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狼獣人の旦那くんは今日もネガティブです

【あらすじ】
植物研究に勤しんだ結果、うっかり婚期を逃してしまった美貌の王女リア・シュヴァリエは、辺境の山岳地帯で暮らす狼獣人、イヴァノフ・モルガンの元に嫁ぐ決意をする。
獣人は珍しく、幼少期に「ワンちゃんが二足歩行している」と嗤われたせいで、イヴァノフはすっかりネガティブな性格になっていた。
しかし、そんなイヴァノフのことがリアは可愛くて仕方がない。
一緒にハーブを育て販売したり、美味しいごはんを食べたり。
ナーバスな狼獣人と前向きな元王女による、めそめそ&よしよしラブ。
スローライフもふもふファンタジーです。

1.理系王女、婚期を逃す

「なかなか良いお相手は、いらっしゃいませんねぇ」

 世話係のメラニーが、テーブルの上に積まれた書類に目を通しながらため息を吐く。

 テーブルの上にあるのは、コスティール王国の王女である私、リア・シュヴァリエの元に届いた身上書の数々だった。

「そんなはずないでしょ」

 座り心地の良いふかふかの椅子に身を沈めながら、私は彼女に視線をやった。小柄でグレイヘアのメラニー。彼女は、私の乳母でもある。

「だって、今まで数えきれないほど求婚されてきたのよ?」

「ええ、もちろん存じております。老若男女問わず、国内外の貴族たちはこぞって、リア様に夢中でしたから。リア様の美貌に狂って……いえ、目を奪われた方々は多くいらっしゃいました」

 ふふん、と私は得意げになった。自慢ではないが、今の私は超美人だった。前世での不遇が報われたのだろう。

 実は、私には遠い昔の記憶がある。別人格とでもいうのだろうか。いわゆる前世というやつだと思う。

 私の前世は「小森まどか」という冴えない非モテ街道を突き進む理系女子だった。植物研究に明け暮れた結果、恋人なしイコール年齢という淋しい人生だった。

 おまけに信号無視のトラックに跳ねられ、大学四年の春にこの世を去ることになってしまったのだ。

 そんな前世から一転、今世では王女として生を受けた。平和な王国の第一王女。しかも、びっくりするくらいの美貌……!

 これはもう、人生イージーモード。前世で非モテだった分を取り戻そうと、恋愛する気まんまんだったのだが……。

 諸事情があり、私は長年に渡り引きこもり生活を余儀なくされた。

「父上と一緒に外遊へ行くと色んな殿方に声を掛けられて、あの頃は大変だったわね……」

 まだ、引きこもり生活をする前のことだ。

 私はメラニーの淹れてくれた紅茶をすすりながら、少女時代に思いを馳せた。当時から、私の美貌は冴えわたっていた。鏡を見ると「ひょえーーー!」と奇声を上げそうになるほどの美少女だった。

 誰が求婚してくれたのか、詳細については忘れてしまった。けれど、一人や二人ではなかったと記憶している。

 絹のような金の髪や、深い森の色をしたグリーンの瞳を褒めらた。目が合うだけで、頬を染める人間は数多くいた。

「しかしリア様! 全ては遠い昔の話でございますよ……!!」

 身上書を持ったまま、メラニーは語気を強める。

「リア様にご執心だった皆様は全員、ご結婚されていらっしゃいます。お子様もお生まれになり、先代から王位を継承し、ご立派に王族としての責務を全うしておられますよ!」

「……悪かったね、私だけまだ未婚で」

 美しい細工が施された銀色のティーカップをソーサーに置き、私は膝を抱えた。

「リア様は今年、25歳になられます」

「そうね」

「この国の平均初婚年齢は16歳ですから、かなり適齢期を過ぎておられます」

「……う、うん」

「難しいですね」

「な、なにが……?」

「無礼を承知で申し上げますと、一般的に適齢期を過ぎると結婚するのは難しいのです。それが我が国の婚活の現実なのです」

「え、嘘……」

 それじゃ、私っていわゆる行き遅れってこと? 王女なのに……? 

 はぁ、とメラニーがため息を吐く。

「リア様には、早く結婚相手を見つけるようにと、散々申し上げてきたつもりですが」

「そ、そうだけど。仕方ないじゃない……。国の危機だったんだから」

 元々、コスティール王国は非常に豊かな国だった。

 しかし、十年ほど前に干ばつが起こり植物が育たなくなってしまったのだ。主食である穀物が大打撃を受け、飢饉に陥った。そこで、私の前世である「小森まどか」が役に立った。

 穀物の品種改良に成功して、無事に国を救ったのだ。つまり、私は英雄。その私が結婚できないなんて……。

「リア様は植物研究のため、お部屋にこもられていたでしょう? その間に、十年が経ってしまったのです!」

「で、でも、そのおかげで品種を改良に成功したのよ。国の危機を救ったのよ?」

「草の研究なんて、他の研究者に任せておけば良かったんですよ! 草に夢中になっている間に、すっかり婚期を逃してしまって……!」

 メラニーが肩を落としている。研究していたのは草ではなく、穀物の苗なのだが……。

「で、でも、身上書は届いてるんでしょう?」

 メラニーを上目遣いで見る。

「どれもこれも、リア様を第二夫人に、とのことです。コスティール王国の王女を第二夫人にしようとするなんて許せませんっ!!」

 忌々しげにメラニーが呟く。彼女がテーブルに投げつけた身上書が、勢い余ってリアの元に滑り落ちてきた。

「支度金を準備、そちらの言い値でかまわぬ……?」

 ふいに目に留まった文章を読み上げると、ますますメラニーが怒った。

「リア様への侮辱ですっ!!」

 確かに、そうかもしれない。第二夫人に権限は与えられない。ほとんど愛人扱いのようなものだ。

「ここにある身上書の九割九分九厘が、リア様の儚げな美貌が目当てなのです。汚らわしいですわ……!」

 メラニーの表情が翳った。私は傷ついた素振りを見せず、というか全く傷つかずに「そっかぁ」と明るく返した。

 美貌が目当て。なんという良い響きだろう。前世では無縁だった言葉だ。 

「ねぇ、メラニー。九割九分九厘ってことは、ゼロじゃないんだよね?」

「……おひとりだけ、いらっしゃいますけどね。第一夫人として迎え入れたいという方が」

 しぶしぶといった表情で、メアリーが私に身上書を渡してくる。

「どれどれ……」

 私はじっくりと目を通した。

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            身上書

イヴァノフ・モルガン

本籍地:コスティール、モルガン領
現住所:コスティール、モルガン領(山岳地帯)

R5年4月17日生

趣味:木の実採集
特技:料理
身長:213センチ
体重:104キロ
既往症:なし。ただし換毛期あり、年2回。
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「イヴァノフ・モルガンって、良い名前だね。あ、本籍がコスティールになってる。国内の人かぁ」

「北の領地を治めるモルガン家のご子息ですね」

 そういえば、モルガンの名前は聞いたことがある。北の領地は広大で山々に囲まれ、冬は厳しい寒さだと聞く。

「えっと……今は、山岳地帯で暮らしてるみたいだね」

「かなり辺境の地ですね」

「R2年4月17日生……?」

 目を凝らして、何度も見る。どう見てもRだ。Rはリゼッタ。リゼッタ2年ということは。

「このひと、私より四つも年下だよ」

 私はS43年9月2日生まれだ。Sはサロメ。

「サロメ生まれって、リゼッタ生まれのひとからしたら年寄りじゃない?」

「年齢差なんて些細なことです。その先に、大事なことが書かれてありますから」

 早く続きを読むよう、メアリーが促す。

「趣味が木の実採集……? 私は植物が好きだから、気が合いそうだよ」

 貴族にはめずらしい趣味だ。好感度が上がる。

「メラニー、このひと特技が料理だって! すごいね、貴族なのに自分で料理するなんて。私なんて一度もやったことないよ」

 どんなひとなんだろう。あ、もしかしたら、料理をしたことがない私は相手からするとマイナス査定かもしれない。私は真面目に婚活に励むつもりだから、料理の練習もしておこう。

 そんなことを考えながら読み進めていくと、身長の欄に目が留まった。

「身長が213センチ……?」

 書き間違いではないだろうか。思わず顔を上げてメアリーを見る。

「体重は104キロだそうですよ」

 どうやら間違いではないらしい。

「重すぎない?」

 いや、でも身長から考えると標準体重かもしれない。むしろスマート体型? 身長が高すぎて自分と比較できない。私の身長は155センチほどだし、体重は40キロ(嘘、本当は43キロ)だ。

「あのさ、メアリー。既往症はないって書いてあるんだけど。この換毛期って、もしかして……?」

 私は、ごくりと唾を飲む。

「このイヴァノフ・モルガンとおっしゃる方は、狼獣人でいらっしゃいます」

 ビバ――――――! 

 私は心の中で歓喜の雄たけびを上げた。何を隠そう、私は、その、なんというか獣人が好きだ。シンプルにいうと好みのタイプということになる。

 この世界では、人間と獣人が暮らしているのだ。数は、圧倒的に人間のほうが多いのだけど。

「獣人さん……!」

 それなら身長と体重も納得がいく。換毛期と書いてあるけど、体毛は何色だろう。野生の狼と同じ色をしているのだろうか。想像を膨らませていると、メアリーがずいっと目の前に来た。

「リア様、相手は獣人ですよ獣人。まさか、お会いになるなんておっしゃらないですよね……?」

 メアリーが焦ったように言い募る。

「え? 私はぜんぜん良いと思ってるんだけど。そもそも、他に第一夫人としてもらってくれる相手もいなさそうだし!」

「獣人は、野蛮だという噂もあります」

「ただの噂じゃない?」

 もしかしたら、実際に野蛮な獣人はいるのかもしれない。でも、獣人というだけで一括りにするのは違う気がする。

「山岳地帯で暮らしていることも気になります。人間に危害を加えたせいで、辺境の地に追いやられたのではと……」

 メアリーが両手でスカートの裾をぎゅっと握る。私を心配して言ってくれていることは分かる。

「直接、聞いてみればいいんだよ。あ、そうだ。初めて彼と顔を合わせる場には、メアリーも出席してくれない?」

 うきうきしながら私が言うと、彼女は「とんでもございません!」と首を振った。

「そのような場に、世話係である私が出ていけるはずがありません」

「いいじゃない。世話係といっても、メアリーは私にとって母親のようなものだし」

 私の母親は、私を産んでまもなく亡くなった。元々体の弱いひとだったらしい。

「リア様……」

 メアリーが涙ぐむ。

「このままずっと、王宮で暮らすことはできないのですか……?」

「……自分で決めたことなの」

 そう。私は恋愛がしたい! 恋愛がムリなら結婚でも良い!

