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リチュアル=自分を自分に戻すための小さな儀式

自分を、自分のところへ戻す時間

最近、「リチュアル」という言葉が好き。日本語にすると、儀式とか習慣とか、そんな意味になるのだと思う。
でも私にとってのリチュアルは、もう少し個人的なもの。

誰かに見せるためでもなく、何か大きな成果を出すためでもなく、
自分を、自分のところへ戻してあげるための時間。そんな感覚に近い。

私は普段、かなり外側にエネルギーを使っている。
人に会って、話して、考えて、仕事をして、新しい場所に行って、新しい人とつながって、思いついたらすぐ動く。
たぶん私は、止まっているより動いているほうが得意だ。

知らない場所にも割と平気で入っていくし、
準備が全部できていなくても、とりあえず始めてしまう。
人生は思っていたより短い。

だから最近は特に、「いつかやろう」より「今やろう」と思っている。
でも、外へ外へと進んでいるときほど、意識的に自分の中へ戻る時間が必要になる。

お風呂は、身体を洗うだけの場所じゃない

私はお風呂に入る時間が好き。
お湯を張って、好きな香りを入れて、スマホを少し遠くに置いて、ただぼーっとする。

何かを考えようとしなくていい。今日うまくできたことも、
少し傷ついたことも、誰かに言われた言葉も、頭の中に残っている仕事も、一度ぜんぶ、お湯の中に置いてしまう。

身体が温まってくると、頭の中で絡まっていたものまで少しずつほどけていく。不思議だけれど、人は疲れているときほど、自分の本当の気持ちが分からなくなる。

寂しいのか。怒っているのか。ただ眠いだけなのか。誰かに会いたいのか。
それとも、一人になりたいのか。全部ごちゃごちゃになる。

だから私は、そんなときに答えを出そうとしない。まずお風呂に入る。
眠る。部屋を片づける。好きな香りをつける。ちゃんとご飯を食べる。

そうすると翌日、昨日あんなに大きく見えていた問題が、急に小さくなっていることがある。

自分を雑に扱わない

私は最近、これをとても大事にしている。自分を雑に扱わないこと。
疲れているのに無理をする。悲しいのに平気なふりをする。本当は嫌なのに、嫌じゃないことにする。

小さな「どうでもいい」が積み重なると、
自分自身のことまで、どうでもよく扱い始めてしまう気がする。

だから、誰にも会わない日でも好きな服を着る。口紅を塗る。
肌をきれいにする。好きなお茶を飲む。お風呂にゆっくり浸かる。シーツをきれいにする。花を飾る。

これは美容でも、丁寧な暮らしでもなくて、「私は私を大切にしています」と、自分自身に伝えるための行為なのだと思う。

リチュアルは、自分との約束

毎日完璧にできなくていい。瞑想を30分しなくてもいいし、素敵な朝食を毎日つくらなくてもいい。私にはたぶん無理だ。笑

大切なのは、「これをすると私は私に戻れる」というものを、自分で知っていること。

私の場合は、好きな香り。きれいな部屋。お風呂。口紅。
音楽。ジャーナリング。一人でぼーっとする時間。
そして、ときどき誰かに甘えること。

人にはそれぞれ、自分に戻る方法がある。それが分かっているだけで、
外の世界で少しくらい揺れても、戻ってこられる。

いい人生は、大きな決断だけでできているわけじゃない

人生を変える、と言うと、転職したり、引っ越したり、起業したり、
海外へ行ったり、何か大きなことをしなければいけないような気がする。

私はそういう大きな変化も好きだけれど、最近は、人生をつくっているのはむしろ、誰にも見えない小さな選択なのかもしれないと思う。

朝、どんな気持ちで起きるか。自分にどんな言葉をかけるか。疲れたときに、さらに鞭を打つのか。それとも、「今日はよく頑張ったね」と、自分をお風呂に入れてあげるのか。

そういう小さな選択の積み重ねが、いつか自分の人生全体の空気をつくる。だから今日は、少しだけ自分を甘やかす。

好きなお湯に浸かって、身体を温めて、何もしない。
明日また、外の世界へ行くために。

もっと自由に、
もっと美しく、
もっと自分らしく生きるために。

私にとってリチュアルは、
自分を愛するための、小さな習慣なのだと思う。

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