『窓のない家で、彼女は外を見ていた』第1話 十七枚目の窓
その家の窓は、
外から数えると、十七枚ある。
中から数えると、十六枚しかない。
最初にその話を聞いたとき、
私は単純な理由を想像した。
数え間違い。
塞がれた窓。
増築。
あるいは、隠し部屋。
けれど。
実際にその家を見た瞬間。
そのどれでもないことが分かった。
なぜなら。
十七枚目の窓には、
女が立っていたからだ。
1
十一月七日。
午後五時四十二分。
私は住宅街の坂道を歩いていた。
名前は、
桐生恭介。
建築雑誌の編集者をしている。
目の前にあるのは、
白い二階建ての住宅。
築二十年。
設計者は、
御影宗一郎。
住宅建築の世界では、それなりに知られた人物だった。
左右非対称の外観。
大きな吹き抜け。
道路側へ張り出した二階。
一見すると、
少し変わったデザイナーズ住宅にしか見えない。
ただ。
私は道路の反対側に立ったまま、
その家を見上げていた。
理由は一つ。
二階の右端。
カーテンのない窓。
そこに、
女性が立っていた。
白い服。
長い黒髪。
顔までは見えない。
こちらを見ているようにも、
外を眺めているだけのようにも見える。
私は腕時計を見る。
午後五時四十三分。
もう一度、窓を見る。
女はいない。
わずか一分。
いや。
もっと短かったかもしれない。
私はそのとき、
それほど気にしなかった。
御影家には家族がいる。
娘か。
妻か。
誰かだろう。
そう思った。
2
玄関のインターホンを押す。
出てきたのは、
五十代後半の男性。
御影宗一郎。
この家を設計した建築家であり、
現在の所有者でもある。
「桐生さんですね」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
今回の訪問目的は、
建築雑誌の特集だった。
テーマは、
『二十年住んで完成する家』。
御影は二十年前、
この家を自分自身のために設計した。
建築家が自宅をどう設計し、
二十年間の生活で何が変化したのか。
それを取材する。
ただそれだけの予定だった。
玄関に入る。
御影が私の靴を見る。
「道路の向こうから見ていましたね」
「分かりました?」
「この家を初めて見る人は、だいたいあそこに立つ」
「一番きれいに見える位置なんですか?」
私が聞くと、
御影は少し考えた。
「一番」
そこで言葉を止めた。
そして、
妙な言い方をした。
「勘違いしやすい位置です」
3
御影家には、
四人が暮らしていた。
御影宗一郎。
妻の、
御影佳代。
長男、
御影修司。
長女、
御影美月。
ただし。
修司は仕事の関係で、
普段は東京に住んでいる。
この日は父親に呼ばれ、
帰省していた。
そしてもう一人。
家政婦の、
藤崎澄江。
住み込みではない。
午前九時から午後六時まで。
平日のみ家事を手伝っている。
私はリビングへ通された。
大きな吹き抜け。
二階の廊下が、
リビングを囲むように走っている。
印象的なのは、
光だった。
夕方なのに、
家の中が妙に明るい。
御影が言う。
「窓を多く取っています」
「確かに多いですね」
「何枚あると思います?」
突然だった。
私は笑う。
「数えてません」
「外からは?」
その質問で、
少し引っかかった。
「十七枚ですか?」
御影の表情が変わった。
「誰に聞きました?」
「有名なんですか?」
「質問に答えてください」
声が低い。
私は戸惑いながら答えた。
「編集長からです。この家には、窓の数にまつわる噂があるって」
御影は黙った。
数秒後。
「くだらない話です」
そう言って、
コーヒーを飲んだ。
4
取材のため、
家の中を見せてもらった。
一階。
リビング。
ダイニング。
キッチン。
書斎。
和室。
洗面室。
浴室。
二階。
夫婦の寝室。
修司の部屋。
美月の部屋。
客室。
納戸。
そして、
廊下。
私は間取り図を手に、
一室ずつ確認していった。
その途中。
美月が話しかけてきた。
二十六歳。
広告会社勤務。
「窓の話、聞きました?」
「少しだけ」
「やっぱり」
「何かあるんですか?」
美月は、
父親が近くにいないことを確認した。
そして小声で言った。
「数えない方がいいですよ」
「なぜ?」
「気持ち悪くなるから」
私は笑った。
「そう言われると数えたくなります」
「みんなそう言います」
美月は、
二階の廊下の先を見る。
そこには、
白い壁。
絵が一枚。
それだけ。
「外から見ると」
美月が言う。
「あの壁の向こうに窓があるんです」
5
私は、
窓を数えた。
一階。
九枚。
二階。
七枚。
合計。
十六枚。
「本当だ」
美月は笑わなかった。
私は間取り図を見る。
道路側。
二階右端。
外から女性を見た場所。
そこに相当するのは。
ちょうど、
