盛岡中心市街地の過去・現在・未来
先日、SNS上である方(仙台の方)とやり取りした際、盛岡市は中心市街地が元気だ(いわゆるシャッター街になっていない)というその方の発言に対して、結構危機的な時もあったし、今も100%楽観している訳ではないと私が返答したところ、意外に思われたようでした。とても興味深いテーマだと思ったので、今回は私がなぜそう感じるのか書いてみたいと思います。
【過去】盛岡中心市街地危機の時代
私が盛岡中心市街地最大の危機の時代だったと感じるのは1990年代(特に後半)~2000年代です。
ざっと調べただけでも、エンドーチェーン盛岡中央店閉店が1991年、ダイエー盛岡店閉店が2005年、(やや郊外ですが)ダイエーシティ青山閉店が2006年、少し時期はずれますが、中三盛岡店休業が2011年(東日本大震災津波直後のガス爆発で休業しそのまま閉店)と、この時期には中心市街地の大型店舗が軒並み撤退あるいは閉店していることが分かります。
一方で、郊外では2003年に前潟イオンが、2006年にイオン盛岡南がオープンし、その周辺も大規模な郊外開発が進められました。これらを象徴するのが、2003年前潟イオンの開業日の出来事です。この日、たまたま近くを通りかかったため、(前潟イオンにほど近い)ダイエーシティ青山に立ち寄ったのですが、私と私の家族以外には誰一人客がおらず、お惣菜がほとんど手つかずの状態で売れ残っていて、従業員の皆さんは終始無言で店内には重苦しい雰囲気が漂っていました。ほどなくしてダイエーシティ青山は閉店しました(取り壊されて今は平面型のモールになっています)が、あの日の光景はいまだに忘れることができません。イオン進出のインパクトはそれほどまでに大きかったのです。
実際、前潟イオンができる前の市長選では、いわゆる中心市街地の活性化が争点の一つとなり、盛岡市職員出身の候補者が、中心市街地のデパート川徳前で、中心市街地を守るために郊外ショッピングセンターの進出を防がなければいけないというような演説をしていて、当時の自分は「そうは言っても、相手が法律を守ってビジネスをすることを止めることはできないだろう」と冷ややかに見ていたのを覚えています。
特に、かつて商業の中心地でありながら、エンドーチェーン、中三(その後のnanak)を失った肴町周辺はさらに影響が大きかったように思います。昔の隆盛を知る方からは、人通りが減ったことを嘆く声も良く耳にしました。
このころは、ちょうど三浦展さんの『ファスト風土化する日本: 郊外化とその病理』(2004年)が流行ったころで、大店法緩和によって日本全国にチェーン店が増え、中心市街地が地盤沈下していると盛んに言われていましたが、盛岡もその例に漏れず、決して安泰だったわけではありません。
【現在】変化の兆し、そして今
このような流れに変化があったとすると、それは何でしょうか?
いろいろな意見がありうると思いますが、私は、
(1) MOSSビル・クロステラス・monakaの開業
(2) 飲食店街としての大通りの変容
(3) 桜山地区の飲食店存続
(4) 中心市街地の人びとの努力
(5) 中心市街地(特に河南地区)の人口維持
が大きかったのではないかと感じます。
(1) MOSSビル・クロステラス・monakaの開業
ダイエー跡地に2006年に開業したMOSSビルは、最上階にシネコン(フォーラム盛岡)が入ったことにより一定の集客に成功します。もともと大通りには映画館が多く集まっていた歴史を持つ「映画館通り」があったため、2003年の前潟イオン進出の時も、そこにシネコンを併設することには強い反対があり、結局前潟イオンにはシネコンは入りませんでした。このとき、最新設備を備えた映画館がないことを嘆く声もありましたが、結果的にはMOSSビルにシネコンが入ったことによってその需要の大部分は満たされることになります(設備に関しては北上市のイオンシネマが勝るため、映画を見るために北上に行く人もいます)。

2009年に開業したクロステラスは、もともと地元企業が所有していた駐車場跡にショッピングモールを建設したものです。リーマンショックの影響等もあり、出だしは相当に苦労があったようですが、収入が安定して維持費用も低い駐車場を、あえてリスクを取ってショッピングモールに変えた背景には、やはり中心市街地の地盤沈下への強い危機感があったようです。同施設は、MOSSビルや老舗デパートの川徳とタイアップするなど積極的にイベントを開催していますが、現在の中心市街地の在り方に関しては、このような地元企業が果たした役割も非常に大きかったと言うべきでしょう。