 私はメアリーの小さな肩をさすった。彼女の泣き顔を見ると、心臓がぎゅっと痛む。
 
 ふいに窓の外を見ると、黄金色に輝く穂が見えた。

 私が品種改良したものだ。もとは脆弱な種だった。なかなか育たず、毎年ほんのわずかに実をつけるだけだった。

 でも、今は大きく実って垂れている。

 コスティールの国土のあらゆる場所に根を張っている。風に揺れて、夕陽にきらめく黄金の穂が靡いているのだ。

「素晴らしい景色ね……」

 自分でも驚くほど、穏やかな声が漏れた。

2.狼獣人、辺境の地に身を潜める

「う、嘘だろ……」

 コスティールのモルガン領、山岳地帯にある山小屋の中で俺は呆然となった。

 どうやら自分は王女を嫁に迎えるらしい。

 まだ完全に決まった話ではないが、その可能性が高いこと、その方向で事態が進んでいるらしいことが、実家から届いた手紙には書かれている。

「そもそも、この手紙って本物か……?」

 あまりにも突拍子がなさすぎる。俺は開封した封筒を再度、じっくりと検分した。ちなみに手紙は今朝、ポストに入っていた。

「ちゃんと蝋封が施されてるな」

 蝋封にはモルガンの家系を表すシンボルマーク、切り立った山がしっかりと確認できた。それはつまり、この手紙が本物であることを示しているわけで……。

「あ、しまった」

 顔に近づけ過ぎたせいで、封筒を濡らしてしまった。俺はマズル(鼻口部)が長い。おまけに鼻先は常に濡れているので、書類などに目を通す際は注意が必要なのだ。

 手紙を持つ自分の手に視線を落として、何ともいえない気持ちになる。

 銀色の毛に覆われた手。指先からは、鋭い爪が伸びている。

「はぁ……」

 無意識にため息が漏れた。俺は普通の人間ではない。獣人だ。種別は狼。大昔には獣人もめずらしくなかったというが、現代では滅多に見かけない。
 
 おかげで珍獣扱いだ。

 ご先祖さまには申し訳ないが、俺は隔世遺伝を恨んでいる。

 こんな辺鄙な場所で一人暮らしをしているのも、家族の中で自分だけ姿形が違っているのも、子供の頃に「あ、犬が二足歩行してる!」とか「見て、ワンちゃんが服を着てるよ」と笑われて恥ずかしい思いをしたのも、すべてご先祖さまの遺伝子のせいなのだ。

「俺は犬じゃなくて、狼なんだよ!!」

「なーーにが、ワンちゃんだ!!」

「素っ裸で外にいたら変質者だろうが!!」

 大声を出しても近所迷惑にはなるはずもないので、思いっきり叫んでみる。最後にぐるるると喉が鳴ってしまった。意図していなかったので落ち込んだ。普通の人間はこんな風に唸ったりしない。

 がっくりと肩を落とすと、その拍子に封筒の中から一枚の紙がはらりと落ちた。
 
 どうやら、書類がもう一枚入っていたらしい。

「なんだ……? 身上書……?」

 書かれているのは、リア・シュヴァリエなる人物の一身に関する事柄。紛れも無く、コスティール王国の王女の身上書だった。

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            身上書

リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート・クリステル・トトゥ
 
本籍地:コスティール首都
現住所:コスティール首都(王宮)

S43年9月2日生

趣味:乳母とのお茶会
特技:植物研究
身長:155センチ
体重:40キロ
既往症:なし
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 俺は濡れた鼻先を手の甲で念入りにごしごしと拭った。そして、なるべくマズルを書類から離して注意深く身上書に目を通す。

「リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート……? まだ続くのか? 長ったらしい名前だな。おまけに何か偉そうだし、嫌味な感じだ」

 王女だから、偉そうも何もないのだが。

「えーーと、それで、本籍地はコスティールの首都。現在は王宮で暮らしてるのか。ふん、どうせ贅沢三昧なんだろ」

 鼻を鳴らしたのと同時に、俺は手を鼻先に持っていき確認した。もう湿りかけていたので、げんなりしながら鼻を拭く。
 
「S43年9月2日生……?」

 改めて身上書を眺めていると、生年月日に目が留まった。サロメ43年ということは、この贅沢王女は俺より4つ年上だ。

「姉さん女房……!!」

 魅惑の響きに、思わずごくりと喉が鳴る。興奮したせいで、喉元からぐるるるという厳つい声が漏れる。

「落ち着け、俺……!」

 自分で自分を宥めつつ、先を読む。

「趣味は、お茶会……」

 げぇ。絶対に自分は、この王女とは合わない。そう確信する。俺は華やかで賑やかな場所が大嫌いなのだ。死んでも人前には出たくない。

「まぁ、でも乳母とって書いてあるから割と質素で静かなお茶会かもしれないし……。名前だって、よく見れば可愛いかもしれないし……」

 魅惑の年上妻の妄想に引っ張られて、ついついジャッジが甘くなる。

「趣味は植物研究か……。どんな研究をしてたんだろう。というか、まさかのインテリ妻……?」

 年上インテリ妻の妄想で、またしても喉が鳴る。

「身長が155センチって、ずいぶん小柄だな。普通の人間ならそのくらいなのか……?」

 人目を避け、山岳地帯での引きこもり生活も7年が経過した。すっかり成人女性の基準が分からなくなっている。

「体重40キロって、俺の半分もないじゃないか」

 途端に王女が弱々しい生き物に思えてくる。まぁ、俺が頑丈で厳ついだけなんだが。つい顔を寄せてしまい、濡れた鼻先がわずかに掠った。俺は慌てて顔を離す。

「いや、やっぱり信じられない。本当に王女と結婚するのか? 俺が? もし婚姻関係になったとして、王女はどこで暮らすんだ? まさか、この小屋じゃないよな……」

 首都は一年中、気候が穏やかだと聞いたことがある。それに比べて、モルガンの冬は過酷だ。山岳地帯は特に。

「こんな場所で、暮らしていけないよな……?」

 気候の問題もあるが、住まいもかなり質素になる。俺は住み慣れた小屋をぐるりと見渡した。寝室、キッチン、仕事部屋、毛繕い部屋。狼獣人の俺でも不自由なく暮らせるほどには広々とした空間だ。

 外には貯蔵庫もある。少しずつ自分で手を加えた自慢の小屋だった。貯蔵庫には畑で収穫した野菜や瓶詰にした食料を保管している。

 毛繕い部屋は、換毛期にばっさばっさと毛を落とす場所として使っている。ひとつ、そういう部屋を用意しておいたほうが掃除が楽なのだ。

 ちなみに、換毛期は絶対に仕事部屋には入らない。商品に毛が混入するのを防ぐためだ。俺は畑でハーブを栽培している。モルガンの山岳地帯でも育つ丈夫な品種で、乾燥させてハーブティーにして販売している。

 採取した木の実や種子をすり潰してハーブと混ぜて、スパイスとしても商品展開している。

 山を少し下ったところに、手作りの幟が立っている。切り立った山のマーク。俺の店である『ハーブ&スパイス・モルガン』の目印だ。

 設置した棚に商品をずらりと並べている。代金は幟の下に置かれた木箱に入れるシステムで、この無人販売はモルガン領では割とポピュラーな営業形態だった。

 おかげで、人間と顔を合わせることなく利益を得ている。山岳地帯の高原にある小屋に引きこもってはいるものの、俺は立派な働く社会人なのだ。

「だから、俺にも嫁をもらう資格はある!!」

 とはいえ、相手が王女というのはやはり予想外過ぎる。

 自分でいうのも悲しいのだが、辺境暮らしの獣人のところに嫁に来ようなんて考える奴は、よほどの変わり者に違いない。

「そうか、変わり者だから王族のくせに25歳にもなって独り身なのか」

 平均初婚年齢が16歳のこの国では、25歳ともなると立派な行き遅れということになる。

「も、もしかして、なにか陰謀が蠢いているのか……?」

 めちゃくちゃ嫌な予感がする。

 何か、国家的な企みに巻き込まれようとしているのでは?

 ちなみに、俺は毎日のように嫌な予感を察知している。たいてい杞憂に終わるのだが。しかし、ついあれこれと心配してしまうのだ。後ろ向きな思考になることもしばしば……。

「この結婚、やめる!!」

 俺は静かに生きていきたい。笑われるのも利用されるのも嫌だ。 

 魅惑の年上妻は儚い夢だった。

 俺は実家に手紙を書いて送った。王女の嫁なんてもらいたくない。断固としてお断り。そうしたためて送ると、すぐに返信があった。母からだった。

『コスティール国王から直々に頂戴した縁談なのよ。我が弱小モルガン家に拒否権なんてありません。子供じゃないんだから、ワガママを言わないでちょうだいね。もうお見合いの日取りも決まっていますから。ママはコスティールの王族と親族関係を結びたいです。あなたの愛しのママより』

 くそがっ!!

 俺は母からの手紙をビリビリと破いた。この縁談を断れないことは分かった。たしかにそうだ。国王に逆らうことになる。

 しかし「王族と親族関係を結びたい」とかいう、己の欲望をストレートに綴っていることに憤りを感じる。自己中心的な母らしい。いっそ清々しいほどだ。

 ふんっ!!

 思いっきり鼻を鳴らし、同時に途方に暮れた。母が記した見合いの日は、もうすぐそこまで迫っていた。

3.王女は、もふもふを愛でたい

 もうずいぶん昔のことだけど、獣人は奴隷として扱われていた時代がある。良い印象を持たないひとがいるのは、その頃の名残なのかもしれない。

 私は前世からの「生粋のもふもふ好き」なので、もちろん良い印象しかない。仕事に行き詰まると、よく動画サイトでもふもふ動画を見漁っていた。

 もふもふは良い。とにかく癒される。ずんぐりむっくりだったり、スマートだったり、大きかったり小さかったりと、もふもふにも色々あるけれど、皆それぞれに良さがある。

 見ているだけで気持ちが和むし、触ると落ち着く。実家で飼っていたトイ・プードルのもこもこなくせっ毛を思い出し、懐かしさで泣きそうになった。

 ワガママな性格だったが、もふもふのためなら喜んで「言いなり」になる。ご機嫌うかがいをしてから、肉球に触れさせていただく。思いっきり撫でまわし、可愛がり、そして最後に思いっきりスーハ―するのだ。

 なんともいえない匂いだったなぁ……。

 スーハ―、スーハ―、スーハ―。

「リア様?」

 メラニーの声が聞こえて、私は我に返った。

 私の向かいには、艶やかな銀色の毛を靡かせている狼獣人がいる。ピンと立った両耳と、長くて立派なマズル。言葉を発する度に、真っ白な牙が見え隠れしている。

 そうだ。今は、お見合いの真っ最中だった。しっかりしないと……。

 相手の狼獣人がイケメンで好みのタイプすぎて、つい意識が飛んでいたようだ。

「……あんまり、きょろきょろするなよ」

 イヴァノフ・モルガンが、隣の席の母親をたしなめるように低い声で言った。

(低く響く声が素敵……!)

