「自分本位で生きる」は、わがままじゃない
自分の人生なのに、自分が後回しになっていませんか?
「自分本位」という言葉には、どこか棘のある響きがあります。
それはどこか、自分勝手で、周りを見ずに振る舞うことのように聞こえるからなのだと思います。
けれど、本当にそうなのでしょうか?
自分本位で生きるとは、他人をないがしろにすることではなく、自分の人生を、自分の手に戻すことではないか、と思うんです。
私たちは日々、たくさんのものに囲まれて生きています。
仕事の役割、人間関係の空気、誰かの期待…
目に見えない「こうあるべき」という圧力。
気づけば、自分の気持ちよりも先に、周りにとって都合のよい答えを選んでしまうことがあります。
波風を立てないこと。
誰かを不快にさせないこと。
場に合わせること。
それ自体は悪いことではなく、むしろ社会の中では必要なことです。
ただ、それが積み重なりすぎると、ふとしたときにわからなくなります。
自分は本当は何を感じていたのか。
何が好きで、何が苦しいのか。
自分の人生を生きているはずなのに、輪郭が少しずつ薄くなっていく。
そんな違和感に、覚えのある方も多いのではないかと思います。
どうしても、他人が気になってしまう
人の目が気になる。
誰かの言葉を何度も思い返してしまう。
あのときああ言われた、あの反応はどういう意味だったのだろう。
気になって、頭の中で何度も再生してしまう。
たぶんこれは、珍しいことではありません。
特に、真面目な人、優しい人、ちゃんとしている人ほど、他人の気持ちに
敏感なのだと思います。
相手の立場や気持ちを考えられるからこそ、自分の言動が誰かにどう映るのかを気にしてしまうからです。
でも、他人の評価というのは、かなり曖昧で、勝手なものです。
形がないのに、妙に心を揺らしてきます。
昨日は好意的だった人が、今日はそっけないかもしれない。
ある人には理解されても、別の人にはまったく伝わらないかもしれない。
こちらがどれだけ丁寧に接しても、相手の受け取り方は決められません。
そんな不確かなものを人生の基準にして生きていたら、心は休まりません。
褒められれば安心して、否定されれば落ち込み、何も言われなければ勝手に不安になる。
それではまるで、自分の人生を、他人に操作されているようなものです。
「気にしなければいい」と言うのは簡単です。
それで気にならなくなるなら苦労しません。
気になるものは、気になります。
だから、必要なのは、他人を気にしない人になることではなく、気になっても、そこで自分の軸を見失わないことなのだと思います。
他人の影響で、人生を決めてしまわないために
本当はやってみたかったのに、どう見られるかが気になってやめたこと。
本当は断りたかったのに、嫌われたくなくて引き受けたこと。
本当はもう無理だったのに、「まだ大丈夫」と言ってしまったこと。
一つひとつは些細でも、そういう小さな出来事が積み重なると、静かに効いてきます。少しずつ確実に、自分の心を削っていきます。
自分で選んだはずと思っていた人生なのに、気づけば「本当の自分の意思」があまり残っていなかった。
「他人にどう思われるか」で決まっていた、ということもあります。
人生を自分の手に取り戻すというと、何か大きな転機や劇的な決断を思い浮かべるかもしれません。
けれど実際は、ほんの小さなところ…
もっと地味で、もっと日常的なことから始まるのだと思います。
今日は少し休む。
気が進まない誘いは断る。
無理に笑顔を作ってまで、機嫌のいい人を演じない。
一人で過ごしたい日は、誰にも邪魔をさせないで一人でいる。
こういった小さなことが、自分の人生を自分に返していく行為になります。
人生は、大きな決断だけでできているわけではありません。
むしろ、毎日の小さな選択の積み重ねでできています。
だからこそ、小さくても自分の気持ちを置き去りにしない選択は、思っているより大切です。
何も考えない、穏やかな時間を持つ
自分を見失うときというのは、たいてい心の中が騒がしいときです。
人の言葉、情報、予定、通知、気がかりなこと…
ずーっと考えごとが絶えず、外から入ってくる情報が流れ込み、誰かの言葉が頭の中で反響している。
そんな状態では、自分の声はすぐにかき消されてしまいます。
だから、自分を取り戻すために、時には何も考えない時間が必要です。
答えを出すための時間ではなく、何も決めない時間。
ただ静かになるための時間。
散歩をする。
温かい飲み物を飲む。
音楽を流してぼんやりする。
窓の外…空を眺めてみる。