2024年に開業したmonakaについては、盛岡の物価を考えると高価格帯(大都市圏の物価と同程度だが質は良い)のテナントを充実させるなどの思い切った施策を行っており、まだポテンシャルが全て明らかになったとは言いづらい状況ですが、長期ポップアップストアで2026年1月に惜しまれて閉店した宮古市のレ・ド・シェーブルが出店していたことなどで少しずつ認知が進み、2025年に始まった肴町商店街の「昼市」などと合わせて、2011年の中三閉店、2019年のnanak閉店のショックから河南地区の活気を取り戻すことに貢献したと受け止めています。
私の印象としては、2024年7月の開業初日4万人(!)を集めた後、価格帯が高めなことから一時期やや足が遠のいたイメージもありましたが、少しずつ改善を重ね、良い評判を聞くことも増えてきました。盛岡バスセンター前という好立地もあり、2026年現在は1階のフードマルシェを中心に一定の集客に成功しているように見えます。多額の建設費を投じたため、まだまだ予断は許しませんが、少なくとも「失敗施設」ではなかったとは言っていいように思います。


(2) 飲食店街としての大通りの変容
もともと大通りは飲食店に限らない総合商店街で、2025年現在も青果店などにその名残があります(私も昔デンコードーでPC関連商品を買ったり、佐々木電気でウォークマンを買ったりした記憶があります)。しかし、中心市街地の存在感低下の背景には、これらの需要が徐々に郊外店に奪われたことがあったように思います。私は、その穴を埋めたのが飲食店だったと受け止めています。2000年代前半まではごく普通の居酒屋やスナックが中心だった印象がある一方で、それ以降は、イタリア料理やクラフトビールのお店、バーなどバリエーションが増え、老舗に加えてより若い世代が経営する飲食店が増えていきました。総務省が行っている「家計調査」によると、酒類の消費は東北全般で多く、特に盛岡市民は、ビールの消費が全国でも上位であるようですが、それもこの傾向に拍車をかけたのかもしれません。また、車社会で公共交通が便利なのは中心市街地であるため、飲み会を開くなら大通り周辺というイメージも有利に働いたように思います。
(3) 桜山地区の飲食店存続
多数の飲食店が集まり、日本国内でも珍しい雰囲気を残した桜山地区(東大通商店街)に関して、もともと盛岡城内の史跡指定された土地であったことから、さまざまな形で整備計画が繰り返し出ており、特に、2008年ごろから公園としての整備計画が市から発表されるなど、場合によっては商業地区としての桜山地区自体が消滅あるいは大幅に縮小してしまう可能性すらあったようです(詳しくは下のウェブサイトなどをご覧ください)。
しかし、この地区の商店主や商業地区としての存続を望む市民の声もあり、2011年には市から史跡や公園と商業地区の共存の方向性が示されます。実質的には、このことにより、商業地区としての桜山地区は少なくとも当面の間は存続することが決まったと個人的には受け止めています。この地区には観光ガイドブックにも掲載されるような魅力的な飲食店が多数ありますが、このような方向性により、貴重な観光資源が維持されると同時に、中心市街地としての魅力も高まることになったように思います。


(4) 中心市街地の人びとの努力
大型店舗がない時期も個々の住民や商店主が住みよい街を作ろうと努力してきたことを決して見逃せないと思います。たとえば、すっかり観光地となった葺手町や八幡町のきれいな舗装も、住民から要望があって整備されたものです。河南地区や菜園など繁華街から少し離れた場所でも、周辺住民の方に楽しんでもらおうと数多くの事業者が長年努力されてきました(何かあると「地元のお客さんのため」という言葉が良く聞かれます)し、MOSSビルのところでも述べたように、地元に根差した企業の多大な努力もありました。上に挙げた(1)~(3)の要因はもちろん大きかったはずですが、もともと何もない土壌に草木は育たないように、やはりその場所に住む皆さんの努力があってこそ中心市街地の魅力が保たれていたのではないかと思います。盛岡には、商店主どうし、お客と商店主、お客どうし、行政やその他の組織のつながりがあり、それは外から見ると何が起きているか見えづらいため、「閉鎖的だ」と言われることもありますが、このような「つながり」も中心市街地を維持するうえでプラスに働いた面があるように感じます。

