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「黒い空気」についての考察。『指導者(リーダー)の不条理』を読んで。

はじめに

この記事は、菊澤研宗氏の著書『指導者(リーダー)の不条理 組織に潜む「黒い空気」の正体』で紹介されている、「黒い空気」について考察する記事である。

「空気を読む」という言い方は、多くの日本人にとってなじみのある表現だろう。その決定がよくないことだと分かっていたとしても、その状況において支配的な「空気」には抵抗できなくなってしまう。

かつて山本七平によって、こうした日本人特有の理屈の通用しない非合理な判断基準として「空気」が説明されていた。

ただし、著者によれば、現代の日本組織で起きている「空気」は性質が異なっており、それが「黒い空気」であるという。

この話が面白く、かつ自分なりにもう少し展開できそうだと感じたので、自分の解釈を交えつつ考察したい。カギとなるのは、チェスター・バーナードである。

「黒い空気」についての概説

「黒い空気」とは、“誤っているとわかっていても現状を変えるコストが高すぎるために、合理的な沈黙・追従を生み出す組織状況のこと”と整理できる。

何かしようとするときには必ずコストがかかる。限られた情報の中で損得計算に基づき最善策を取ろうとするが、その過程でしばしば「合理的に失敗」してしまう。

この「黒い空気」が生まれるのは、以下の二つの「不条理」に直面したときである。

非効率の合理性:たとえ現状が非効率であっても、より効率的な状態へと変化・変革する場合、コストが発生し、そのコストがあまりにも大きい場合、あえて非効率な現状維持を選択する方が合理的になるという不条理。

不正の合理性:たとえ現状が不正であっても、正しい状態へと変化・変革する場合、コストが発生し、そのコストがあまりにも大きい場合、あえて不正な現状を隠ぺいする方が合理的となる不条理。​

『指導者(リーダー)の不条理 組織に潜む「黒い空気」の正体』, 序章

この不条理によって、「現状を維持・隠蔽するほうが合理的」だと指導者が判断し、組織全体が「黒い空気」に包まれる。

やがて、組織内でこの黒い空気を読み合うようになり、非効率・不正を「黙って維持する」ことが最も合理的な選択肢と見なされるようになる。こうして、合理的に失敗してしまうのである。

この背景には、取引コストの存在がある。取引コストとは、人と人が交渉・説得・取引を行う際に生じる見えない摩擦コストのことを指す。

誰かを説得するにはエネルギーがいるし、対立すれば人間関係が悪化するリスクもある。こうしたコストを避け、「波風を立てない」ことが合理的だという暗黙の了解が組織に広がっていく。一度「皆がそう思っている(ように見える)」という状態になると、その決定はあたかも客観的に正しいかのように共有され、結果的に失敗しても「当時はそうするしかなかった」と責任逃れが可能になってしまう。

こうして組織全体が暗黙の了解に凝り固まり、誰も責任を取らず、非合理な決定がまかり通る——これが「黒い空気」に包まれた組織である。

「黒い空気」は組織の成立要件の歪み?

ぼくがこの概念を知った時、大学の経営学で学んだある本の内容を想起した。チェスター・バーナードの『経営者の役割』という本である。

この本の中で、組織の成立要件として、伝達(コミュニケーション)、貢献意欲、共通目的、の3つを挙げている。ざっくりというと、それぞれ次のような意味である。

・伝達(コミュニケーション):組織の構成員同士での情報や命令などを伝達する仕組み
・貢献意欲:
組織のために自分の能力を差し出そうと思う気持ち
・共通目的:
メンバーに共有され容認されている組織の存在理由や指針

「黒い空気」が蔓延した状態というのは、組織の3要素がそれぞれ歪んだ状態のことを指すのではないか?というのが、ぼくの考えである。

まず共通目的について。本来あるべき目的が形骸化し、「顧客に価値提供する」「社会に貢献する」といった建前よりも、「現状維持」や「上層部のメンツを守る」といった暗黙の目的が優先されているかもしれない。そのような状況では、組織全体で共有される公式の目的と、実際の行動を導く目的とが乖離している。

次に貢献意欲について。「黒い空気」の下でも、メンバーは一見して高い忠誠心や献身性を示すかもしれない。しかし、それは純粋に組織を良くしたいという前向きな意欲ではなく、「波風を立てずに組織に従属する」ことへの消極的同意に過ぎない可能性がある。皆が黙って現状追認することを「協働」だと錯覚し、本来であれば不正を正すべき場面でも、「余計なことはするまい」と互いに忖度し合う。

最後に伝達である。「黒い空気」の中では、たとえ形式上は会議や報告の場があっても、実質的には本当の問題点や反対意見が口に出せない。必要な情報が共有されず、上層部には都合の良い情報だけが上がる。つまり、コミュニケーションの機能不全が起きている。