廊下の突き当たりだった。
しかし。
窓はない。
白い壁。
私は壁を叩く。
コン。
コン。
特に変わった音ではない。
「昔は窓だった?」
「違います」
「塞いだとか」
「父はしてないって」
「じゃあ外から見えるのは?」
美月は答えない。
「確認したことは?」
「あります」
「外から?」
「はい」
「見えた?」
少し間があった。
「窓はありました」
「なら——」
「それだけじゃないんです」
美月が私を見る。
「ときどき」
声が小さくなる。
「女の人が立ってます」
私は、
道路の向こうから見た女性を思い出した。
「白い服?」
美月の顔から、
表情が消えた。
「見たんですか?」
6
私は聞いた。
「あれ、美月さんじゃないんですか?」
「違います」
「お母さん?」
「違います」
「家政婦さん」
「藤崎さんは、あんな服着ません」
「では誰?」
「分かりません」
「家の中にいるんでしょう?」
「だから」
美月は、
少し苛立ったように言った。
「そこには部屋がないんです」
私は、
もう一度壁を見る。
確かに。
この壁の向こうに、
人が立てる空間があるようには見えない。
ただ。
私は建築雑誌の編集者だ。
怪談より、
寸法の方が気になる。
「メジャーあります?」
美月が不思議そうな顔をする。
7
私は、
二階の廊下を測った。
階段脇の壁から、
突き当たりまで。
8メートル41センチ。
次に。
御影に許可を取り、
外へ出た。
建物正面。
道路側の外壁を測る。
もちろん。
壁厚や構造部分があるので、
単純比較はできない。
それを考慮しても。
おかしい。
図面上。
廊下側には、
9メートル28センチ分の奥行きがある。
実測。
8メートル41センチ。
差。
87センチ。
私は、
もう一度計算する。
同じ。
87センチ。
人が普通に暮らす部屋を作るには狭い。
だが。
壁だけと考えるには。
広すぎる。
御影が、
後ろに立っていた。
「何をしているんです?」
「寸法が合いません」
「古い家ですから」
「87センチは施工誤差じゃない」
御影は黙る。
「この中に何があるんです?」
私は、
例の壁を指した。
御影は答えなかった。
代わりに。
「今日はもう」
と言った。
「取材を終わりにしましょう」
8
午後六時十二分。
家政婦の藤崎が帰った。
外は雨。
取材も終わったため、
私も帰る予定だった。
だが。
御影から。
突然言われた。
「桐生さん」
「はい」
「今夜、泊まっていきませんか」
冗談だと思った。
「取材は終わりでは?」
「見せたいものがあります」
「何を?」
御影は。
家族のいるリビングを見る。
そして。
私にだけ聞こえる声で言った。
「この家の」
一拍。
「誰にも住ませていない部屋です」
私は言葉を失った。
「あるんですか?」
「あります」
「どこに?」
御影は答えない。
「17枚目の窓と関係があります?」
沈黙。
それが。
答えのように思えた。
9
午後八時。
夕食。
御影。
佳代。
修司。
美月。
そして私。
五人。
雨は強くなっていた。
会話は少ない。
特に。
修司と父親の間には、
妙な緊張があった。
途中。
修司が言った。
「今日じゃないと駄目なのか」
御影は答える。
「今日だからだ」
「俺を呼び戻してまで?」
「全員いた方がいい」
佳代が。
箸を止める。
「宗一郎」
「もうやめましょう」
「何を?」
「二十年前のことよ」
空気が止まった。
私は、
聞かないふりをした。
御影は言う。
「二十年前の話じゃない」
そして。
私を見る。
「今も続いている話だ」
10
午後九時二十分。
御影は、
書斎へ入った。
私には。
午後十時に来てほしいと言った。
「そのとき」
御影は言った。
「部屋を見せます」
「家族は?」
「知らせる必要はありません」
「なぜ私に?」
御影は、
少し笑った。
「あなたが」
「今日」
「初めてこの家を見た人だからです」
意味が分からなかった。
御影は。
最後にこう言った。
「この家に長く住むと」
「見えなくなるものがある」
そして。
書斎の扉を閉めた。
11
午後九時四十七分。
私は、
二階の客室にいた。
眠れるはずもない。
窓を開ける。
雨の住宅街。
街灯。
濡れた道路。
私は、
例の場所を確認したくなった。
傘を持ち。
一階へ降りる。
玄関。
鍵を開ける。
外へ。
道路を渡る。
最初に立った場所。
御影が言った。
「勘違いしやすい位置」
そこから。
家を見る。
一階。
九枚。
二階。
一。
二。
三。
四。
五。
六。
七。
そして。
右端。
八。
十七枚。
やはり。
ある。
室内からは存在しなかった窓。
その窓だけ。
明かりがついている。
そして。
女性が。
立っていた。
白い服。
長い髪。
私は。
スマートフォンを取り出した。
