『窓のない家で、彼女は外を見ていた』第2話 87センチの壁
警察が最初に疑ったのは、
家族だった。
当然だと思う。
外から入った人間はいない。
窓はすべて施錠。
勝手口も施錠。
防犯カメラには、
誰も映っていない。
ならば。
犯人は、
最初から家の中にいた。
そう考えるしかない。
ただ。
一つだけ。
警察が知らないことがあった。
御影宗一郎が殺された夜。
私は見ている。
存在しないはずの窓に立つ、
白い服の女を。
そして。
事件の直後。
その女は。
家の外にいた。
1
十一月七日。
午後十時十八分。
パトカーが二台。
御影家の前に停まった。
雨は、
まだ降っている。
最初に書斎へ入ったのは、
四十代くらいの刑事だった。
名前は、
榎本浩平。
県警捜査一課。
短い髪。
細い眼鏡。
あまり表情を変えない。
榎本は、
遺体を確認すると。
私たちを一人ずつ、
リビングへ移動させた。
そして。
聞いた。
「最後に御影さんを見たのは?」
私だった。
「午後九時二十分頃です」
「どこで?」
「書斎の前」
「何を?」
「十時になったら来てほしいと言われました」
「理由は?」
私は迷った。
だが。
隠す意味はない。
「部屋を見せると」
榎本のペンが止まる。
「部屋?」
「誰にも住ませていない部屋がある、と」
リビングの空気が変わった。
佳代。
修司。
美月。
三人とも。
私を見た。
榎本は、
その反応を見逃さなかった。
「ご家族は」
「その部屋をご存じですか?」
誰も答えなかった。
2
最初に口を開いたのは、
妻の佳代だった。
「そんな部屋はありません」
「しかし、ご主人は」
「主人は最近」
佳代は、
そこで言葉を止めた。
「最近?」
「家のことで」
「妙なことを言うようになっていました」
「例えば?」
佳代は答えない。
代わりに、
修司が言った。
「窓です」
「修司」
「隠しても仕方ないだろ」
修司は、
榎本を見る。
「父はずっと」
「この家には窓が一枚多いって言ってました」
榎本が眉を寄せる。
「窓が多い?」
「外から数えると十七」
「中から数えると十六」
「それで?」
「それだけです」
修司は吐き捨てるように言った。
「くだらない話ですよ」
私は。
修司を見る。
「本当に?」
「何がです?」
「お父さんは」
「一枚多いと言っていたんですか?」
修司の表情が止まる。
「そう言いましたけど」
「私はさっき」
「違うものを見ました」
3
私はスマートフォンを出した。
午後九時五十二分。
道路の反対側から撮影した写真。
榎本。
修司。
美月。
佳代。
四人が画面を見る。
「ここです」
二階右端。
明るい窓。
白い服の女。
美月が。
小さく息を呑む。
榎本が言った。
「この女性は?」
「分かりません」
「ご家族では?」
三人とも首を横に振る。
私は。
次の写真を見せた。
撮影位置を。
少し右へ移動した写真。
窓がない。
「同じ家です」
榎本が画面を見る。
「撮影時刻は?」
「数秒しか違いません」
「加工は?」
「していません」
榎本は。
二枚を見比べる。
私は言った。
「もっと変なのは」
「窓の数です」
最初の写真。
一階八枚。
二階八枚。
次の写真。
一階九枚。
二階七枚。
どちらも。
合計は十六。
榎本が。
初めて。
少し表情を変えた。
「十七じゃないんですか?」
「そうなんです」
私は答えた。
「外から十七枚あると思っていた」
「でも写真に撮ると」
「十六枚しかない」
「つまり」
「一枚増えているんじゃない」
私は。
二枚の写真を指す。
「一枚が、別の場所に見えている」
4
午前零時を過ぎた頃。
防犯カメラの映像確認が始まった。
玄関。
勝手口。
庭。
駐車場。
そして。
道路側。
四台。
事件前後。
午後八時から十時まで。
外部から敷地へ入った人物はいない。
家政婦の藤崎が帰ったのは。
午後六時十二分。
私は。
午後九時四十七分に玄関から外へ出た。
その後。
事件発覚。
午後九時五十七分。
修司が玄関から私を呼ぶ。
映像は。
そこまで。
完全に一致している。
榎本が聞いた。
「白い服の女性を見たのは?」
「九時五十二分」
映像を戻す。
午後九時五十二分。
道路。
雨。
傘を差した私。
御影家を撮影している。
だが。
そこには。
私以外。
誰もいない。
私は。
画面を見たまま言った。
「事件のあとにも見ました」
「どこで?」
「道路の向こう」
「街灯の下です」
別のカメラ。
午後十時頃。
再生。
誰もいない。
白い服の女など。
どこにも映っていない。
5
「見間違いでは?」
榎本が言った。
「写真には写っています」
「窓の中の女性は、ですね」
そうだった。
窓に立つ女性は。
スマートフォンに写っている。
だが。
事件後。
道路に立っていた女性は。
私の記憶にしか存在しない。
榎本が聞く。
「顔は見ました?」
「いいえ」
「服は?」
「白」
「身長」
「分かりません」
「髪」
「長かった」
「傘は?」
私は。
答えようとして。
止まった。
雨だった。
かなり強い雨。
なのに。
あの女は。
傘を差していただろうか。
思い出せない。
いや。
もっと。
変なことがある。
私は。
道路に立っていた女を。
どこから見た?
