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【手放すこと#85】強く見せる仮面を、少しずつ外していく。

こんにちは。ピアノ講師・メンタルコーチの One Heart です。


今日は、「差取り」の日。
いつも読んでくださっているみなさん、
ほんとうにありがとうございます😊
今週も、「差を取って」いきましょう。


さて、3週目の今回は『新作の日』。
今回は、強く見せることで自分を守ってきた“仮面”と、それを少しずつ手放していくことについて書いてみたいと思います。


わたしたちは、知らないうちにいくつもの仮面を身につけています。


いつも急いでる人。
なんでも先回りして準備する人。
「大丈夫です」と言って、ひとりで抱える人。
できる人に見せようとする人。


でも最初から、その仮面をかぶりたかったわけではないと思います。


たぶん、どこかで必要だったのです。


そうしないと、迷惑をかけてしまう気がした。
そうしないと、責められてしまう気がした。
そうしないと、できない人だと思われてしまう気がした。


だから、仮面は悪者ではないんです。


けれど、その仮面を守り続けることが、
いつのまにか自分を苦しくさせていることがあります。


「いまに在ること」について語っているエックハルト・トールさんは、「手放すこと」の境地にある人は、思考に基づいてリアクションするのではなく、
「在る」意識に基づいて対応する、と語っています。


この「リアクション」と「対応」の違いは、
日常の中でも、とても大きいように感じます。


リアクションは、ほとんどの場合、自動的に起こります。


言われたから、ムッとする。
急かされたから、焦る。
否定された気がして、落ち込む。


一方で、対応には少しだけ余白があります。


「あ、いまわたしは反応しているな」
「この言葉に、こんなに揺れるのはなぜだろう?」


そうやって、自分の内側を一度みることができる。


もちろん、いつもそんなふうに落ち着いていられるわけではありません。


わたし自身も、まだまだ反応することはあります。


けれど、少しずつでも気づけるようになると、
同じできごとの中でも、自分を責め続けるだけではない道が見えてきます。


手放すことは、傷つかない人になることではないんです。


傷ついたときに、その痛みをきっかけにして、
自分が何を守ろうとしていたのかに気づいていくこと。


それが手放すことのきっかけになるのかもしれません。


✧✧✧


わたしの子どものころの話

わたし自身、この「反応の自動運転」のようなものを、長いあいだ持っていました。


「遅い」とか「要領が悪い」。
そんな言葉を、子どものころに親や周りの人から言われてきました。
(親や周りの人を責める、という話ではありませんので、誤解のないように・・・)


言った相手にとっては、何気ない言葉だったのかもしれません。
でも、受け取った側の心には、思っている以上に深く残ることがあります。


わたしはいつの間にか、
その言葉を自分の真実のように扱っていました。


早くしなきゃ、もっと要領よくしなきゃ。
人より時間がかかる自分はダメなんじゃないか。


そんなふうに、
「遅い自分」を責めるようになっていたんだと思います。


いま振り返ると、そこにはひとつの思い込みがありました。
早くできない自分には、価値がないのではないか。
要領よくできない自分は、迷惑をかけるのではないか。
ちゃんとできる人でいなければ、認めてもらえないのではないか。


こういう思い込みがあると、
わたしたちは知らないうちに、ひとつの仮面を身につけます。


わたしの場合で言えば、
“ちゃんと早くできる人”でいようとする仮面
だったのかもしれません。


でも、ほんとうのわたしは、
何でもすばやく処理できるタイプではありません。


ひとつひとつ感じ取りながら進みたい。
納得しながら進めたい。
雑に流すよりも、丁寧にみたい。
時間がかかっても、自分の中でちゃんとつながる感覚を大事にしたい。


そういう性質があります。
繊細気質だからかも、しれませんね。


以前は、それを「遅い」ととらえていました。
「要領が悪い」と責めていました。


でも、いまは少し違います。


わたしは遅いのではなく、
丁寧に進めているのかもしれない、ということに気づいたんです。


要領が悪いのではなく、
ひとつひとつを感じ取りながら進みたい人なのかもしれない、ということにも気づきました。


そうとらえ直したとき、
「早くできる人に見せなければ」という力みが、少しずつゆるんできました。


もちろん、今でも急かされれば、ざわっとすることはあります。
古い反応が、ひょっこり顔をだすこともあります。


でも、そのたびに、
「あ、いまわたしは、また“早くしなきゃ”に戻ろうとしている」
「でも、わたしは丁寧にやっているだけかもしれない」
「このペースにも、ちゃんと意味がある」
と、自分に戻れるようになってきました。


