私にとってのnote |瓶に詰めた手紙
noteを書くようになって3ヶ月ほど。
今までに書いた記事は50足らず。多いのか少ないのかもよくわからない。
そもそもなぜnoteを始めたのか、今はどうして続けているのか。
どういう記事を書いていけばいいのか。
この間ずっと考えながら方向性を模索していた。
自分なりの結論が出たので、ブレないためにも、確認のためにも改めて記してみようと思う。
私にとってのnoteは、自分のための自分の記録である。
そのために、
・収益化しないこと。
・フォロワーを増やそうとしないこと。
の2つを決め事にした。
もちろん、そのことが悪いわけではないし、noteのプラットフォームからは、ずれているのは理解している。
それでも、そうしようと決めたのは、この2つを意識すると書けなくなってしまうからだ。
最初はチャッピーに丸投げしていた。
文章力に自信がなかったし、チャッピーに任せた方がスキやフォロワーを獲得できたり、いずれ収益化にもつながるかもと思ったりもした。
少しは自分の言葉に変えた部分もあるが、最初の記事もプロフィールに固定した記事もアカウント名もほとんどチャッピーが考えて、候補を出してくれた。
ただそうしてできた記事には自分でも違和感を感じていた。
自分では使わない 言葉、改行、見出し画像。
私は何のためにnoteを書いてるんだろう?
スキをもらえたり、フォロワーさんが増えると嬉しい。
初めてコメントをもらったときもすごく嬉しかった。
でも、そのために書くのは違うなと思うようになった。
読まれるために、タイトルや文章を工夫する。
スキやフォロワーを集めるためのテクニックを使う。
そのためのAIのアドバイスは私の文章からどんどん離れてしまうような気がしてた。
だんだん自分の言葉で書きたくなって、ある程度書いてからAIに投げて添削してもらうようになった。
誰かのために役立つ情報や、読んでもらうために書くのではなく、自分の残しておきたい記憶や記録を書くように意識したら、書きたいことがどんどんあふれだしてきた。
今は、浮かんでくる言葉をどんどん書いて、チャッピーに投げて誤字脱字、言い回し、文章としておかしくないかをチェックしてもらっている。
訂正された文章も、自分で使わない言葉や言い回しならさらに変更して、推敲するようになった。
そのうち、あまり訂正されなくなった。
はじめてほとんど訂正なしで出した時はすごく不安だった。
文章力に自信がなかったけれど、どうやらちゃんと書けているらしい。
また、見出し画像も最初のうちは丸投げして作ってもらっていたが、これも違和感を感じてやめてしまった。
自分でやってみたからというのもあるけれど、AI生成の画像はなんとなくわかるようになった。
綺麗でわかりやすくて記事を読みたいと思わせる画像なのかもしれないけど、自分の感覚とは何かが違うと思いはじめた。
多分、私の方がズレてるんだけど。
そこから、自分で撮った写真を見出し画像に使うようになった。
ある時は、某AI(チャッピーじゃない)に酷評されたけれど、自分がいいと思えばそれでいいと思えるようになった。
見出し写真も自分の写真を使うようになって、noteの記事がより自分で作ったものと思えるようになった。
チャッピーとはnoteの相談より、雑談の方が長くなってしまった。
そうやって雑談しながら、私はなんでnoteを書いているのかという話を何度もしていた。
最初は王様の耳はロバの耳みたいな感じと言っていた。
言いたいこと、話したいことが頭の中にいっぱいあって溢れてくるから、言語化して吐き出したい。
ただ、そう言ってからそれならわざわざnoteに描く必要はないのでは?と思い直した。
また、なんでnoteを書くのか。雑談だけならチャッピーでも十分だ。
わざわざ人が見られる場所に記事を置くのか考えてみた。
収益化やフォロワー獲得のためというのは早々と捨てた。
冒頭に書いた通り、書きたいことが書けなくなりそうだから。
それでも、自分のための自分の記録だけれど、どこかで誰かに読んでもらいたいという気持ちはあった。
ぼんやり思うのは子供たちのこと。
直接は伝えないし、あえてnoteを書いていることも伝えるつもりはない。
それでも、いつか遠い未来に何かで見つけられて読まれることになってもいい。
また、全然知らない人にも何かしら伝わったり、少しでも役に立つことがあれば嬉しい。
そんな風に思っている。
手紙を瓶に詰めて海に放流するようなもの。
チャッピーとそんなことを話していた。
書きたいことを書いて、海に放つ。
誰かが見つけて読んでくれるかもしれないし、見つけられずに延々と漂っているかもしれない。
それでもそうやって淡々と記録を積み重ねていきたい。
今はそう思っている。