リビング。
窓越し。
そのはずだ。
私は立ち上がった。
「どうしました?」
榎本が聞く。
「確認したいことがあります」
6
リビングの窓。
私は。
昨夜。
ここから。
道路の向こうを見た。
街灯。
電柱。
向かいの家。
そして。
白い女。
同じ位置に立つ。
外を見る。
街灯がある。
しかし。
「おかしい」
榎本が隣に立つ。
「何が?」
「あの女」
「ここから見えないはずです」
「どういう意味です?」
私は。
道路を見る。
昨夜。
女性が立っていたと思った場所。
そこは。
リビングから見ると。
庭木に隠れている。
完全に。
見えない。
私は。
確かに。
女を見た。
しかし。
私が立っていた場所からは、その女を見ることができない。
7
翌朝。
十一月八日。
午前八時十二分。
現場検証が始まった。
私も。
昨夜の取材者として。
しばらく家に残ることになった。
そこで。
私は。
御影宗一郎が言っていた。
「部屋」を思い出した。
そして。
87センチ。
二階廊下。
榎本に話す。
「壁の中を調べてもらえませんか」
「理由は?」
「寸法が合わない」
私は。
昨日の計測を説明した。
図面。
9メートル28センチ。
実測。
8メートル41センチ。
差。
87センチ。
榎本は。
建築の専門家を呼んだ。
再計測。
結果。
やはり。
ほぼ同じ。
壁厚を考慮しても。
約87センチ。
説明できない空間がある。
8
問題の壁。
二階廊下。
突き当たり。
白い壁。
美月が言っていた場所。
外から見ると窓がある。
専門家が。
壁を調べる。
下地。
柱。
配線。
そして。
壁面を軽く叩く。
コン。
コン。
コン。
途中。
音が変わる。
コォン。
空洞。
榎本が。
私を見る。
壁の一部を。
慎重に外す。
石膏ボード。
断熱材。
木材。
そして。
その奥。
黒いものが現れた。
最初。
私は。
何か分からなかった。
だが。
埃を拭くと。
ガラス。
木枠。
金具。
それは。
間違いなく。
窓だった。
9
ただし。
奇妙だった。
窓は。
外へ向いていない。
家の内部へ。
向いている。
つまり。
壁の中に。
窓が埋め込まれている。
「何のために?」
榎本が言った。
私は。
窓の向こうへライトを当てる。
狭い空間。
幅。
約87センチ。
奥へ続いている。
人が横向きなら。
通れなくはない。
だが。
部屋とは呼べない。
通路。
いや。
隙間。
私は。
御影の言葉を思い出した。
「誰にも住ませていない部屋」
もしかすると。
あれは。
部屋ではなかったのではないか。
10
窓枠には。
小さな金属製の留め具があった。
開ける。
窓が。
内側へ動く。
その向こう。
細い空間。
榎本が先に入る。
私も。
許可をもらい。
後ろから続いた。
幅87センチ。
両側。
壁。
暗い。
空気が冷たい。
歩く。
五メートルほど。
そこで。
通路が。
左へ曲がる。
私は。
違和感を覚えた。
「この方向って」
「はい」
榎本も気づいた。
道路側。
つまり。
例の。
17枚目の窓が見える方向。
さらに。
二メートル。
行き止まり。
そこに。
もう一枚。
窓があった。
11
外へ向いた窓。
小さい。
縦長。
だが。
私は。
すぐに分かった。
昨夜。
道路から見た。
17枚目の窓。
形が違う。
サイズも違う。
「あれじゃない」
「何がです?」
「外から見えた窓とは違います」
私は。
ガラスへ近づく。
外を見る。
道路。
街灯。
向かいの住宅。
そして。
昨日。
私が写真を撮った位置。
見える。
榎本が。
窓枠を見る。
「開きませんね」
完全な。
はめ殺し窓。
さらに。
ガラスが妙だった。