 私はカッと目を見開いて、イヴァノフを凝視する。

「だって、コスティールの王宮に招かれたのよ? もう二度とないかもしれないんだから、しっかりと目に焼き付けておかないと!」

 ばっちりメイクのモルガン母が、興味深そうに周囲を見渡している。立派な額縁に入れられた絵画も、大小様々な調度品も、私にはすべて見慣れたものだ。

 客人が王宮内のものに見惚れることは間々あるので、モルガン母に声をかける。

「お好きなだけご覧になってください。よろしければ、メラニーに王宮のなかを案内させましょうか」

「ぜひっ! よろこんで!!」

 モルガン母が食い気味に反応する。

「リア様、うちの子と二人っきりになってもご心配には及びません! 見た目はこんなですけど突然襲い掛かったりしませんから。どうか、ご安心くださいませ!」

 モルガン母が高らかに宣言する。彼女とメアリーが席を離れた場合、私とイヴァノフの二人が残されるかたちになる。

 この場にいるのは、私とイヴァノフ、モルガン母とメアリーの四人。コスティールでは、お見合いの席は当事者二人と付き添いが各一名と定められているのだ。 

 イヴァノフが、ふんっと鼻を鳴らした。

 自分の母親をうんざりした表情で眺めている。なんだか反抗期の少年みたいな顔だ。私はくすっと笑いながら、モルガン母に「大丈夫ですよ」と伝えた。

「そういった心配は、まったくしていませんから」

 モルガン母とメラニーが席を立ったあと、私はイヴァノフに手を差し出した。

「ちゃんと挨拶ができなかった気がするので。改めまして、私はリア・シュヴァリエです」

「……俺は、イヴァノフ・モルガン。落ち着きのない母で申し訳ない」

 広間に入ってきた瞬間から、モルガン母は大興奮していた。「広い! 豪華! 綺麗!」と目をキラキラさせながらハイテンションになり、おかげで挨拶も出来ないままだった。

 おそるおそる、といった感じでイヴァノフが手を伸ばしてくる。

 私はそっと爪に触れ、やさしく撫でる。それから銀色の毛と肉球にも触れ、爪の先端をきゅっと握った。

「……挨拶の仕方、よく知ってるな」

「教わったの」

 嘘だ。獣人に関する文献を読みまくって知った。

「きみの毛、ふわふわしているのね。もっと硬いのかと思っていたけれど」

 失礼かと思ったけれど、触り心地が良いのでさらさらと撫でてみる。

 なめらかで、しっとりして、触り心地がいい。光沢があるせいか、撫でると銀色の体毛が輝いて見えた。

「あんまり触ると、抜けるぞ」

 視線を逸らしながらぶっきらぼうに言う。その表情が、なぜか傷ついているように見えた。痛そうな、なにかを怖がっているような。

「ごめんなさい、もしかして痛かった?」

「そうじゃなくて。抜けたら嫌だろ」

「イヤじゃないけど?」

 弾かれたように、イヴァノフが私を見る。彼の瞳がきれいな色をしていることに、ようやく気付いた。どこまでも透き通った海みたいな色。淡いブルーだった。

 きれいな瞳に見られて、胸の奥がぎゅっと痛くなった。上手に息ができなくて、浅い呼吸を繰り返す。

「あ、私の名前、本当はすごく長くてね。リア・シュヴァリエの続きは……」

 会話が途切れて、沈黙が流れていることに落ち着かなくなる。聞かれてもいない名前のことを言い出したのは、他に話すことが見つからなかったからだ。
 
「知っている」

 イヴァノフが私の言葉を遮った。

「身上書に記してあった」

「あ、そういえば、そうだね」

「リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート・クリステル・トトゥ」

 まさかフルネームで呼ばれるとは思わなかった。覚えてくれたんだ……。

「練習した」

「覚えるために? 長いものね」

「違う。発音が苦手だ」

 発音……? 外国で暮らしていたのだろうか。意味がわからなくて首をかしげると、イヴァノフがぷいっと視線をそらした。

 少し不貞腐れたような、またしても反抗期の子供みたいな顔。

「……鼻口部が人間と違うから、苦手な言葉がある」

 なるほど。それは考えたことがなかった。どうやら、彼は「ティ」と「トゥ」が不得意らしい。真面目に「トゥ」の発音を練習する彼を想像したら、なんだかほっこりした。

「ふふっ」

 思わず微笑むと、むすっとした顔のイヴァノフに睨まれた。

 キリッとした目で凄まれても、少しも恐怖を感じない。牙があって、爪があって、自分よりずっと体が大きくて。でも、ぜんぜん怖くない。

「イヴァノフ・モルガンって、とても良い名前だね」

 身上書を見たときから、ずっとそう思っていた。

「……そうか?」

「モルガンって、私も名乗っていい?」

 握った彼の爪がわずかに震えた。驚いたように、淡いブルーの瞳が見開かれる。

「……だめ?」

 泣きそうに震える声に、自分でも驚く。こんな風に誰かに言ったことは、今まで一度もない。前世でも、今世でも。

「名前、もっと長くなるぞ」

「ほんとだね。練習しないと」

「覚えられるだろ」

 気づいたら握り返されていた。掴んでいた爪の硬い感触だけじゃなくて、少しだけザラついた肉球から体温を感じた。とても温かくて、やさしいぬくもりだった。

4.狼獣人、赤面する

 王女との初対面を迎える前のことだ。

 俺は毛繕い部屋で全身の毛を櫛で梳きまくっていた。先端が鋭くなっている爪は短く切りそろえて、さらに念入りにヤスリをかけた。

 万が一にでも爪で王女を引っ掻いて傷でもつけたら、弱小モルガン家は木っ端みじんに吹き飛んでしまうかもしれない。爪は尖っているほうがイケているのだが、仕方がない。先端に少しだけ丸みを作った。

 王宮へ出向くのは正直にいって気が重い。正装をするのも面倒だ。俺は普段、ハーブ畑で土にまみれている。動きやすさ重視の衣類しか持っていないのだ。

 コスティール国内には、一店舗だけ獣人衣類を揃える店がある。もちろんフォーマルウエアも取り扱っている。問い合わせるとすぐにカタログが届いた。

 自分の毛並みが最も映えるのは……いや、この光沢は良い生地だな……あ、やっぱり値段が張るな……。ページをめくりながら慎重に吟味した。

 数日後、オーダーした最上級品が仕上がって無事に届いた。鏡の前で袖を通してみる。毛を梳きまくったせいで毛並みは美しいし、オーダー品は体にフィットして自分に似合っている。高額な代金を支払っただけのことはあった。

 俺はその格好のまま、テーブルに着いた。気ままな一人暮らしのせいで記憶の彼方に消えたテーブルマナーを再び習得しなければ。

 これでも俺はモルガン家の生まれだ。王家と比べたら弱小でも、北の領地を治める立派な一族の一員なのだ。当然、子供の頃からみっちりと叩き込まれた。

 どんな高級レストランに行っても余裕で振る舞えた。まぁ、良い思い出はないのだが……。

『ねぇ、あのワンちゃんお利口さんだよ!』 

『ほんと、吠えずにお行儀が良い子ね』

『でも椅子に座ってる姿、なんか笑えるよな』

『しっ、聞こえるわよ。でも見て、ちゃんとスプーンとフォーク使って食べてるわ』

 ひそひそとクスクス。思い出すと恥辱で顔がカッと赤くなる。俺は過去の記憶を振り払い、少しでもバカにされないようテーブルマナーの習得に励んだ。

 そして次は、発声練習。

「リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート・クリステル・ト……ト……」
 
 駄目だ。最後が言えない。

「ト……ト、トォ……!」

 どうしても最後の「トトゥ」で躓く。俺は「ティ」と「トゥ」が苦手だ。それ以外ならまったく問題がないのに、よりにもよって王女の名前に「トゥ」が入っているなんて。忌々しい。嫌がらせもいいところだ。

「でも、相手の名前をきちんと言えないのは失礼だしな……」

 俺は力いっぱい、口先を尖らせて「トゥ」と発音してみる。

「ピュー……!」

 空気と一緒に、声にならない「ピュー」という音が出た。口笛みたいだ。自分は何をやっているんだろう。滑稽で情けなくて、涙が出そうになる。

 それでも諦めずに練習していると、「ピュー」から「てゅ」になった。「てゅ」なんてもう、ほとんど「トゥ」みたいなものだ。あとはもう勢いと雰囲気で「トゥ」と言っている風に装えばいい。

 そんなことを考えながらほっとしていると、ついに初対面の前日。

「トゥ! トゥ! トトゥ!」

 俺は、ついに「トゥ」を完全克服した。

「リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート・クリステル・トトゥ……!」

 軽快な舌さばきに心が躍る。これでもう怖いものなしだ。嫁になるかもしれない王女の名前を、俺は得意気に何度も呼んでいた。

 獣人に対する人間の態度は、おおよそ決まっている。怯えるか、差別するか。だいたいそのどちらかだ。ごくまれに「自分は獣人を理解しています」という人間がいる。

 正しく訳すと「私はかわいそうな獣人を理解してあげている立派な人間です」ということになる。彼らには、残念ながら獣人を見下しているという自覚がない。なかなか厄介な存在だった。

「私はリア・シュヴァリエです」

 王女が俺に向かって手を差し出したとき、この人間もそうなのかもしれないと思った。怯える様子がまるでなかったからだ。

 見下されているのだろうか。気が重いなと思いながら手を差し出すと、王女はまず爪に触れ、少し撫でるような仕草を見せてから毛並みを確かめ、肉球にも手を伸ばした。

 最後に、爪の先端をきゅっと握る。驚いたことに、王女は獣人の握手の仕方を知っていた。

 自分の真っ黒な爪を握るすべすべの白い手を見る。小さな手だ。薄くて柔らかそうな皮膚をしている。もちろん傷ひとつない。丹念にヤスリをかけてよかったと思った。鋭いままだったら、きっと簡単に先端が柔肌に食い込んでしまう。

「ふわふわだね」

 王女にうっとりした声で言われて、毛を梳きまくった甲斐があったと密かに満足する。

 白い手が、さわさわと俺の毛並みを撫でている。

 めずらしいのだろう。悪い気はしないのだが、ひとつ心配なことがある。換毛期が近いのだ。憂鬱な季節。抜け毛が気になる時節……。

 換毛期には嫌な思い出が多い。子供の頃の話だが、友達と食事中にもっふもっふと毛が抜けて眉を顰められたり、お気に入りのぬいぐるみにうっかり触れて大量の毛を付着させて泣かれたり。

 悪気はゼロなのだが、悪気がないからといって「はいそうですか」と許されるものではない。俺だってスープの中に狼の毛が混入していたら嫌だし、大事な物には他人の毛なんて一本でも付けられたくはない。

「あんまり触ると、抜けるぞ」

 わざわざ忠告してやったのに、なにを勘違いしたのか王女は「もしかして痛かった?」と訊いてきた。撫でまわしているだけで痛いはずがない。たとえ引っ張られていようとも、彼女の非力さではむず痒いだけだろう。

「そうじゃなくて。抜けたら嫌だろ」

 改めて忠告する。

「イヤじゃないけど?」
 
 王女が、何でもないことのように言った。

 あっさりと返された瞬間、何か鋭いもので心臓を抉られた気がした。ぎゅーーっと絞られるような感じがする。とてつもなく胸が痛い。なんだこれは。病気か? 急に病を発症したのか?