意識的に、少しだけ呼吸をゆっくりにする。
そういうもので十分なのだと思います。
心を整えるというと、何か立派なことをしなければいけない気がしますが、そんなに大げさな話ではありません。
白湯を飲んで、ぼんやりするくらいでも、心はちゃんと少し戻ってきます。
人間の心は、意外とそのくらいシンプルな方法で助かることもあります。
高尚な解決法より、まず睡眠と静けさ。
心というものは本来、素直なものです。
静かな時間の中で、ようやく見えてくるものがあります。
自分は本当は何に疲れていたのか。
何を嫌だと感じていたのか。
何を大事にしたかったのか。
そういうものは、にぎやかな場所や、とめどなく溢れてくる情報の中ではなく、少し余白のある時間の中で見つかる…のではないでしょうか。
「人生は自分のものだ」と思い出す習慣づけ
自分の人生を大切にしようと決めても、人はすぐに忘れます。
忙しさや覚えてしまった義務感は、とても強い。
『慣れ』というのは怖いものです。
だから必要なのは、一度きりの決意ではなく、ふとしたときに思い出せるようにすること。
そして何度も繰り返して、それを習慣化することが必要なのだと思います。
朝、少しだけ立ち止まってみる。
「今日は、自分を後回しにしすぎていないだろうか」と問いかけてみる。
スマホのメモに、短い言葉を残しておくのもいいかもしれません。
「無理に合わせなくていい」
「他人の感情まで背負わない」
「人生は自分のもの」
こういう言葉は、劇的な魔法でも即効性のある方法でもありません。
でも、日常の中で少しずつ、自分の軸を元の位置に戻してくれます。
『習慣』も地味なものです。
けれども、こういった地味なものほど、あとから静かに効いてきます。
派手ではないけれど、ちゃんと効果は出てくる…しばらく経って振り返ると変わっている自分に気づく。そういうものだと思います。
他者にやさしく、自分にもやさしく
ここで一つ、忘れてはいけない、大事にしたいことがあります。
自分本位で生きることと、他人への配慮を失うことは、まったく別だということです。
自分を大切にする人は、相手のこともまた雑に扱いません。
なぜなら、自分にも相手にも、それぞれの事情や痛み…
守るべき暮らしや気持ちがあることを知っているからです。
ただし、優しさと抱え込みは違います。
相手を思いやることは大切です。
でも、相手の問題まで全部背負う必要はありません。
どこまでが自分の役割で、どこから先は相手の領域なのか。
その境界線を引くことは、決して冷たさではありません。
自分と相手の両方を尊重するための大切な態度であり、自分の心を穏やかに保つことにも繋がります。
そして、特に気をつけたいのは「夜」です。
寝る前の心は油断しがちだからです。
昼間ならやり過ごせたことまで、無駄に重大なことだと感じてしまいます。
もちろん、疲労というのも原因でしょう。
夜の脳は、得てして勝手に話を大きくする…こればかりは、意識していてもなかなか止まるものではありません。
だから、他人のことを考える時間には、区切りをつけていいのです。
夜は、自分を責める時間ではなく、自分を休ませる時間にする。
それだけでも、翌朝の心の重さはかなり違ってくるはずです。
一度きりの人生、「自分=主人公」でいい
人生は、思っているよりも早く過ぎていきます。
あとから振り返ったとき、ずっと誰かの期待ばかりを生きていた。
ずっと空気ばかり読んでいた。
自分の気持ちはいつも後回しだった。
そんなふうに感じるとしたら、やっぱり少し寂しいと思います。
自分本位で生きるというのは、わがままに生きることや、誰かを押しのけることではありません。
自分の心の声を、せめて自分だけは聞き逃さないこと。
何を選び、何を手放し、どんな時間を生きたいのかを、他人任せにしない。
誰かのために生きる優しさは、たしかに尊いものです。
でもその前に、自分の人生を、自分のものとして抱きしめていいはずです。
せっかく与えられた、一度きりの人生。
遠慮しすぎなくて大丈夫。
もう少し、自分を中心に生きていい。
脇役のままで終わらせるのではなく、「自分が主人公」だという意識で、
日常の見方を少し変えてみてはいかがでしょうか。
きっと、これまでより充実感が得られると信じています。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました!!m(__)m
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