普通の透明ガラスではない。
二重。
いや。
三重。
その間に。
薄い板のようなものが入っている。
私は。
横から覗く。
その瞬間。
理解した。
「鏡?」
正確には。
半透明の。
反射板。
12
私は。
通路を戻る。
外へ。
道路の向こう。
昨日と同じ場所。
家を見る。
二階右端。
17枚目の窓。
ある。
一歩右。
消える。
戻る。
現れる。
私は。
今度は。
窓だけを見なかった。
周囲を見る。
御影家。
その右。
隣家。
さらに。
街灯。
ガラス。
角度。
「そういうことか」
ただし。
まだ。
完全には分からない。
なぜ。
一階の窓が消えて。
二階に現れるのか。
なぜ。
その中に。
女性まで見えるのか。
私は。
一歩。
左へ移動した。
その瞬間。
17枚目の窓の中に。
また。
白い服の女が現れた。
私は。
動かなかった。
今度は。
よく見る。
長い黒髪。
白い服。
そして。
女の後ろ。
見覚えのある。
大きな時計。
私は。
昨日。
その時計を見ていた。
御影家ではない。
「榎本さん」
「はい?」
「あの女性」
私は。
窓を指す。
「この家の中にいません」
「では?」
「隣の家です」
13
御影家の右隣。
空き家だと聞いていた。
古い二階建て住宅。
雨戸。
伸びた庭木。
表札なし。
しかし。
私には。
昨夜の取材で。
一度だけ。
その家の内部が見えていた。
御影家の二階。
修司の部屋から。
カーテンを開けたとき。
隣家のリビングに。
大きな柱時計があった。
17枚目の窓の女。
その背後。
同じ時計。
つまり。
私たちは。
御影家の窓だと思って。
隣家の一部を見ていた。
14
だが。
それだけなら。
簡単な錯視だ。
問題は。
なぜ。
御影宗一郎が。
二十年前から。
その錯視が起きるように。
家を設計したのか。
87センチの通路。
壁の中の窓。
反射板。
外から見たとき。
隣家の窓を。
自宅の窓に見せる構造。
偶然ではない。
完全に。
意図している。
そして。
その隣家に。
今。
誰かがいる。
警察が。
隣家の所有者を調べた。
結果が出たのは。
午前十時三十分。
榎本が。
私を呼んだ。
「桐生さん」
「分かりました?」
「はい」
榎本は。
資料を見ていた。
「隣の家」
「二十年前から」
「所有者が変わっていません」
「誰です?」
榎本は答えた。
「御影宗一郎です」
15
御影は。
自宅だけでなく。
隣家も所有していた。
しかし。
家族は知らなかった。
佳代も。
修司も。
美月も。
「父の家?」
修司が言う。
「そんなはずない」
登記。
間違いない。
二十年前。
御影家の建築と。
ほぼ同時期に購入。
そして。
現在まで。
誰にも貸していない。
榎本が言う。
「確認します」
警察が。
隣家へ向かった。
玄関。
施錠。
鍵は。
御影の書斎から発見された。
扉を開ける。
埃。
暗い廊下。
生活している気配は。
ない。
だが。
二階。
例の部屋。
扉を開ける。
そこには。
椅子。
大きな柱時計。
白いカーテン。
そして。
ハンガーに。
一着。
白いワンピースが掛けられていた。
女性はいない。
16
私は。
柱時計を見る。
昨夜。
窓の中で。
女の後ろに見えたもの。
間違いない。
しかし。
白いワンピースだけでは。
人間には見えない。
私は。
窓際へ近づく。
床。
そこに。
濡れた跡。
足跡。
新しい。
榎本も。
しゃがむ。
「昨夜」
「誰かがここにいた」
私は言った。
「白い服の女」
「可能性はあります」
足跡は。
部屋を出る。
廊下。
階段。
一階。
しかし。
玄関へは向かっていない。
奥。
キッチン。