 ひとりでパニックになっていると、王女は急に自分の名前が長いのだと説明を始めた。何をいまさら。そんなことは身上書を見たので知っている。

「リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート・クリステル・トトゥ」

 フルネームを口にすると、王女は驚いた顔をした。妙にうれしくなって、俺はつい正直に発声練習をしたことを打ち明けた。「ふふっ」と、彼女はくすぐったそうに笑った。

 笑われるのは大嫌いなのに、なぜか嫌な感じはしなかった。

 美貌のせいか冷たい印象だったが、笑うと幼く見えるのだと知った。身分をかさに偉そうな態度をとることもない。

 もしここが王宮でなければ、仰々しい衣装を身に纏っていなければ、彼はただ優しく笑うきれいなお姉さんだろう。そんな彼女に、手を握られている。改めて認識すると落ち着かない。またしても心臓がぎゅうぎゅうと痛くなってきた。

「モルガンって、私も名乗っていい?」

 手を握ったまま、王女が俺に言った。

 言葉の意味を理解した瞬間、全身の毛がばっさばっさと靡いた。いや、実際は靡いてはいないのだが、そういう感覚だった。

 それにしても、一生の不覚だ。嫁になる相手からプロポーズをされるとは。先を越されてしまった。まぁ、俺のほうが年下だしな。プロポーズ的なことは、顔を立てるという意味で譲ってやってもいい。

 そんな風に、頭の中では王女を相手に偉そうなことを考えていたが、実際のところ俺はめちゃくちゃ赤面していた。顔から火が出るほど真っ赤だった。

 しかし毛に覆われているおかげで、その事実は誰も知らない。王女にはバレていない。今日ほど獣人でよかったと思った日はなかった。

5.王女、儀式に臨む

 王室には様々な儀式がある。

 誕生月に行われる「経冠の儀」では成長するごとに、守り刀、弦楽器、冠、勲章などを授る。王室を離脱する場合、これまでに賜ったものを順に返還していくことになる。

「降嫁するって大変ね……」

 儀式はいつも厳かで空気が重苦しい。衣装もなんだか古めかしい。おまけにやたら仰々しいので肩が凝る。何日にも渡って似たような儀式をしていると、いい加減飽きてくる。

「ね、これって一度に返還できたりしないの?」

 隣にいる継母、マリアに問う。

「わたくしからは、なんとも……」

 マリアは困ったように微笑んだ。

 現王妃であるマリアは、私の母が亡くなって数年後に妃として迎え入れられた。隣国の王女だったひとだ。二人の王子を産んだ後も、なにかと私を気にかけてくれた。

「父上は、それどころじゃないしね」

 私の降嫁が決定してから、父上はすっかり気落ちしてしまった。今も涙ぐみながら神々に結婚の報告をしている。

 王室を離れるための「離位の儀」に、結婚相手は伴わないのが通例だ。

 儀式を終えた後、私はイヴァノフが暮らすモルガンの山岳地帯へ赴くことになっている。
 
 すべての儀式を終えるまで王宮を出られないこと、儀式にイヴァノフが出席できないことは事前にモルガン家に伝えてある。

『もともとイヴァノフは人前に出ることが好きではありませんから、何も問題ございません』

 モルガン母からは手紙でそう伝えられた。彼女とは、かなり頻繁にやり取りをした。

『山岳地帯で暮らすイヴァノフと手紙のやり取りをするには時間がかかりますから。ワタクシが窓口になってリア様のお手伝いをさせていただきます!』

 テンションは高めだが、さすがは由緒あるモルガン家の妻。なかなか達筆な文字だった。もしかしたら、代筆なのかもしれないけど……。

『ワタクシ、良いことを思いついたんですけど!』

 こういう場合、たいていろくでもないことが多い。

『リア様が降嫁の儀式をなさっていることは、イヴァノフには伏せておくんです。それで、予告なく突然あの子の前にリア様が現れる……! かなりびっくりすると思うんですけど。いかがでしょう?』

 前言は撤回する。完全に子供のノリだ。成人女性にあるまじき思考。本当に由緒あるモルガン家の妻なのだろうか……。手紙は代筆だろう。そうに決まっている。

 心の中で思いっきり姑(予定)を罵倒してしまったが、日が経つにつれ意外と面白そうな案ではないか、との思いが沸き上がってくる。

「私って案外、姑と気が合うタイプなのかもしれないわね……!」

 そんな風に思いながら、私はモルガン母への手紙に『御義母さまのご提案に賛成いたします』としたためた。

 この結婚にノリノリなモルガン母。

 寄り添ってくれる継母。

 本当は結婚に反対したいけれど、私の強情さを知っているので涙するしかない父上。

 静かに涙する父上には苦笑いするしかないのだが、それ以上に厄介なのが異母兄弟である弟たちの存在だった。

「姉さんの結婚には絶対に反対です。どうして美しく聡明な姉さんが、野蛮な獣人なんかの妻にならないといけないんですか?」

 涼やかな顔にあきらかな不快感が混ざっている。八歳下の弟、ルドルフは獣人に良い印象を持っていないらしい。結婚そのものはもちろん、特に相手がお気に召さないようだ。

「俺も反対です。モルガンの山岳地帯のような場所で暮らすのは危険です。姉さんにはずっと、王宮にいて欲しいんです。俺の話相手でいて欲しい……!」

 十歳下の弟、エミリオが抱き着いてくる。彼は少々ブラコンの気配がある。幼少期に可愛がり過ぎたのが原因だろう。麗しい外見の美しい弟たちなので、つい甘やかしてしまった。

「姉さんの植物研究のおかげで、この国は以前よりもずっと豊かになりました。だから、ずっと研究を続けてください。誰にも文句は言わせない!」

 ルドルフが強い口調で言う。

「なに言ってるのよ。このまま研究を続けたら私、おばあちゃんになっちゃうでしょ! ただでさえ、10年も引きこもって研究してたのに」

 おかげで私は行き遅れになったしまったのだ。まぁ、運よく好みの狼獣人と結婚する運びになったので、それは良いとして。 

「二人とも、あとのことは頼みましたよ。二人で協力して、父上の力になりなさい。コスティールがこの先、もっともっと豊かで素晴らしい国になっていくことを祈っています」

 私は背伸びをして、二人の頭を撫でた。

 儀式は、その後しばらく続いた。

「最後は、盛大にお前を見送る。歴代の王の結婚パレードより、何より……。今まで一番豪華なパレードだ。お前は国の英雄なんだからな」

 強い力で父上に抱き締められ、思わずしんみりとした。

 パレードは、父上の宣言通り盛大に執り行われた。私は白地に金の刺繍が施された衣装を身に纏った。髪はいつものようにメアリーが結い上げてくれた。

 用意された白い馬に跨ると、ラッパの音が鳴り響いた。手綱を引きながら、私はいつまでも群衆に手を振っていた。 

6.狼獣人は、出迎える

 リアとの初顔合わせからしばらく経った頃。俺は小屋の中でロッキングチェアに座り、ゆらゆらと揺れながら王宮でのことを思い返していた。

「キラキラしてたな……」

 調度品やら食器やら、やたらめったら金色で目がチカチカした。普段、目に優しい風景しか視界に入らないので余計に金ピカが気になった。

 ちなみに、一番キラキラしていたのはリアだった。金粉でもまぶしているのかと本気で疑ったほどだ。美しい人は纏う空気まで輝いていた。金色の髪も、発光するみたいにぴかぴかの白い肌も。グリーンの瞳は宝石かというくらいに煌めいていた。

「本当に、この小屋で暮らすのか……?」

 ピカピカに囲まれて暮らしていたキラキラの人間が暮らすには、あまりに味気ない小屋だ。外観は丸太と角材を重ねて積み上げたログハウス仕様。ゴージャス感は皆無だった。小屋の中は整理整頓されているが、殺風景ともいえる。

「ペンキで塗装でもしてみるか……? それで、小屋の中は飾り付けでもして……」

 チェアに身を委ね、ゆらーりゆらーりしながら思案していると、小屋の扉を叩くような音が聞こえた。

「風だろうな」

 ごくたまに、こういうことがある。ノックする音に似ているが風の仕業だ。こんな辺境の地に俺以外の人間はいないし、客が来たこともない。

 コンコン!

「しぶとい風だな」

 ドン!! ドン!!

「めちゃくちゃ強風だな。まぁ、山の天気は荒れやすいし……」

 ダンダンダンダンッ!!

「俺の大事な小屋を壊す気か!」

 立ち上がって猛ダッシュで小屋の入口に向かう。

 扉を開けると、すっきりと晴れた青空が見えた。この山岳地帯ではめずらしく穏やかな日和だ。穏やかといっても、気温は氷点下近いのだが。

「小動物のいたずらか……?」

 きょろきょろと辺りを見ていると、急に視界を金色のきらきらが遮った。

「よかった。ノックしても反応がないので、ご不在かと思いました」

 扉を叩きまくった手をさすりながら、ほっとした顔で金色の主が白い息を吐く。

「な……なん……」

 驚き過ぎてなにひとつ言葉にならない。目の前には、笑顔のリア・シュヴァリエが立っていた。

「ひ、ひとりで来たのか……?」

 なんとか自分を落ち着かせて質問する。見たところ、周囲には従者も護衛らしき人間もいない。

「えぇ!」

 リアが元気よくニコニコと返事をする。

「王女が一人で行動するなよ。危ないだろ」

「もう王族の身分を離れたので、一般人ですわ。降嫁の儀を無事に終えたの」

「そ、そうなのか」

 一般人の定義とは……。

「事前に言ってくれたら、俺だって相応のことは出来たんだが」

 モルガン家から迎えの馬車くらい出せたのに。

「というか本当にひとりで来たのか? その細っこい体格で、ここまで登ってこられるとは思えないんだが」

「山の麓まではひとりじゃなくて、馬に乗って来たの。ずーーっと手を振ってたから疲れたし、腰もがくがくしてるわ」

「なんで手を振るんだ?」

「王宮を出るとき、盛大なパレードで見送られたのよ。私は、派手なことは苦手なんだけれど。父上がどうしてもって言ってね」

 それで豪華な装いなのか。リアが纏っているのは、白地に金のレースが施された美しい衣装だった。

 ド派手な美人オーラを撒き散らしているくせに、性格は慎ましいのか……? まぁ、顔立ち自体は派手というよりも品がある造作だしな。

「すぐそこまでメアリーも一緒に来ていて。でも最後にちょっとだけひとりで山を登ったから、ひとりで来たようなものよ」

 そう言ってリアが胸を張った。

 いや、どんな理屈だよ。元王女のマイルールが横暴が過ぎる。

「荷物、それだけか? 妙に少ないが……とりあえず中に入ってくれ」

 晴れているとはいえ外は寒い。小屋の中には暖炉もある。

 リアが持っていた王家の紋章入りのバッグを受け取った。俺には軽々と持てる重さだが、彼女の細腕にはそれなりの重量なのかもしれない。

「わわっ!」

 リアが入口の段差に足を取られた。前のめりになり、そのまま倒れそうなところを片腕でキャッチする。彼女の体は、驚くほど軽かった。

 そのまま抱き上げると、リアは驚いたように目をパチパチさせた。

「人間って軽いんだな」

 ロッキングチェアに座らせようかと思ったが、換毛期が近い俺の毛が付着している恐れがある。小屋を見渡すとベッドが目に入った。今朝、起きてすぐにきれいに整えた。リネンも洗濯している。ここなら大丈夫だろう。

 ぽすっとベッドの上にリアを下ろした。

 彼女を仰向けにさせて、俺は顔を近づける。リアの華奢な体をじっと確認した。肩、腕、胸、腹……。せっかく身一つでここまで来てくれたのに、小屋に着いて早々、毛だらけにして嫌な思いをさせたくない。

 体をぐるりと反転させ、うつ伏せにする。うなじ、背中、脇腹、尻、太もも……。やはり、所々に銀色の毛が付着していた。爪先でつまんできれいにする。

 真剣になり過ぎて、ぐるるると喉が鳴った。

 足首、足裏、手の甲や指先にいたるまで、くまなくチェックする。うん、大丈夫だ。毛は完全に除去した。もう付いてない。俺は安心して、ほうっと息を吐いた。

7.元王女、よしよしする

 ベッドの上で押し倒されて、私は頭の中が真っ白になった。

 ついさっき、イヴァノフの小屋にたどり着いたばかりだった。小屋の入口で躓いたのは足に力が入っていなかったから。長い時間、馬に跨っていたせいで股関節がガクガクしていた。

 ふかふかの、けれどがっしりした腕に抱き留められた。あっという間に体が宙に浮いた。

「人間って軽いんだな」

 そう言って、イヴァノフは私をベッドに下ろした。

 大きなイヴァノフの体が伸し掛かってくる。

 ベッドがぎしっと音を立てた。仰向けのまま、彼が体を寄せてくる。

 私の体は、ぶるりと震えた。

(気が早いのね~~~~~~!!)