これは、わたしにとって、とても大きな変化でした。


「遅い自分」を責めるのではなく、
「丁寧に進む自分」としてとらえ直す。


そのとき、わたしは少しずつ、
“早くできる人”という仮面を外していたんだと思います。


そしてこれは、きっと「遅い」や「要領が悪い」という言葉だけに限らないと思います。


「ちゃんとしていない」
「気にしすぎ」
「そんなこともできないの?」
「ちゃんと考えてる?」
「普通はこうするよ」
「もっとしっかりしなさい」


そんな言葉を受け取って、
いつの間にか自分を責めてきた人もいるかもしれません。


そしてその言葉を受けた傷から、
知らないうちに仮面を身につけてきた人もいるかもしれませんね。


ちゃんとしている人に見せる仮面。
気にしていないふりをする仮面。
何でもわかっている人でいようとする仮面。
失敗しないように先回りする仮面。
普通にできる人を演じる仮面。
しっかり者でいようとする仮面。


でもその仮面の奥には、
「もう責められたくない」
「もうできない人だと思われたくない」
「もう傷つきたくない」
そんな小さな自分がいたのかもしれません。


そうやって、ずっと力を入れていると、
人との関係の中で、どんどん疲れていってしまいます。


本当は、相手と向き合っているようで、
自分の仮面を守ることに精一杯になっている
のかもしれません。


「手放すこと」は、何もしないことでも、傷つかないふりをすることでもないんです。


むしろ、自分が何を守ろうとしていたのかに気づくこと。


そして、そのために身につけてきた仮面を、少しずつ外していくことなんだと思います。


わたしの場合は、「遅い」や「要領が悪い」という言葉をきっかけに、
“早くできる人でいなければ”という思い込みを持っていたのかもしれません。


でも、それって、本当にわたしの真実?
それとも、傷つかないために身につけた仮面?

これが思い込みだということに気づいたとき、ほんとうの意味で変化が始まります。


✧✧✧


ここから先は、差取りマガジン『ご自愛の哲学〜“差”取りのすすめ〜』の中でお伝えしていきます。


有料パートでは、次のようなことを書いています。

  • 抵抗してしまうとき、わたしたちはどんな仮面を守っているのか

  • エゴが「ほんとうの自分」を覆い隠してしまう理由

  • 仮面を無理に剥がさず、少しずつ手放していくための視点


この記事で持ち帰れることは、
強く見せることで自分を守ってきたとしても、その仮面まで“自分そのもの”にしなくていい、ということです。


そしてもうひとつ。


わたしたちが身につけてきた仮面は、ただ否定すればいいものではなく、
かつての自分を守ってくれていたものでもある、ということです。


だからこそ、無理に剥がすのではなく、
「わたしは、何を守ろうとしていたのだろう」
と、やさしく見つめ直していく。


その先に、少しずつ手放しが起きていくのだと思います。


人との関係の中で、つい反応してしまう方。
強く見せようとして疲れてしまう方。
本当は傷ついているのに、平気なふりをしてしまう方。
誰かの言葉を、自分の真実のように握りしめてきた方。


そんな方に、ここから先を読んでいただけたらと思います。


読むことで、すぐに仮面が外れるわけではないかもしれません。


でも、「わたしは弱いから反応していたのではなく、怖かったから自分を守っていたのかもしれない」と気づけたとき、自分を見る目は少し変わります。


そしてその気づきこそが、“にせの自分”を守る力を、
“ほんとうの自分”を生きる力へ戻していく最初の一歩になる
のだと思います。


差取りマガジンはこちらから。



✧✧✧


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