写真を撮る。
一枚。
二枚。
三枚。
女性は動かない。
時刻。
午後九時五十二分。
そのとき。
背後から。
車が来た。
ヘッドライト。
私は反射的に。
歩道側へ一歩動いた。
ほんの。
一メートルほど。
そして。
もう一度。
家を見上げた。
私は。
息を止めた。
女が。
消えていた。
いや。
違う。
窓そのものが、消えていた。
12
私は元の位置へ戻る。
窓がある。
一歩。
右へ。
窓がない。
左へ戻る。
ある。
右へ。
ない。
「……何だ、これ」
角度。
私はそう思った。
だが。
それだけでは説明できない。
私はスマートフォンで。
何枚も撮影した。
そのとき。
家の中から。
鈍い音がした。
ゴン。
何か。
重いものが落ちたような音。
直後。
二階。
美月の部屋の明かりがつく。
玄関が開いた。
修司が飛び出してきた。
「桐生さん!」
「どうしました?」
「父が!」
13
御影宗一郎は。
書斎で倒れていた。
頭部から出血。
床。
近くに。
金属製の馬の置物。
血が付いている。
佳代が震えている。
美月は。
廊下で立ち尽くしていた。
私は。
御影の首に触れようとした。
だが。
修司が言った。
「触らない方がいい」
脈。
呼吸。
ない。
午後十時前。
建築家。
御影宗一郎。
死亡。
14
警察への通報。
到着まで。
約二十分。
その間。
私たちは。
誰も書斎へ入らなかった。
ただ。
一つ。
奇妙なことがあった。
書斎の窓。
施錠。
勝手口。
施錠。
玄関には。
防犯カメラ。
午後六時十二分に。
家政婦の藤崎が帰った。
そのあと。
家へ入った人物はいない。
私は。
午後九時四十七分に外へ出ている。
それも。
カメラに映っている。
そして。
事件発覚まで。
家に戻っていない。
つまり。
御影が殺された時間。
家にいたのは。
佳代。
修司。
美月。
そして。
御影本人。
15
警察が来るまで。
私は。
リビングでスマートフォンを見ていた。
さっき撮った写真。
午後九時五十二分。
17枚目の窓。
そこに。
白い服の女性。
拡大する。
顔。
暗い。
分からない。
次の写真。
同じ。
三枚目。
私は。
指を止めた。
何かがおかしい。
女性ではない。
窓でもない。
もっと。
別の何か。
私は写真を。
縮小した。
家全体を見る。
そして。
気づいた。
17枚目の窓の位置。
その真下。
一階。
そこには。
窓があるはずだった。
だが。
写真では。
存在しない。
私は。
最初に数えた数字を思い出す。
一階。
九枚。
二階。
八枚。
合計。
十七。
しかし。
この写真では。
一階。
八枚。
二階。
八枚。
合計。
十六。
「違う」
私は。
思わず声に出した。
美月が振り返る。
「何が?」
私は。
写真を見る。
もう一度。
最初に家を見たときの記憶。
私は。
ずっと。
勘違いしていた。
この家には。
外から17枚。
中から16枚の窓がある。
そう聞いたから。
17枚目の窓が。
一枚増えていると思っていた。
でも。
違う。
写真の中では。
窓が。
増えているのではない。
移動している。
一階の窓が消え。
二階に窓が現れている。
私は。
道路の向こう側を見る。
雨。
街灯。
隣家。
電柱。
そして。
御影の言葉を思い出した。
「あそこは、一番勘違いしやすい位置です」
その瞬間。
玄関のチャイムが鳴った。
警察だった。
私は。
スマートフォンを閉じる。
まだ。
何も分からない。
誰が。
御影宗一郎を殺したのか。
白い服の女性は誰なのか。
87センチの空間に何があるのか。
なぜ。
見る場所を一メートル変えるだけで。
窓が消えるのか。
そして。
御影が見せようとしていた。
「誰にも住ませていない部屋」とは何なのか。
ただ。
一つだけ。
分かったことがある。
この事件を解くために。
最初に疑うべきものは。
家族の証言ではない。
この家そのものだ。
私は。
もう一度。
窓の外を見た。
道路の向こう。
街灯の下。
傘を差した。
白い服の女が。
こちらを見ていた。
今度は。
窓の中ではない。
家の外に立っていた。
第1話 終
次回
第2話「87センチの壁」
御影宗一郎殺害事件。
家族三人には。
それぞれアリバイがある。
そして。
防犯カメラに。
侵入者は映っていない。
唯一。
家の外にいた。
白い服の女。
しかし。
警察が防犯カメラを確認すると。
さらに奇妙なことが分かる。
桐生が。
道路の向こうから。
17枚目の窓を撮影していた。
午後九時五十二分。
その時刻。
防犯カメラには。
白い服の女性など、どこにも映っていなかった。
そして。
消えた87センチの壁を調べた桐生は。
そこから。
予想もしなかったものを発見する。
壁の内部にあったのは。
隠し部屋ではない。
もう一枚の窓だった。