 心の中で歓喜する。まだ夜じゃないけれど、そんなことはどうでも良い。震えているのは武者震いだ。

 前世では異性と無縁の生活だった。今世でも殿方と触れ合うのは初めてだ。私は興味津々で、目の前のもふもふを凝視した。この目に焼き付けておきたい。

 初めての経験を!!!

 イヴァノフが、ゆっくりと私の肩口に鼻を寄せる。そのまま腕、胸、腹……。触れそうで触れない。体を反転させられ、今度はうつ伏せの体勢になった。

 うなじに鼻先が来て、くすぐったくて思わず声が漏れそうになった。

 背中、脇腹、尻、太もも……。うつ伏せになってから、ときどき彼の爪が体を掠める。服の上から、一瞬だけ触れられる感触。

 期待と期待と期待で心臓がどきどきする。恐怖や不安といった感情は皆無だ。

「ぐるるる……」
 
 耳元で低い唸り声が聞こえた。

(低音ボイス格好かっこよーーーーーー!)

 体がじんと痺れる。イヴァノフは、なぜか直接的な行為に及ぼうとしなかった。もしかして私が怖がっているとでも思っているのだろうか。

 しばらくすると、イヴァノフは体を起こした。彼がベッドから起き上がる瞬間、またぎしっと音を立てた。

(何か、気に障ったのかしら……)

 急に不安になってくる。なんといっても初心者なのだ。気が削がれることをしてしまった可能性がある。いや、むしろ何もしなかったから悪いかったのかも。そういう行為に及ぶとき、何かしらのサインというか、合図が必要だったのかもしれない。ウェルカムです!!! 的な。

 どうしたら良いか分からないまま、私もベッドの上で身を起こした。

「なんで、こんなに荷物が少ないんだ? 後で家具とか身の回りの物が届いたりするのか?」

 何事もなかったみたいにイヴァノフが言う。がっかりした声ではなかった。怒った様子もない。私は安堵としながら「御義母さまがおっしゃったので」と答えた。

 途端にイヴァノフの眉がぎゅっと寄る。

「母が何を言ったんだ?」

「えっと……」

「正直に話してくれ」

「イヴァノフの小屋は狭くてあばら家だから、大きな荷物は持っていけないって。手紙に書いてあって……」

 ちらりとイヴァノフの様子を伺うと、ぎりぎりと歯ぎしりをしていた。

 私は最初、あばら家というのがよく分からなかった。「それはなんですか?」と書いて送ると「ぼろくてせまくてきたないところです」という返信があった。

 さすがにこの事実は伏せておいたほうがいいだろう。母親に文句の手紙を殴り書きしているイヴァノフを「まぁまぁ」と宥める。

 手紙をしたためるイヴァノフの姿を改めて眺める。

 テーブルと彼の体のサイズが合っていないように思う。背中を丸めて、一生懸命にがりがりと書いている。ペンが持ちにくそうだった。長い爪が邪魔をしているのだ。

「イヴァノフ」

「なんだ」

「私が代わりに書きましょうか」

「な、なんでだ……?」

 イヴァノフが振り返る。困惑している顔が可愛い。普段はキリッとしているので、ギャップ萌えだ。

「書きにくそうだったので。これからは、なにか不便なことがあれば私がお手伝いいたしますわ」

「リア……」

 呼び捨てにされ、心臓がぎゅいんとなる。「ひょわわっ!」と変顔してしまいそうになったが、根性で耐える。

「その分、私が苦手なことはイヴァノフにお願いしたいです」

「……助け合いか」

「えぇ。私たち、結婚したんですもの。これからは、お互いに助け合って、二人で素敵な家庭を築いてまいりましょうね」

 にこりと笑うと、イヴァノフがぷいっと前を向いてしまった。

「母が失礼な手紙を送ってしまい、申し訳ない……」

「気にしておりません。私、おそらく嫁姑関係はうまくやれるタイプですわ。御母様の底抜けに明るい性格は好ましく思っております」

「底抜けに明るい性格……」

 イヴァノフが、ぽつりとつぶやく。

「えぇ」

「お、俺は暗い性格だ……」

「そうなのですか?」

 なんでも、周囲の人間から嘲笑されて育ったことで根暗な性格になったらしい。狼なのに「ワンちゃんだ」と揶揄われたり、服を着て歩いているだけでヒソヒソされたり。

 いじわるされて、泣いている幼いイヴァノフを想像したら、胸がつぶれそうなくらい痛かった。

 私は、イヴァノフの背後から彼に抱き着いた。そして、毛並みに沿ってやさしく体毛を撫でる。

 イヴァノフの体が、びくりと震えた。

「な、なにをしている……?」

「よしよし、しているんです。あなたが、とても傷ついているから。こううやって、慰めているんです」

「お、俺はもう大人だ。そんなことをされなくても……」

「私が撫でているのは、子どもの頃のあなたですわ」

 できることなら、過去に戻って幼いイヴァノフを撫でてあげたい。大きなもふもふの体を抱きながら、私はそう思った。

8.狼獣人、朝食を準備する

 小屋の朝は早い。まだ外が暗いうちから仕事を始めるのはいつものことだ。ランプの灯りを頼りに、俺は寝室を出てた。リビングに行って暖炉に火を入れる。

 窓の外をのぞくと、暗闇の中に雪がちらついていた。

 建物の中なのに吐く息が白い。俺は両手を擦りあわせた。小屋は山頂付近にあって、ほとんど一年じゅう雪が降っている。気温は常に氷点下だった。

(今日は、少し積もるかもしれない……)

 目覚めの良くなる、すっきりブレンドのハーブティを淹れる。俺は毎朝、これを飲みながらロッキングチェアに身を委ねるのが習慣なのだ。ぼんやりと窓の外を見た。

 いつもの癖で、ゆらーり、ゆらーりとチェアを揺らす。途端に体にビキッとした痛みが走った。
 
 思わず顔をしかめる。体の節々が痛い。普段から肉体労働をしている俺が、まさか筋肉痛に苦しむことになるとは。この症状の原因は、リアのせいだ。

(おかしな体勢で寝たからだろうな)

 ……いや、実際はほとんど眠れていないのだが。

 俺はリアのために、新たなベッドを準備した。ふかふかのお姫様仕様だ。レースたっぷり、天蓋付きの特別なベッド。もちろんレースを縫い付けたのは俺だ。こう見えて俺は裁縫は得意なのだ。

 なかなかの出来たと自負していたのに、リアはそのベッドを使うことを拒否した。「イヴァノフと同じベッドが良いわ」などと怖ろしいことを言った。

 何度もいうが、俺は換毛期が近い。抜け毛が気になる時期なのだ。同じベッドで寝るなんてどんでもない。リアの体に毛が付着してしまう。

 彼女にもそう説明したのだが、リアは自分の主張を撤回しなかった。

「ワガママな奴だ……!」

 まぁ、王女として何不自由ない生活をしていたのだから、ワガママな性格でも仕方ない。それは良いとして。

(そ、それに。俺は、臭いから……)

 ぎゅうっと胸が痛む。子供の頃から、幾度となく指摘されてきた。「獣臭い」と。母からも「アンタは人間より体臭が強いからね。ちゃんとケアしなさいよ」と言われたことを覚えている。親心だったのかもしれないが、かなり傷ついたのは事実だ。

 母の言いつけを守り、かなり気を付けているものの獣臭いのは仕方ない。匂いをゼロにするのはムリだ。

(だって、俺は獣人だから……)

 どうせ俺は臭いんだ。普通の人間にとってはイヤな匂いで、そんな匂いをまき散らす俺は遠巻きにされて当然なんだ。せっかく結婚できたけど、もう嫌われたかもしれない……。

 お姫様仕様のベッドを作ったのは、このためだった。嫌われたくない。臭いと思われたくない。だから、一緒のベッドで眠るという事態は避けたかった。

 しかし、昨夜はリアに無理やりベッドに引きずり込まれてしまった。そのせいで結局、一晩同じベッドで過ごすことになった。本気で抵抗すればリアを制することは容易いのだが、力加減が分からないのだ。

 力を入れ過ぎて、壊してしまうのが怖い。そうこうしているうちに、リアは俺の体にしがみついたまま寝息を立て始めた。俺の体毛にくるまって眠るリアを見ているとなんだか泣きそうになった。
  
 とにかく怖かった。臭くないだろうか、毛がふさふさして気持ち悪くないだろうか。心配で仕方がない。ぐるぐると思考が悪い方向へ進む。リアは「イヴァノフに抱き着いていると、暖かいですわね」と、嫌がっている様子はなかったけれども。

「はぁ……」

 朝からため息が出る。心配事が多すぎる。というか、この性格がダメなのだ。いちいち気にし過ぎというか、すぐナーバスになるというか。

 俺はハーブティを飲み干した。それから「よし」と気合を入れて、ロッキングチェアから立ち上がった。

 まずは、朝食べるパンを焼く。

 俺は前日のうちに計量しておいた小麦粉、塩、イーストをミキサーに投入した。仕込みを終えたあと、生地をこね、一次発酵、成形、二次発酵と、それぞれの工程を経て、生地を窯に入れる。

 小屋の外に小さな窯があるのだ。もちろん俺の自作。しばらくすると、小麦の良い香りが漂ってくる。この時間になると、もう外は明るい。

 いつもはシンプルな丸いパンを焼くだけなのだが、リアの好みもあるだろうと思い、バゲットやフォカッチャも作った。バゲットは半分に切って野菜とハム、チーズを挟んでサンドイッチにした。フォカッチャにはハーブを練り込んだ。

 続いて、ハーブバターをこしらえる。これは数種類のハーブにニンニク、塩を入れたとっても美味しいバターだ。パンに塗っても良いし、野菜や肉料理にも合う。

 テントを広げ、テーブルの上に朝食を並べていく。せっせと準備していたら、キイ、と小屋の扉が開く音がした。

 振り返ると、ネグリジェ姿のリアが立っていた。

 リアは、むすっとしている。寝起きが悪いタイプなのだろうか。俺はリアに近づいた。

「とっても寒いですわ」

「そんな格好をしているからだろう」

 薄手のひらひらした生地だ。やたら光沢があって上質そうだが、それでは寒いに決まっている。

「まぁ、雪ですわね……」

 はらはらと降る雪に、リアが手をかざす。王都では雪はめずらしいと聞く。モルガンの山岳違いとは違って、王都の気候は穏やからしいのだ。

「そんな格好でいると、風邪を引くぞ」

「イヴァノフが悪いのよ」

「な、なんでそうなる」

「だって、目が覚めたらイヴァノフが隣にいなかったんですもの。イヴァノフがいてくれたら暖かいのに」

 リアが駄々っ子のように言う。やはり寝起きが悪い性質のようだ。というか、俺は防寒具ではないんだが。

 そんなことを思っていたら、リアが「ん?」と首をかしげた。くんくんと鼻を動かす。

「なんだか、とっても美味しそうな匂いがしますわね……」

「あぁ。パンを焼いていたんだ」

「パン……!」

 リアが目を輝かせる。とりあえず俺は小屋から毛布を持ってきた。リアの体を毛布でくるみ、テーブルに案内する。 

 シンプルな丸いパン、フォカッチャ、サンドイッチ、と順に説明していく。

「美味しそう! 私、パンは大好物ですわ~~~!」
 
 それは良かった。俺はホッと胸を撫でおろす。リアを椅子に座らせ、俺はハーブティーの準備をする。彼女にもすっきりブレンドを淹れてやろう。そう思って、琺瑯のポットで湯を沸かし始めたのだが……。

 いや、待てよ。リアは獣人が作ったパンなんて食べたくないんじゃないか?