このように、「黒い空気」に覆われた組織では、共通目的の喪失(正しさより保身)、貢献意欲の誤用(沈黙による協力)、伝達の断絶(真実の黙殺)というような形で、バーナードの三要素がゆがめられているといえる。

では、なぜ人々はそのような不健全な状態を受け入れてしまうのか?そのメカニズムを解明するために、バーナードの「無関心圏」と「権威」の考え方を参考にする。

無関心圏の拡大による黒い空気の蔓延

無関心圏とは、組織のメンバーが何の疑問も抱かずに命令を受け入れる範囲」を指す。命令が個人の信条に反する場合は拒否されるが、そうでない限り、「まあこの程度なら」と受け入れられる。

この領域が誤った形で拡大すると、些細な不正も受容され、やがてより大きな不正も疑問を持たれなくなる。「黒い空気」の醸成には、この無関心圏の作用が大きく影響していると考えられる。

最初は小さな非効率や不正であっても、「まあこの程度なら」とメンバーが疑問を持たず受け入れてしまえば、それは各人の無関心圏の中に収まった行為と言える。例えば、現場で起きている些細な不正(数字のごまかしやルール違反)に誰も声を上げなければ、「皆にとってこのくらいは許容範囲なのだ」という空気ができる。一度その空気ができあがると、それに順応して更に大きな不正も受け入れられやすくなっていくことは想像できる。

やがて、あるメンバーが内心「これはさすがに良くないのでは?」と迷いを感じる局面が訪れるかもしれない。

しかし同時に組織内には「誰も何も言わない」「むしろそれをやるのが組織の方針だ」という支配的な空気が流れている。この段階になると、個人としては葛藤しつつも結局は従ってしまうということが起こる。疑問を持ちながらも空気に負けて従属してしまう。これが「黒い空気」が蔓延した状態である。

本来ならば、命令が個人の信条に反する場合、人はそれを拒否するはずである。

しかし「黒い空気」においては、人々は自分の無関心圏を不自然に拡大させてしまっていると考えられる。

周囲の同調圧力や報復への恐れ、あるいは波風を立てない方が得策という打算が働き、本来なら「それはおかしい」と感じる指示さえも「仕方ない、受け入れよう」と無関心圏の内側に取り込んでしまう。つまり、疑問を抱くライン(関心の閾値)を意図的に下げてしまうのである。

多くの社員が内心問題だと感じながらも「あえて行動しない」選択をする。この「あえて行動しない」判断こそが、取引コストを忖度した合理的な不作為であり、それが組織全体では「何も疑問はない」という沈黙の合意=「黒い空気」に見えているというわけである。

こうして無関心圏の中に本来あるまじき不正が含みこまれ、誰も異議を唱えないまま組織ぐるみの問題行動が継続してしまう。

黒い空気によって形骸化する権威

バーナードにおける「権威」とは、組織の3要件にあった「伝達」に関連する概念で、命令を正当のものと性格づける(つまり効力を持たせる)ものである。

この「権威」で重要なのは、受け手側、つまり命令される側によって認められるものであるという点である。

言い換えれば、命令する側がいくら「やれ」と言っても、受け手がそれを正当な指示だと認めなければ、実質的に命令は効力を持たないということだ。

権威が受容されるには、次のような条件を挙げている。

(a)伝達を理解でき、また実際に理解すること、(b)意思決定にあたり、伝達が組織目的と矛盾しないと信ずること、(c)意思決定にあたり、伝達が自己の個人的利害全体と両立しうると信ずること、(d)その人は精神的にも肉体的にも伝達に従いうること

『経営者の役割』, p.173

要するに、命令に対して
・理解可能性
・組織目的との整合
・命令と個人の利害の両立
・実行可能性
といった条件を満たすことで、命令は受け入れられ、その意味で権威を持つということである。

ところが「黒い空気」の支配する組織では、これらの条件が実質的に形骸化してしまう。例えば、

  • 命令は形式的に理解されていても(a)、真の意図や背景を語る風土がなく、誤解や忖度が支配している。

  • 組織目的そのものが歪んでおり(b)、建前上の理念ではなく、上司のメンツや売上維持といった「暗黙の目的」に一致していれば良いとされる。

  • 不正命令に個人として抵抗を感じつつも、従わなければ評価が下がる・干されるといった実利的なリスクが大きいため(c)、結果的に利害をすり替えて受容してしまう。

  • 本当は精神的に大きな葛藤があるのに、それを言い出せない雰囲気や構造があるため(d)、結果的に沈黙の中で遂行されてしまう。

このように、「黒い空気」が蔓延した組織では、本来であれば成立しないはずの不適切な命令が、受容の4つの条件を表面的に満たしているかのように扱われ受容されてしまうのである。これは、伝達が成立しているように見えて、実質的には圧力や同調による偽りの合意にすぎない。