(5) 中心市街地(特に河南地区)の人口維持
イオンモールができて商業の中心が郊外に移っても、中三・ななっくなどのデパートが閉店しても、盛岡の中心市街地にはそれなりに人口が維持されたことが大きかったと思います。
特に、肴町を中心とした河南地区は城下町時代から商業の中心であり、その周辺に住宅地が形成されたことや、城下町の街並みの影響で大規模開発が難しく、あまり人口流出が起きなかったことも重要だったように感じます。また、1980年代~2000年代前半まで清水町のマンションに代表される住宅投資も行われたことも、人口維持に寄与した可能性があります。
以下のnoteにあるように、monakaの徒歩10分(800m)圏内の人口を概算してみたところ、2020年前後で1万人を超えているようでした。これは新しいバスセンターやmonakaができる前の統計で、2025年でも人口はほぼ横ばいのため、大規模な空洞化が起きなかったことを裏付けているように思います。このような一定規模の商圏が存在することは、(多くの機能は郊外に移ったとは言え)中心市街地における商業機能の維持にも大きく貢献したはずです。
2026年現在も、河南地区や盛岡駅西口を中心に、マンション建設や戸建て・アパート建設が続いています。このような「中心回帰」の動きが続けば、今後も中心市街地はまとまった商圏として維持され続けるかもしれません。
【未来】これからの盛岡中心市街地
そんな中で、2023年1月のニューヨークタイムズ紙「今年行くべき52か所」に、ロンドンに次いだ2番目として盛岡が選ばれました。それから2年ほど経ち、賞味期限は過ぎたという声もありますが、これまで滅多に見なかった北米やヨーロッパ、オセアニアからの観光客は今でも見かけますし、花巻空港からの直行便がある台湾を中心に東アジア・東南アジアからの観光客も相変わらず多く感じます。もちろん、ニューヨークタイムズで取り上げられたことにより、国内でも盛岡市に注目する方は増えたように感じます。
そういう方にとって、盛岡の中心市街地に多く集まる飲食店を中心とした商業施設の数々は魅力的に映るかもしれません。また、monakaの開業によって、周辺の河南地区では建設ブームが起こり、戸建てや賃貸アパート、マンションなど、さまざまな住宅が建てられ、大規模な人口流入が起きそうな気配もあります。もともと、河南地区は、買い物や食事、行政窓口での手続き、岩手銀行赤レンガ館や盛岡城、トーサイクラシックホール(県民会館)等の公園・観光地(イベント会場)を含め、ほとんどの用事が徒歩で済むとても住みやすいところですので、ちょっとしたきっかけで人口が急増しても不思議ではありません。さらに、それを目当てに飲食店や商業施設が増えるという好循環も起きているように感じます。
それでは、盛岡市の中心市街地の未来は明るいのでしょうか?私はそうあってほしいと思っていますが、気になることもあります。
一つは、もちろん全国的な少子高齢化の影響です。ただし、上に述べたように、中心市街地の住宅は増え続けており、郊外や市外、場合によっては他地域からの流入もありそうなことを考えると、多少はその傾向が軽減される可能性もあります。
もう一つは、平均所得の低迷等やCOVID-19後の習慣の変化による、外食産業や高付加価値商品需要の縮小です。繁華街である大通りは、忘年会シーズンなど繁忙期の混雑は激しいですが、通常の平日は寂しいという声を聞くこともあります。店舗間の競争も激しいのか、強引な客引きなどが問題になったこともあります。また、monakaのオープンは歓迎していたが、(盛岡の物価を考えると)高価な商品は所得が高くないと買いにくいという声もないわけではありません。したがって、年間を通じて安定した収入が得られなければ店舗運営の継続が難しいことを考えると、盛岡の経済規模でそれを支え続けられるのか心配な面もありますし、そのような状況では、盛岡の中心市街地に多い個人店の方がチェーン店より深刻な影響を受けることを懸念しています。節約志向によってせっかくの名店から客足が遠のき、やがてそれが失われてしまうのであれば、やはり残念です。
さらなるポテンシャルに期待
そうは言っても、個人的にはやはり盛岡の中心市街地のポテンシャルに期待しています。盛岡市自体の人口は28万人と決して大きくはありませんが、周辺市町村を合わせると40万人前後の規模ですし、秋田県や青森県の県境付近は十分に商圏に入ります(前潟のイオンモールは秋田ナンバーも多いですし、八戸から盛岡のジュンク堂に買い物に来た、という話も聞きます)。また、これまで陰に隠れている印象があった、徒歩で過ごせる河南地区の暮らしはもっと注目されても良いように思います。そういう意味では、課題もありつつ、個人的には前向きに捉えています。
<2025/5/21>「変化の兆し、そして今」の(4)を追記し、写真を追加しました。
<2026/6/23>「変化の兆し、そして今」の(1)に加筆し、(5)を追記しました。