 パンはこねる作業がある。俺は、直接パンには触れていない。獣人のための調理用グローブがあるのだ。それを装着して、生地をこねたり成型したりしている。だから、毛が付着することはない。

 とりあえず、それを彼女に説明しなければ……!

「あ、あのな、心配しなくてもパンには触れてな……」

 俺は手を止め、リアのほうを向いた。そして、グローブのことを言おうとしたのだが、その必要はないことに気づいた。

 リアは、さっそくフォカッチャを頬張っていた。もりもりと食べている。

「このフォカッチャ、とっても美味しいわね……! こんなに美味しいパン、久々に食べたわ~~! いつもはね、グルテンフリーとかいう、見た目も味もなんだか愛想のないパンばかり食べてたの!」

「そ、そうなのか……」

 フォカッチャを食べるリアの勢いに圧倒される。 

「ハーブがたくさん入っているようだけれど、これは自家製なの?」

 もぐもぐしながら、リアがイヴァノフを見上げる。

「そうだ。俺は畑でハーブを育てている。それをフレッシュなまま販売したり、乾燥させてスパイとしても売ってる」

 経済的に自立した成人男性であることを強くアピールする。

「売り上げはそこそこあるから、リアを経済的に困窮させたりはしない」

 贅沢な暮らしは、無理かもしれないが……。 

「イヴァノフは料理上手なのね。このサンドイッチも、とっても美味しいわ」

 リアはサンドイッチにも手を伸ばししていた。彼女は細身だ。人間と深く関わっていない俺でも、それくらいは分かる。華奢な体型なのに、意外と食欲は旺盛らしい。

「小麦の香りが最高だわ」

 褒められると悪い気はしない。俺は淹れたてのハーブティをリアに手渡した。

 リアからは、丸いパンを手渡された。半分にちぎって、ハーブバターをたっぷりのせたもの。パンの熱で、じゅわっとバターが溶けている。

「ハーブバターが、じゅわっとしみているところをイヴァノフにあげます。一番美味しいところよ」 

 リアに微笑まれて、俺は危うくパンを落とすところだった。心臓がドッキンドッキンと反応する。山の向こうには朝陽が見える。まるでリアの後光のようだった。

 キラキラと光り輝くリア。パンを頬張っていいるリア。なんだか、今の状況が信じられない。目の前にいるリアを俺はいつまでも、ぼんやりと眺めていた。

9.元王女、再びよしよしする

 朝起きてすぐに飲むハーブティは格別だ。すっきり爽やか。気持ち良く一日を始めることができる。私は小屋の外にあるロッキングチェアに身を委ねていた。

 ゆらゆらと揺れながら、イヴァノフが朝食を準備する様子を眺める。彼が淹れてくれたハーブティを飲みながら、こうやって朝の時間を過ごすことが日課になっている。

 私が、この小屋に来てから今日で二週間。すっかり生活に馴染んでいる。モルガン地方は厳しい寒さだが、小屋には暖炉の灯がある。外に出ると焚火をして暖をとる手段もあるので快適だった。本当はイヴァノフに密着してもふもふの温かさを堪能したいのだけど、なぜかイヴァノフが嫌がる。

(恥ずかしいのかしらね……)

 それにしても、自分の適応能力の高さには驚くばかりだ。もちろん、イヴァノフのおかげでもある。あれこれと世話を焼いてくれるのだ。

 ハーブティーは最高だし、イヴァノフは料理上手。そして、目の前に広がる絶景。小屋は見晴らしの良い場所に建っている。モルガン山脈をぐるりと見渡せるのだ。連なる山々を眺めていると、なんだか厳かな気持ちになる。

 ほとんど毎日雪が降るけれど、晴れ間がのぞく時間も必ずある。そういうときは、必ず外に出る。どこまでも青空が広がる景色を見ると、いつも感嘆の声が漏れる。

 キンと張りつめたような、冷たく澄んだ空気。目を閉じると、さらさらと流れる小川の音が聞こえる。

 ここは、ゆっくりと時間が流れている。

 朝食を終えると、イヴァノフはすぐに仕事を始める。明るいうちは、たいてい外で畑の仕事をしている。ジーンズ生地のオーバーオールに麦わら帽子。完全に「農夫」という出で立ちで、毎日せっせと畑を耕している。

 午後からは、小屋の中にある作業部屋で仕事をする。収穫したものを選り分けたり、加工したり。乾燥したハーブを計量して、小さな透明の袋に詰めていく。

「それはなに?」

 作業中のイヴァノフに訊ねる。

「ハーブティーだ」

「そっちのは?」

「これはスパイス」

「なるほど」

 きちんと計量して、丁寧に包装していく。ちなみに、商品を袋詰めする際は体毛が混入しないよう、最新の注意を払っている。イヴァノフは完全防備だった。白い作業着をすっぽりと被っているのだ。

 ピンと立った耳が窮屈そうだった。マスクをして、獣人用のグローブも装着している。毛が落ちないために、涙ぐましい努力をしているのだ。 

 目の部分は開いているのだが、ゴーグルで覆っているので安心だとイヴァノフは胸を張っていた。職務に真面目な姿には好感を抱いた。というより、キュンキュンした。全身白装束姿のイヴァノフが、ちまちまと袋詰めしている姿に萌える。

 作業テーブルに座り、背中を丸めるようにして黙々と手を動かしている。

 商品は人間用なので、袋が小さい。イヴァノフには扱いづらそうだった。大きな爪も邪魔している。それゆえ、商品を袋詰めするスピードは決して速くない。それでも根気強く作業を続けている。

(働く男は、最高だわ……!)

 特に、室内で作業をしているイヴァノフにはいじらしさを感じる。給食当番の子(小学校低学年)が、一生懸命に給食を配膳しているような感じ。胸がきゅんと痛い。思わず抱き着いてよしよし&スーハーしたい。

(でも、ダメ……!)

 イヴァノフは仕事中だ。

 私は意を決して、以前から考えていたことを口にした。

「その袋詰めの作業、大変じゃない?」

「もう慣れたが」

 マスク越しのくぐもった声で、イヴァノフが答える。

「私が、その袋詰めの作業をするわ」

「なんだと?」

「そうすれば、あなたはもっと畑の仕事ができるじゃない? もっと生産量を上げることができるわ」

 まだ明るいうちから、イヴァノフは室内の作業をしている。素早く袋詰めができないので、どうしても時間がかかってしまうのだ。 

「生産性……は、上がるかもしれんが。妻ひとりくらい、俺は養えるぞ」

(妻……!!!)

 初めての「妻」呼びに全身の血が沸騰しそうになる。「ぎゃあ」と悶えたい感情をなんとか抑える。どうやら、イヴァノフは古風な思考の持ち主のようだ。

「私だって仕事がしたいわ」

 自分だけ、なにもしないわけにはいかない。イヴァノフに世話を焼かれるだけの人生はイヤだ。幸いにも私は植物に関しての知識がある。ハーブは専門ではないけれど、なにかしらの役に立てると思う。

 私が提案すると、イヴァノフはふいっとそっぽを向いた。  

「……俺が年下だから、頼りないと思っているんだろう。どうせ俺は畑仕事をするしか能がないさ」

 イヴァノフが、さらに背中を丸める。

「こんな場所で生活してるから、世間知らずだとリアは思っているんだろうな。どうせ俺は……」

 イヴァノフは作業していた手を止め、部屋から出て行く。リアはその後を追った。

 マスクとグローブを外し、白い作業服を脱ぐ。覆われていた体毛が、もっふんとあらわになった。窮屈そうだった耳もピンとなっている。

 イヴァノフはロッキングチェアに身を委ね、引き続き「どうせ俺は」と口にする。どうやら、めそめそタイムが発動してしまったらしい。

 繊細で、ネガティブ思考なイヴァノフ。

 私はイヴァノフのそばに寄り、ピンと立った耳に触れた。

「私、あなたが仕事をしている姿が好きだわ。土まみれになって、畑を耕している姿はたくましくて、とっても素敵よ」

「……そ、そうか?」

 嘘偽りない気持ちだ。オーバーオールと麦わら帽子姿は最高に萌える。できることなら、その姿のアクキーが欲しい。一瞬だけ前世に戻れないかと、本気で考えることもある。

「寒い場所だと育ちにくいハーブもあるのに、きちんと世話をして収穫できているのもすごいわ」

 ぴょん、と立った耳、それからおでこの辺りを撫でる。ひたすら「素敵」「すごい」と言いながらナデナデをしていると、イヴァノフは「ふしゅ」と鼻を鳴らした。

 気分が浮上しているようだ。なぜ分かるのかというと、尻尾が反応しているから。ご機嫌になると、イヴァノフの尻尾はぶんっぶんっと揺れる。

 毎回、ワンコみたいで可愛い……! と思うのだけれど、それは禁句なのだ「ワンちゃんみたい」とバカにされた記憶があるらしい。

「……私、イヴァノフの役に立ちたいの」

 しおらしい声で、私イヴァノフに囁いた。

「一緒に、お仕事がしたい……。ダメ?」 

「ま、まぁ。そういうことなら、構わんが」

 ちょろ過ぎる。なんという単純さだろう。しかし、この素直さが可愛いのだ。私はもふもふの体を撫でながら「旦那くんは今日も可愛いなぁ……」と、うっとりした。

10.狼獣人、トーチを作る

 早朝からの仕事に一区切りをつけて、俺は「ふう」とため息を吐いた。そろそろ昼食の時間だ。小屋に戻って、昼食の準備をしなければ。

 今、俺がいるハーブ畑は小屋から少し離れた場所にある。俺は手に持っていた農具をハーブ畑の畝に突き刺し、麦わら帽子を脱いだ。

 冷たい風が、頭部にビュンッと吹く。この解放感が最高だ。ひんやりと心地よい。

(獣人でも禿げるとか、あるんだろうか……)

