【さどさんぽ#1】なぜ佐渡へ?&決死の思いで佐渡へ!
みなさん、こんにちは!
GWはいかがお過ごしでしょうか?
先日に会社の休暇を利用して、友人のCHE BUNBUNさんと佐渡へ2泊3日で旅行に行きました!今日から数回に分けて佐渡の旅行記を書きます。
今回はなぜ佐渡旅行に行く経緯と佐渡旅行の概要、そして旅行初日の出来事をまとめてまいりますので、最後までお読みください。
どうして佐渡旅行へ?
きっかけ
今年の一月、今年の抱負で「旅行に複数回行く!」と宣言していた私。とは言うもののまだ行先は決まっていなかった時、友人のCHE BUNBUNさんとの会話の中で、日本の世界遺産に行こうということに。昨年は平泉に行ったので、今年は少し遠くに行こうということで、候補地を探していました。
その時ふと思い出しました。
「佐渡金山が2024年7月に開催された第46回世界遺産委員会にて世界遺産に登録されて、日本として26番目の世界遺産登録となった」ということを。
考えて見れば佐渡金山が世界遺産に登録されて、初めてのGWとなる今年。おそらく世界遺産に登録されたことで島がお祭りムードなのかな?インバウンドの余波が来る前に佐渡へ駆け込もうということで、佐渡旅行が決まりました。ここからは佐渡島の金山に関するちょっとした概要をまとめます。
佐渡島の金山について
資産名は佐渡島の金山(Sado Island Gold Mines)。
世界遺産の登録は2024年で、登録基準は(iv)で、その登録基準になった理由は以下の通りです。
「佐渡島の金山」の物証は「手工業による金生産技術」を示すものです。世界の他の地域では機械化が進んだ時代に高度な手工業による採鉱と製錬技術を250年以上にわたり継続していたことがわかる物証である点が評価され、世界遺産登録のための評価基準(ⅳ)を満たすとして世界遺産登録されました。
※世界遺産登録のための評価基準(ⅳ):歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観(の類型・典型)を代表する顕著な見本である。
主な構成資産として、採鉱・製錬技術(採掘跡・生産施設の遺跡)や生産組織(管理施設の遺跡・集落遺跡)が特徴的な相川地区の道遊の割戸・佐渡鉱山や、西三川の「大流し」による採掘跡に加えて、江戸時代の金の生産体制の中心となった佐渡奉行所跡などがあります。
今回はこうした地域を巡りながら、佐渡のたらい船乗船やおいしいもの巡りをする2泊3日の旅行を計画することにしました。
旅行初日
今日は海を渡れるのか!?
4月29日火曜日。旅行の初日を迎えます。先日からどうも天気が怪しい模様。佐渡汽船からの届いたメールでも「運航未定」の文字が。私が乗ろうとしている船は運航スケジュールは△のままです。(この記事のサムネは朝の時点での佐渡汽船の運行状況のスクショです。)
この日の日本海付近には停滞した低気圧(寒冷渦)がほぼ停滞していて、佐渡周辺は間違いなく西からの強い風が吹いていそうだなと思っていました。(気象の勉強をしていることがここで役立つとは…)

スマホにダウンロードしたそらうみというアプリで波の状況を見てみると、どうやら2m程度の波があるみたい…これは果たして船で佐渡まで行けるのか!?と思いながら新潟港を目指します。

決死の思いで、いざ参らん!
1時間前になってようやく運航決定となったものの、新潟に着くとやはり風が強そう。乗船前に念には念をと思って、酔い止めを買って乗船します。



今日は西風が10m以上、波は2~3m程度のようです。船内は常にカタカタ小刻みに揺れていて、たまに大きくふわっと動きます。落下と上昇がないビックサンダーマウンテンに乗っているぐらいの揺れでしょうか。外は雨雲のせいで次第と暗くなります。本当は外海の写真を撮ろうと思いましたが、酔いやすいのでスマホの操作ができず、寝てしまいました…船が減速したと思ったら、もう両津港に到着しておりました。空は一面鉛色の厚い雨雲に覆われ、船の中からでも聞こえてくるぐらい強い風が吹いていました。

昼過ぎに両津港に到着。急に雨が強くなったり、小康状態になったりを繰り返す変化の激しい空模様。これからの旅行はそんな波乱に満ちたものになるのか?ここから2泊3日の佐渡旅行が何とかスタートしました。
最後に
少し前置きが長くなりました。次回はようやく佐渡島でのことを書いていきます。ジャンル別に書いていくので、時系列はバラバラですが悪しからず。今日はこの辺で。今日は最後まで読んでいただきありがとうございました。
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