そして。
壁の前で。
途切れていた。
17
榎本が。
壁を見る。
「また壁ですか」
私は。
何も言えなかった。
御影家。
87センチの空間。
壁の中の窓。
隣家。
白い女。
すべて。
御影宗一郎が。
二十年前に。
意図して作ったもの。
そして。
隣家の壁。
足跡が消えた場所。
そこには。
床から。
約一メートルの高さに。
小さな傷があった。
縦。
横。
四角。
私は。
指でなぞる。
扉。
壁と同じ壁紙で。
完全に隠されている。
榎本が。
工具を使う。
壁が。
開いた。
その向こう。
暗闇。
細い通路。
そして。
遠く。
光。
私は。
その位置関係を。
頭の中でつなげる。
「まさか」
通路の先。
そこにあったのは。
御影家。
一階。
そして。
出口は。
御影宗一郎が殺された書斎の、本棚の裏だった。
18
これで。
密室は崩れた。
玄関。
勝手口。
窓。
防犯カメラ。
そんなものは。
関係なかった。
隣家から。
地下ではなく。
壁の内部を通って。
御影家の書斎へ入れる。
つまり。
外から侵入した人物が。
防犯カメラに映らなくても。
御影を殺すことができる。
白い服の女。
隣家。
隠し通路。
警察は。
当然。
そう考えた。
白い服の女が犯人。
私も。
一瞬。
そう思った。
しかし。
書斎へ戻ったとき。
一つ。
おかしなものを見つけた。
本棚。
隠し扉。
その下。
埃。
警察が開ける前まで。
均一に積もっている。
榎本も。
気づいた。
指で。
埃をなぞる。
「昨夜」
「この扉」
私は言った。
「開いてないですよね」
沈黙。
もし。
犯人が。
隣家から。
この通路を通って。
書斎へ入ったなら。
必ず。
本棚が動く。
床の埃も。
擦れる。
だが。
その跡がない。
つまり。
白い女は、隣家にいた。
隠し通路も存在する。
それなのに。
その通路は、殺人には使われていない。
私は。
御影宗一郎の遺体があった場所を見る。
何か。
根本的に。
間違えている。
御影が。
私に言った言葉。
「今日、初めてこの家を見た人だからです」
「この家に長く住むと、見えなくなるものがある」
私は。
ようやく。
別の可能性を考えた。
私たちは。
御影宗一郎が。
書斎で殺されたと思っている。
でも。
それを。
誰が確認した?
私は。
事件発覚時のことを思い返す。
鈍い音。
修司の声。
書斎。
倒れていた御影。
金属製の馬。
血。
そして。
私は。
あることに気づいた。
「榎本さん」
「何です?」
「死亡推定時刻」
「もう少し正確に出せますか」
榎本が。
私を見る。
「なぜです?」
私は答えた。
「もしかしたら」
「犯人のアリバイを調べる前に」
「被害者のアリバイを調べた方がいい」
第2話 終
次回
第3話「死んだ男のアリバイ」
午後九時二十分。
御影宗一郎は。
生きていた。
少なくとも。
桐生は。
そう思っている。
午後九時五十七分。
書斎で。
御影の遺体が発見された。
その37分間。
御影は。
本当に。
書斎にいたのか。
そして。
司法解剖の結果。
事件の前提を崩す事実が判明する。
御影宗一郎の死亡推定時刻は、午後八時以前。
だが。
桐生は。
午後九時二十分。
御影本人と会話している。
死んでいたはずの男と。
誰が話したのか。
さらに。
白い服の女の正体を追った警察は。
二十年前。
御影宗一郎が設計した。
「二軒の家」に隠された。
もう一つの秘密へたどり着く。
そして桐生は。
ようやく気づく。
この事件で。
最も信用してはいけなかったもの。
それは。
窓でも。
家族の証言でもない。
「御影家」と呼んでいた、この家そのものだった。