 ふと、将来の自分の頭頂部について思いを馳せる。なにしろサンプルが足りない。周囲で獣人は俺ぐらいだった。帽子の被りすぎは将来禿げると聞いたことがある。まぁ、これは人間の話なのだが。

(麦わら帽子の特性上、そこまで蒸れはしない。大丈夫だろう……)

 大丈夫だと思いたい。人間の頭部が淋しくなるのは、特におかしなことではないと思う。そもそも、ほとんどの部位が禿げているので今さら感がある。

 しかし、獣人が禿げると一気にみすぼらしさが増す。全身が毛で覆われているので、頭の上だけ地肌が見えると滑稽だと思うのだ。

 妻帯者となったからには、できるだけ相手から「素敵」と思われる外見でいたい。獣人に素敵もクソもないと思われるかもしれないが、俺の配偶者は奇特な女性なのだ。

 こんな俺のことを褒めてくれる。「格好良い」とか「いい子」とか言って、体毛を撫でてくれるのだ。……よしよしされるのは、ちょっと情けない気もするのだが。

 俺は、大事な嫁ちゃん(最近、密かにそう呼んでいる)の腹を満たすために、小屋へとダッシュした。

 小屋に戻ると、しんと静まり返っていた。作業部屋をのぞくと、嫁ちゃんがいた。まだ仕事中のようで、黙々と作業をしている。

 長くて美しい髪をターバンで巻いている。商品に髪の毛が混入しないための防御策だ。嫁ちゃんはかなりの集中力を発揮していた。意外にも器用で手際が良いのだ。次々と商品を完成させていく。

 高貴な身分なのに、骨身を惜しまず働く嫁ちゃん。なんて素晴らしい人間なんだ。じいっと見ていたら、嫁ちゃんが俺に気づいた。

「あら、イヴァノフ」

 嫁ちゃんが微笑む。蕾がほころぶ瞬間のように尊い。あまりにも見惚れすぎて「ほえ」と情けない声が出そうになった。

 なんとか堪えて「今からメシにするぞ」と伝える。

「そういえば、お腹がすいたわね」

 嫁ちゃんが作業の手を止め、部屋から出てくる。ターバンを解くと、絹のように美しい髪がさらりと揺れた。

「お昼ごはんのメニューは?」

 そう言って、俺を見上げながら抱き着いてくる。心臓がドッキン! となった。密着されるのは、うれしい。しかし離れて欲しい気持ちが勝つ。

 畑仕事で大量に汗をかいている。汗臭いかもしれないと思うと、気が気ではない。先に水浴びをすれば良かった、と俺は後悔した。

「イヴァノフ?」

 きょとん、とした顔で嫁ちゃんが首をかしげる。

「な、なんでもない」

「そう? なら良かったわ。それで、お昼のメニューは? どんなごちそうが食べられるのかしら」

「別に、いつもと同じだぞ。オーブンで肉と野菜を焼くだけのやつだ」

 俺の得意料理だ。ハーブソルトを肉にすりこみ、大きめにカットした野菜と焼くだけ。鉄板に具材を並べ、窯に放り込むだけで簡単にできる。

「私の大好物ね。楽しみだわ~~!」

 俺の腕にぶら下がるようにして、嫁ちゃんがはしゃぐ。ちなみに、どんなにぶら下がられても重さは感じない。びっくりするくらいに彼女は軽い。

 さっそく調理用のグローブを装着して、俺は昼食の準備に取りかかった。貯蔵庫へ行き、材料を集める。今日はスペアリブを使うことにする。野菜は紫玉ねぎと、人参、じゃがいも。こんなところで良いだろう。

 ちなみに、野菜はハーブ畑の隣で育てている。肉は町から定期的に配達してもらっている。嫁ちゃんからは「狩りはしないの?」と問われたが、俺は狩猟はできない。……できないこともないのだが、猟銃を扱うのは怖いし、食べるためとはいえ自分で殺生をする勇気がないのだ。

 こんな見た目だけど、怖いものは怖い。それに俺は、もともと「良いところ」のボンボンだった。外見は野蛮でも中身はお坊ちゃまなのだ。

 だから、そういう危険なことは苦手だ。配達サービスがあるのでありがたく利用させてもらっている。山の上にある小屋まで配達してもらうのは、ちょっと割高になるのだが仕方がない。

 俺はスペアリブに切り込みを入れた。こうすることで、味がしっかりと染みこむ。秘伝のスパイスをしっかりとすり込み、少し時間をおく。その間に野菜の下ごしらえをする。

 じゃがいもはよく洗い、半分にカットする。皮を残したままにしておく。そのほうが好みなのだ。人参もよく洗って、乱切りにする。紫玉ねぎは皮を剥いて、適当な大きさにザクザクと切る。

 野菜にもミックスハーブをまぶして、スペアリブと一緒に鉄板に並べる。窯に入れたら、あとは待つだけ。じっくりと火を入れるので、少し時間がかかる。待っている間に体が冷えないよう、ハーブティーを淹れる。

 もちろん嫁ちゃんのためだ。

 ちょうど良い大きさの丸太に、斧で切り込みを入れる。地面に浅い穴を掘って丸太を少し埋める。こうすると丸太が安定する。切り込みに燃えやすい藁をねじ込み、火を付ける。これで簡単にトーチが完成する。

 手鍋に水を入れ、トーチの上に置く。しばらくすると、湯気が立ち上ってくる。

 ちなみに、嫁ちゃんはこのトーチを作るところを見るのが好きらしい。

「イヴァノフって、本当に力持ちですわね。こんなに大きな斧をいとも簡単に……」

 ギラッと光る刃に、リアが触れそうになる。

「おい、気を付けろ。危ないぞ」
 
「……分かってますわ」

 そう言って、真っ白な手を引っ込めた。嫁ちゃんに、ハーブティーを渡す。

「温かいですわね」

 一口だけ飲んで、嫁ちゃんは俺のところに来た。

「イヴァノフのそばにいると、もっとぬくぬくですわ」

 ぴったりと密着され、俺は逃げた。再び嫁ちゃんが距離を詰める。

「私がそばに寄るのはダメなんですか?」

「そ、そうじゃなくて。風下だから……」

「だから?」

「に、匂いが……」

 獣臭が気になる。風の向きを考えると、かなり危険なのだ。

「美味しそうな匂いがしていますわね。そろそろ焼き上がる頃かしら……?」

 そう言って、リアは窯のほうを見る。

「そ、そうじゃない。お、俺はの、獣の匂いが……。皆から臭いって言われているから」

 背中を丸めながら、俺はボソボソとつぶやいた。嫌な記憶だ。悲しさと恥ずかしさで泣きたくなる。

 リアが、とテーブルにハーブティーを置いた。そして、両手でぎゅうっと抱き着いてくる。

「イヴァノフが臭いなんてこと、ありませんわ……!」

 そう言って、あろうことか俺の体毛に顔をうずめる。「ひぇーー!」と声を上げそうになった。頼むから一刻も早く、俺のもさもさした体から顔を出して欲しい。

「お日様の匂いがしますよ。とっても良い匂いです」

 顔を上げて、嫁ちゃんが微笑む。ぜったいに嘘だと思う。俺に気を使ってくれているのだろう。でも、うれしい……。

(なるべく、体臭ケアには気を配ろう……)

 俺は背中を丸めたまま、密かに決意したのだった。

11.元王女、研究する

 イヴァノフが窯を開けると、ハーブの良い香りがした。スペアリブがこんがりと焼けている。私は思わず、ごくりと唾を飲んだ。

 イヴァノフに取り分けてもらい、さっそくスペアリブに手を伸ばす。

「あつっ……!」

 熱々だ。骨の部分を持って、肉にかぶりつく。噛んだ瞬間、じゅわっと肉汁があふれてきた。スペアリブは、特に脂のところが美味しい。ハーブの風味もしっかりとしみ込んでいる。

「美味しい~~!」

 骨から肉を剥ぐようにして、豪快に食べすすめる。王室では出来なかった食べ方だ。

 人参は甘い。じゃがいもはホクホク。紫玉ねぎにはイヴァノフがレモンをしぼってくれた。

「最高のランチね!」

 労働の後なので、余計に美味しく感じる。商品の袋詰め作業は、私の性に合っていると思う。というか、たいていのことは出来る。これは前世から同じで、私の特技だと思う。前世では「器用貧乏」という悲しい結果になってしまったが。
 
「そういえば、このスパイス。初めて食べるかも……」

 ちょっと独特な風味がある。もちろんお肉にも野菜にも合って、最高に美味しいのだけど。

「クセが強いかもしれん。俺は好きなんだが……」

 どうやら、売れ筋の商品ではないようだ。

「このスパイスは、どんな感じで売っているの?」

「どんなって……。他のスパイスと同じように、袋詰めして棚に並べているだけだが?」

 それでは、伝わりにくいかも。

「たとえば『こんな使い道がありますよ』みたいな説明を添えるとか、POPを作るのも良いかもしれませんね」

「ぽっぷ……?」

 あ、しまった。POPは前世の言い方だ。この世界では……。えっと、なんていうんだっけ?

「えっと、そう! レシピ! こんな風に、お肉と野菜に合いますよーー! オーブンで焼くだけでごちそうになりますよ~~! って、紙に書いて棚に貼り付けておくんです。そうすれば、きっとお客さまの目に留まりますわ」

「ふむ。なるほど……」

 イヴァノフは昼食を終えると、さっそくレシピを書き始めた。野菜を剥くところから、懇切丁寧に説明分を書いている。几帳面な性格が炸裂している……! と、私は尊い気持ちになった。

『肉には、切り込みを入れます。そうすると味がしみ込みやすく……』

 しっかりと、ワンポイントアドバイスも添えている。なんという親切心。さっそく出来上がったPOPを目立つところに貼り付けた。

 すると、嘘みたいに売れ行きが良くなった。

 せっせと袋詰めして、商品を補充する。並べても次々と売れてゆく。イヴァノフはうれしそうに、売り上げ報告をしてきた。

「良かったですわね……!」

 そう言って、頭を撫でるとイヴァノフは「ゴロゴロ」と気持ちよさそうに喉を鳴らした。

 毎日、夕方になるとイヴァノフは販売所に赴く。山を少し下ると『ハーブ&スパイス・モルガン』の幟が見えてくる。袋詰めした商品を並べて、売り上げを回収する。商品の売れ行きをチェックするのも大事な仕事だ。

 在庫が少ないものは、翌日の朝に収穫して加工する。そうして、また商品を補充するのだ。

 気を良くしたイヴァノフは、他の商品にもレシピも添えることにしたようだ。ちまちまと説明文を書いて、POPを制作している。意外……と言うと怒られそうだけど、イヴァノフは字がきれいだった。

「ずいぶん練習したぞ。というか、させられた」

 モルガン母に教育係をつけられていたようだ。

「人間の手と違うから、ペンを持ちにくいんだ。それで、ずっとヨレヨレの字だった。でも何度も練習をさせられて、今ではまともになったな」

「まともどころか、美文字ですわ」

 ダイナミックな字を書きそうなのに、筆圧は弱めで丁寧な字だ。一生懸命に練習する幼いイヴァノフを想像したら、胸がぎゅんとなった。幼少期のイヴァノフをもふもふしたい。それはムリだとしても、写真を見たい。

 ぜったいに可愛いはず……!