要するに、「黒い空気」に毒された組織では権威と伝達の本来の機能が麻痺している。命令の受容条件が形骸化し、コミュニケーションも形式化してしまっているのだ。

「黒い空気」を浄化するリーダーの道徳性

こうした「黒い空気」を浄化するために必要なのは何なのだろうか。菊澤研宗氏によると、損得計算ではなく道徳や価値判断に基づいたリーダーの行動が必要だという。

ここでのキーワードは「実践理性」である。ここでいう実践理性とはドイツの哲学者イマヌエル・カントの哲学によるものであり、著者によると『自ら内発的に「正しいかどうか」「良いか悪いか」を道徳的に価値判断する理性(『指導者(リーダー)の不条理 組織に潜む「黒い空気」の正体』, p.172)』だという。

カントによると、人間には「理論理性」と「実践理性」の二つがあるという。理論理性は因果関係に従って認識したり行動する理性だという。「理論理性=真」、「実践理性=善」、というような区別で良いのではないかと思う。

そして、理論理性にのみ基づいた判断は、しばしば他律的になってしまう危険性がある。すなわち、自分で「何が正しいか」を判断するのではなく、上司の指示や周囲の空気、組織の慣習といった外部の要因に判断を委ねてしまうということだ。これは「自らの理性ではなく、他人や制度に判断の根拠を預けてしまう」という意味で、倫理的な主体性を欠いた行動につながりやすくなってしまう。

例えば、ある従業員が不正をするよう上司に命じられたとする。

理論理性では、「今これに従っておけば評価が下がらず、職場の人間関係も壊れない。万が一問題が発生しても、その責任は上司にある。」といった合理的損得計算に基づき、黙認や従属を選ぶ判断になる。

一方、実践理性では、「顧客を欺くことは、自分の信念や倫理に反する」「長期的には信頼を損ね、会社の存続に害を及ぼす」と考え、上司の指示に対して異議を唱える、あるいは然るべき手段で是正を求める行動が導かれる。

もちろん、理論理性と実践理性は両立すべきものである。だが、実践理性がなければ、損得のみによって「倫理的に誤った決定」が組織的に追認されてしまうのだ。

「黒い空気」が蔓延する場では、誰もが「言わないほうが無難」「従ったほうが楽」という打算(理論理性)に支配されていると言い換えられるだろう。

そんな中で、リーダーが損得を超えて、自らの価値判断(実践理性)から「これは間違っている」と判断し必要な行動を取ることで、組織内にひとつの“倫理的な基準点”が生まれる。

そして、実践理性に基づく行動が一貫して続けられることで、周囲の人々も「本当に守るべきものがあるのではないか」と気づき始める。こうして沈黙の同調から脱し、自らの良心や判断に基づいた行動が少しずつ許容される空間が広がっていく。

つまり、実践理性に基づくリーダーの行動は、沈黙と同調に支配された無関心圏を揺さぶり、伝達の本来あるべき姿を回復し、組織における「善」を再び共有可能にするといえるだろう。

ところで、バーナードもリーダーの道徳性について言及しており、管理者の職能に特有なこととして「道徳準則の創造(『経営者の役割』, p.286)」があり、また、『組織の存続はリーダーシップの良否に依存し、その良否はそれの基礎にある道徳性の高さから生ずる(『経営者の役割』, p.295)」とも述べている。

要するに、リーダーが率先して「空気を入れ替える」ことが重要だということだ。そのためにはリーダー自身が勇気を持って不正な現状にメスを入れる覚悟を示す必要がある。短期的には損失や混乱があっても、「正しいことをする」という長期的視野に立った決断をする。周囲に忖度せず真実を語り、全員に組織の目的を問い直す。そして自らも厳しい道徳的規範に従う——そうしたリーダーシップによって、初めて凝り固まった「黒い空気」は振り払われていくのだということだろう。

終わりに

ここまで「黒い空気」を打破する鍵として、リーダーの実践理性や道徳的判断が重要であると述べてきた。しかし同時に、こうした倫理をリーダー個人の資質や覚悟に過度に依存することには限界があるという懸念もある。

そのため、倫理は個人の問題ではなく、制度や仕組みとして組織全体でも担保すべきものであるとも考えられる。

例えば、現代のドイツ哲学者であるマルクス・ガブリエルが最高哲学責任者(CPO)と倫理委員会を置くべきだ、という提案をしている。

リーダーの実践理性に基づいた判断と行動を支えるために経営をどう考え、どのような制度や仕組みを設ける必要があるのか。そして、そもそも経営における倫理的な「正しさ」とはどう考えるものなのか。

単なる道徳論ではなく、構造・制度・文化・哲学を横断した「倫理的な組織論」が必要だと思われる。

その第一歩として、組織の中にある「空気」を可視化し、問い直すことから始めたい。

そして、その問いの中から、「善」を志向する新たな協同のかたちを模索していきたいと考えている。

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