生成AIは、もう「洗濯機」なのかもしれません
生成AIを使うことが、すっかり当たり前になってきました。
最近は、こまいたけの遊び用Webアプリを作るときにClaudeにコードを書いてもらったり、広報の仕事ではAIエージェントを構築してプレスリリースのたたき台を作ってもらったりしています。
もちろん、細かいところには粗もあります。でも、少し修正すれば十分使えるレベルのものができる。
これは、やっぱり便利です。
昔なら何時間もかけていた作業が、生成AIを使うことで一気に短縮できます。
もはや「生成AIを使うか、使わないか」は、洗濯板で洗濯するか、洗濯機を使うかくらいの違いになってきたのかもしれません。
それでも「手洗い」が必要な場面があります
ただ、洗濯機にも苦手な汚れがあります。
気付かぬままポケットにティッシュを入れたまま洗ってしまったり、しつこい泥汚れは結局手洗いしたりします。
※ポケットのティッシュは妻にめっちゃ怒られます……😂
生成AIも、これに少し似ている気がします。
汎用的なアプリを作ったり、文章のたたき台を作ったりするのは、AIに任せてしまえばいい。
一方で、セキュリティに関わる部分や、特定の機器との連携、細かな仕様の作り込みなどは、人間が慎重に判断したほうがいいでしょう。
大切なのは、「AIを使うか、使わないか」ではなく、「どこまでAIに任せて、どこから人間が確認するか」なのだと思います。
これからは「AIの間違い」に気づく力が必要になる?
そこで、これから難しくなりそうなのが、「AIが作ったものを判断できる人をどう育てるか」ということです。
今の世代は、生成AIが普及する前に「自分で全部やる」という経験をしてきました。
だから、AIが出してきたものを見て、
「これはおかしいな」
「ここは自分で確認したほうがよさそうだな」
と判断するための基準を、ある程度持っています。
でも、最初からAIがある世代はどうでしょうか?
AIにコードを書いてもらうことが当たり前になれば、「AIが判断できないこと」や「AIが間違えやすいこと」を体験する機会そのものが減ってしまうかもしれません。
だからこそ、教育でも、あえて一度AIを使わずに考えてみる経験が必要なのではないかと思います。
「AIを使わない」ことも、ひとつの学び
たとえばプログラミングなら、最初は自分でコードを書いて、その後AIにも同じものを作ってもらって比較する。
あるいは、わざと間違いを混ぜたAIの回答を見せて、「どこがおかしい?」と探してもらう。
AIを使わせないことが目的なのではありません。
AIを使ったあとに、その結果を疑い、検証し、自分で判断できるようにすることが目的です。
「AIが答えを出してくれる」からこそ、「その答えは本当に正しいの?」と考える力が、これまで以上に大切になるのだと思います。
広報の仕事でもAIエージェントにプレスリリースを書かせると、自社データのうち社外秘の情報にもアクセスできる場合、人が判断できないと機密情報が文書に載って社外に出てしまう、なんてことも起こりそうです。
そうした事態を防ぐためにも自力でやってみる・間違い探しテストは有効かもしれません。
図鑑を開く姿が、なんだか頼もしい
そんなことを考えていたら、こまいたけの姿を見て少し嬉しくなりました。
最近は、「生成AIを使って調べてみたら?」と言うこともあります。
それでも、こまいたけが恐竜について調べるとき、AIに聞くだけではなく、図鑑も開いてチェックします。
「この恐竜は何を食べていたんだろう?」
そう思ったときに、自分で図鑑を引いて確かめる。
その姿を見ると、なんだか頼もしく感じます。
生成AIが当たり前になる時代だからこそ、一次情報に当たり、自分の目で確かめる経験は、むしろ価値が高くなるのかもしれません。
AIを使える。そして、AIを疑える
AIを使えること。
そして、AIを疑えること。
どちらも大切なのだと思います。
洗濯機を使うことを覚えたら、まったく洗濯板(手洗い)がいらなくなるわけではありません。
「これは洗濯機だけではダメだな」と判断できるために、一度くらい自分の手でゴシゴシ洗ってみる。
生成AI時代の学びにも、そんな「手洗い」の経験が必要なのかもしれません。
便利な道具を使いながら、ときどき自分の手も動かしてみる。
そんなバランスを、これからも大切にしていきたいと思います。
