救いが恐怖に変わる時
私が中学生になった頃、いとこの家から猫をもらってくることになった。
遊びに行ったときに見た子猫は、あまりにも可愛くて、家族全員すぐに虜になった。小さくて、軽くて、抱くとすぐに喉を鳴らした。
その日のうちに、連れ帰ることに決まった。
私の家庭は常に緊張状態で、私はその空気を一番に受ける役目だった。だから、あの子の存在は大きかった。私にとって初めての、無条件の温もりだった。
しかし、問題があった。
私の小児喘息が悪化したのだ。
ある日、母が言った。
「あんたの喘息が酷くなったのは猫が来たからよ。返したほうがいいかもしれないわね。」
その瞬間、足元が崩れるような感覚がした。
だが、母の前では泣かなかった。
もうその頃には、正面からぶつかると状況が悪くなることを知っていたからだ。
私はどうすれば止められるか考えた。
当時、思春期で荒れていた兄を出すことにした。母が唯一手を焼いていた存在。
「そんなことしたら、私がお兄ちゃんに殺されるからやめて。」
案の定、母は黙った。
とりあえずその場は収まった。
でもそれで終わりではなかった。
私が体調を崩すたびに、猫の話が持ち出されるようになった。
「あんたが返さないって言うから。」
「苦しいのは自分なのに、何を考えてるの?」
私はそのたびに、返さないと言うしかなかった。
本当は、猫がいなくなることも、責任を負わされることも怖かったんだと思う。
ふと考える。
私はこんなにも安らぎを得ることを許されないのか?
そもそも、喘息が悪化する可能性があることは最初から分かっていたはずだ。
家庭のことはいつも、最終的には母の空気で決まっていた。それなのに猫の話になると「私が返したくないと言い張るから」という形に変わっていった。
自分はちゃんと心配して止めようとした、という顔で。
当時の私は、それを完全に言語化できた訳ではない。ただ、理屈がおかしいことだけは分かっていた。
自分だって可愛がっているのに。
返したくないはずなのに。
それは私だけのせいなのか?
夜、独りで泣くと、猫は必ず寄ってきた。私が弱っている時には決まって。
母から抱きしめられた記憶はない。でも、あの子の重さと真っ直ぐな瞳は今でも鮮明に覚えている。
初めて感じた、陽だまりのような時間。
なのに───
次に来たのは「それを奪う」と脅される恐怖だった。
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