(そうだ。良いことを思い付ついたわ!!) 

 私は、さっそくモルガン母に手紙を送った。幼い頃のイヴァノフの写真があれば、送ってもらえないだろうかとお願いした。すぐに返信が来たのだが、なんでも今から旅行に出かけるらしい。気ままな一人旅。それも長期だという。

 旅行から戻り次第、写真を送ってくれるそうなので、ひとまず良しとする。モルガン母が旅行に行くことを伝えると、イヴァノフは分かりやすく不機嫌になった。

「まったく、お気楽なもんだ……。いつも遊びまわって」

 ヘアブラシで全身を梳きながら、イヴァノフが小言をいう。モルガン母は、どうやら活動的なひとのようだ。

「まぁまぁ、元気があって良いじゃないですか」

 私もブラシを持って、ブラッシングを手伝っている。換毛期に突入しているので、もっさもっさと毛が抜ける。この部屋はブラッシング専用部屋なのだ。

「……リア」

「なにかしら」

「本当に、イヤじゃないのか? リアに手伝ってもらわなくても、ブラッシングは俺ひとりで出来るんだが……」

 うつむき加減で、イヴァノフがちらりと私のほうを見る。

「その質問、いったい何度目かしら」

 私は、ふうっとため息を吐いた。かれこれ十回以上は聞いていると思う。その度に「大丈夫ですわ」と伝えているのだけど。

「そ、そうだが……。リアは毛だらけになっているし。迷惑じゃないかと心配で……」

 あ、また、めそめそタイムが始まりそう。なんとなく気配を感じて、私は話題を変えることにした。

「それより、最近とても商品の売れ行きが良いでしょう? 欠品になってしまった商品もあるくらいで」

 イヴァノフがPOPを制作したおかげで、どしどしと商品が売れていった。生産が追い付いていないものは欠品になってしまっている。

「モルガン山岳の気候的に、相性の悪い品種があるんだ。どうしても、育ちにくくてな……。だから欠品になってしまうのは仕方がないんだよ」

「そうでしたの……」

 なるほどね。だったら、しょうがない……ことなんて、ないですわ!

 私はブラッシングをしながら、メラメラと燃えたぎる感覚を覚えた。前世の血が騒ぐ。気候に適した品種がないのであれば、作れば良いのよ……!

 腕の見せどころですわ!!!

「イヴァノフ」

「なんだ?」

「私、しばらく実家に帰らせていただきます」

 王室には、ちょっとした研究所がある。私が引きこもっていた部屋だ。そこなら、きっと品種改良ができるはず。穀物の苗で成功したのだから、ハーブだって大丈夫だと思う。

 私が「実家に戻る」宣言をすると、イヴァノフは情けない声を上げた。

「ふぇ!?」

 途端におろおろとする。

「な、ななんでだ……? やっぱりブラッシングがイヤだったのか? それとも、俺が獣人だから? 年下で頼りないから? それとも、えっとえっと……」

 めそめそするイヴァノフに、「おだまり!」と一喝する。

「キャンッ」

 イヴァノフは子犬のような鳴き声を上げた。そんな声も出せるなんてギャップ萌えも甚だしい。「お留守番してください」と言いながら、私はよしよしと頭を撫でた。

「実家に帰って、しばらく研究室に籠ります。きっと成果を上げて帰ってきますから。それまで、お利口さんで待っていてくださいね」

「……帰ってくるのか」

「もちろんですわ」

「本当に?」

「私の家はここですもの」

「そ、そうだな……」

 指先で体毛を梳くように撫でる。根気よく説明していると、やっとイヴァノフは安心したようだ。「待ってる」と言って、ゴロゴロと喉を鳴らした。

 そんなこんなで、私は王都に戻った。
 
 弟たちと父上には、これでもかと歓迎された。メラニーには泣かれた。「傷ひとつありませんね……」と言って号泣していた。一体、彼女は私が小屋でどんな目に遭っていると思ったのだろう……。

 イヴァノフは危険な獣人ではないことを説明して、誤解を解く。弟たちと父上からの食事の誘いもきっぱりと断って、私はさっそく研究室に籠った。

 一刻も早く帰ってイヴァノフに「よしよし」をしなければならない。どうせ、すぐにめそめそタイムがやって来て、ひとりでクヨクヨしているに違いないのだ。

(出でよ! 小森まどか! 前世で研究に明け暮れた成果を出すのよ……!!)

 白衣に袖を通し、気合十分で取り掛かる。

 驚異的な集中力を発揮した私は、二週間ほどで品種改良に成功した。それぞれのハーブの葉脈がヒントになった。

(ふふっ……! 出来たわ……! 私って天才かもしれないわね)

 研究室を出ると、メラニーが卒倒した。

「リ、リア様が……」

 なんでも、私がズタボロだというのだ。失礼な、と思って鏡を見たら、たしかに彼女のいう通りだった。食事もほとんど採らずに研究に没頭した結果だった。

「なんだか、ちょっと老けたかしら……?」

 まぁ、些細な問題だ。小屋に戻ってイヴァノフが作る美味しいごはんを食べたら、一気に復活するはず。

(早く、帰りたいな……)

 イヴァノフに会いたい。もふもふに抱き抱き着いて、顔を押し付けたい。説明しがたいけれど、なんとも落ち着く匂いがするのだ。イヴァノフは、自分の匂いについて気にしていたけれど……。ちょっと香ばしくて、私は大好きな匂いなのだ。

12.狼獣人、愛を知る

「はぁ……」

 日めくりカレンダーを破りながら、俺の口から深いため息が漏れる。

 最近、一日に何度もため息を吐いている。嫁ちゃんがいない。小屋のどこにも。彼女は、実家に帰ってしまった。

 それもこれも、俺が育てているハーブの品種改良のため。売り上げを伸ばすためだ。こんなことを言っては嫁ちゃんに叱られるかもしれないが、俺は売り上げを伸ばすよりも嫁ちゃんにそばにいて欲しかった。

 さみしい。つらい。かなしい。

 畑を耕していても、食事をしていても、考えるのは嫁ちゃんのことばかり。

 彼女が王都に戻ってから、二週間以上が経過している。手紙は何度か届いた。研究が順調だと書いてあった。さすがは嫁ちゃんだ。

 俺は毎日、何度もポストを確認している。手紙が来ない日もあって、そういう日はしくしくと泣きながらベッドに入っている。

 今日が、まさにそうだ。どんなに待っても嫁ちゃんからの手紙は届かなかった。待っても待っても待っても……。

「はぁ……」

 ベッドの中で、俺はまたしてもため息は吐いた。そういえば、手紙は届かなかったが小包が届いた。嫁ちゃん宛てで、差出人は母だった。そういえば長期旅行に行っていたらしいから、その土産かなんかだろう。

「旅行土産の小包なんかより、俺は嫁ちゃんからの手紙が欲しいのに……」

 涙で枕を濡らしながら、俺は目を閉じた。

 翌日、のそのそと畑仕事をしていたら俺を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えがある。いや、聞き覚えがあるなんてもんじゃない。これは、間違いなく嫁ちゃんの声だ。

 大好きな嫁ちゃんの声……。

「イヴァノフ!」

 嫁ちゃんが手を振っている。笑顔だけど、なんだか痩せた気がする。

「リ、リア……」

 俺は慌てて嫁ちゃんに駆け寄った。

「ね、聞いて。もう成果が出たのよ! それでね、すぐにもでイヴァノフに知らせたくて。頑張って山を登ってきたの」

「そ、それはうれしいんだが。なんで、こんなにボロボロなんだ……」

 まさか、病気とか? 嫁ちゃんが病気……。

 俺の目から大量の涙がこぼれる。

「ちょっとだけ、不摂生をしてしまったの。研究に集中しすぎちゃってね」

 嫁ちゃんがテヘペロをする。なんでも、食事を抜いたり睡眠時間を削ったりしたようなのだ。なんということだ!!! 俺は怒りに震えた。

「そ、そんな……! ダメだろう! ちゃんと自分のことを大切にしないと!」

 嫁ちゃんに怒っていたら、喉が鳴ってしまった。グルルルッ、という、なんとも怖ろしい声だった。俺は、慌てて口を押さえた。

 嫁ちゃんを怖がらせてしまったかも……。

 心臓の辺りが、きゅっと冷たい感じになる。狼狽えている俺に、嫁ちゃんが手を伸ばしてくる。

「ずっと、あなたに会いたかった……」

 俺の体に抱き着く。そうして、顔をうずめる。

「リ、リア」

 こ、怖がっていないのか? 

「嫁ちゃんは、俺が怖くないのか……?」

 こんなに大きな体で。牙があって、爪があって。それなのに、どうしてそんな無防備な顔をしているんだ? 俺に微笑んでくれるんだ?

「あなたを怖いと思ったことはありませんわ。ただの一度も」

「う、嘘だ」

「嘘ではありません。だって、あなたは……」

 そう言って、リアが俺を見上げる。

「あなたは、とてもやさしい瞳をしていますもの」

 リアがそう口にした瞬間、止まっていた涙が再びあふれた。

「うぅ……」

 嗚咽を漏らす俺を嫁ちゃんが撫でる。

「ちゃんと、お留守番できましたね」

 うなずきながら、それでも淋しかったことを訴える。

「ちゃんと我慢して、良い子でしたね」

 頭から耳、マズルの辺りまでやさしく撫でられる。なんだか、子供の頃に戻ったような気分だった。そういえば、昔は母もこうして撫でてくれていたかも……。

「そ、そういえば母から小包が届いていたぞ。リア宛てに」

 どうせ、旅行土産だろうと思って放置していたのだが。小屋の中に入って、嫁ちゃんと一緒に開封する。

「まぁ……!」

 嫁ちゃんが歓喜の声を上げた。

「なんだ、これ」

 旅行土産ではなかった。俺のアルバムだった。生まれたての赤子の時分から、徐々に大きくなっていく様が写真におさめられている。

「思った通りですわ……! 最高に可愛い~~~!」

 嫁ちゃんがアルバムを抱きしめながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 どうやら、嫁ちゃんが母に言って取り寄せたらしい。なぜ、そんなことを……? 

「だって、イヴァノフの小さい頃の姿を見たかったんですもの」

 改めて写真を見る。幼少期は狼というより犬のようだ。ちんまりとした姿の自分を確認して、なんともいえない気持ちになる。これでは「ワンちゃん」と言われても仕方がない。

「イヴァノフは、愛されていたんですね。こんなに、たくさんの写真が残っているんですもの……」 

 その言葉に、俺はハッとした。

 きっと母は、獣人の子供を産んだことで思い悩んだはずだ。周囲からの冷ややかな目。心無い言葉を浴びせられたこともあったはずだ。

 それでも、ちゃんと写真が残っている。

「イヴァノフのこと、『可愛い』って。そう思っていたんだと思いますわ」

 母は、決して俺の前で落ち込んだりしなかった。そういう姿を見せることはしなかった。

 ぽたり、と涙がこぼれた。今日は泣いてばかりだ。これでは男としての威厳が……。そう思うのだが、どうしても涙が止まらない。 

「御母様が羨ましいですわ。こんなに可愛い子を育てられたんですもの」

 そう言って、嫁ちゃんは俺をよしよししてくれた。俺が泣き止むまで、ずっと。


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