、まだ完全な自由には届かない。大事だったのは、プレイヤーが想定外の解き方をしたとき、それをどう扱うかだ。
青沼英二氏は、従来のゼルダでは開発者の意図と違う解法を「バグ」として扱っていた、とインタビューで語っている。BotWでは最初から複数の解法を用意したという。敵との戦いも、正面から武器で倒すだけじゃなく、岩を落としたり蜂を使ったりできる。
開発者が正解を一つ用意して、プレイヤーがそれを見つけるんじゃない。開発者が用意するのは、プレイヤーがいろいろ試せる世界と道具そのものだ。そこから生まれた解法自体を遊びとして成立させている。
この態度の行き着く先が、冒頭の「開始直後にガノンを倒せる」設計だ。攻略順を決めているのは開発じゃなく、プレイヤー自身の判断。無謀に突っ込んで返り討ちに遭うのも、慎重に武器を揃えるのも、どっちも選べる。
Switchという新型ハードが、たまたま欲しがっていた自由
デザインの話だけじゃ、この賭けの大きさは半分しか説明できない。もう一つ見逃せないのが発売のタイミングだ。BotWはSwitchのローンチタイトルである一方、もともとWii U向けにも作られていて、2017年3月3日に両ハード同時発売している。
だから「Switchだから自由度が生まれた」と単純には言えない。ただ、この自由度は2016年のE3という大舞台とやたら相性が良かった。任天堂はE3で、来場者が好きにハイラルを探索できる大規模な試遊を用意して、「決められた道を進む必要はない」と説明していた。青沼氏本人も「ルートが決まっている世界にしたくなかった」「100人いたら100人が違う遊び方をできるようにしたかった」と語っている。
自由度を見せることが、そのままプレゼンになっていた。当時すでに『スカイリム』や『ウィッチャー3』みたいな大規模オープンワールドが、家庭用機の主要ジャンルとして存在していた。任天堂がこの土俵に本格参入するなら、広いマップを作るだけじゃなく「ゼルダならではの自由」を打ち出す必要があったんだと思う。
みんな違う攻略ルートを持っている、という配信映え
攻略順が固定されているゲームは、極端に言えば誰がプレイしても似たような映像になる。BotWはここが根本的に違う。雪山に向かう人もいれば、森を抜ける人もいる。いきなり火山地帯で苦戦する人もいる。同じゲームなのに、誰のプレイを見ても違う景色、違う失敗、違う発見が映る。
「自分ならどうする」という参加感を視聴者に持たせやすいし、ネタとしても消費されやすい。実況者が序盤でいきなりガノンに突撃する企画も、BotWが「順番のなさ」を用意していなければ成立しない。攻略順を消したことは、自由度であると同時に、プレイヤーごとに違う体験を生む仕組みにもなっていた。
「順番を決めない」設計は、今のゲームづくりにも効いている
BotW以降、『エルデンリング』みたいに攻略順をプレイヤーに委ねる作品が支持を集めている。「詰まったら別の場所へ行けばいい」という逃げ道があるゲームは、難しくてもプレイヤー自身で状況を変えられる。
ただ代償もある。物語をきちんと語りたい作り手にとって、プレイヤーがどの順番でどの情報に触れるか分からない世界は、物語の作り方が難しくなる。BotWはリンクが記憶を各地で少しずつ取り戻す構成にすることで、そこを回避している。
順番を消すという判断は、自由を生むと同時に、物語をどう届けるかという宿題を作り手に突きつけた。ちょっとだけゲームプランナーをやってた身としては、この宿題、正直めちゃくちゃ厄介だと思う。順番を決めないってことは、プレイヤーが今どこにいるのかを誰も把握できないってことだから。
とはいえ自分はまだ開始直後にガノンを倒したことはない。今度やってみようとは思っているけど、多分そのうち別のゲームに気が移る。
