苦痛が無視され続ける日々
喘息の発作明けの日は、殆ど眠れず朝を迎える。
喘息発作時は横になると余計に苦しい。うず高く積んだ布団にもたれて座位で苦しみに耐え、数時間苦しんだ後にようやく救急外来に連れて行ってもらえる。
病院での処置はネブライザーといって大きな機械から気管支拡張薬を吸入をするもの。
それを受けると発作は嘘のように治まる。
そう、まるで一晩苦しんでいたのが嘘のように。
傍から見たら息が収まって何ともないように見えるが、その負荷の正体を大人になってから知った。
私の身体は、実はマラソン並みに消耗していた。呼吸筋の筋肉疲労、心臓への負担、酸素不足で全身が疲弊し、息ができない恐怖でメンタルまで削られる。
子供の私はそれを言葉にできなかったし、医師も親も無関心だった。
私は夜中に親を起こして病院に連れて行ってもらった後ろめたさと、学校を休むという選択がなかなかできない当時の社会圧、加えて行って当たり前という親からの圧から、当然のように翌朝も登校した。
いつもの教室は私の発作とは無関係に、悲しいくらい平常運転だ。
眠い。だるい。
体育があったりしたら地獄だ。
保健室に行こうか悩む。
先週行ったから今週は行きにくい、とか、体育の時に行くと友達からズルと言われる、とか、とにかく頭がグルグルする。
それでも何とかやり過ごして帰宅する。
学校で気遣ってもらえないのはもう仕方がない。所詮みんな他人だし、私の姿が一見して元気だから。
私が本当にキツかったのは、家での扱いだ。
苦しんでいる姿を見ていた母からも、病院に行くために車を出した父からも、大丈夫?の一言もない。
病院帰りの車での居心地の悪さを今でも覚えている。
処置を受けて楽になった私に対して、向けられる言葉はこれだ。
「もしかして、病院に来るほどでもなかったんじゃないの?」
「もっと我慢したら収まったんじゃないの?」
私は楽になった嬉しさよりも、何か悪いことをしたんじゃないかという罪悪感のほうが大きかった。
その罪悪感のせいで、私は身体の消耗に気付く余裕すらなかった。
呼吸が戻れば治ったものと見なされる。私自身もそれを当然として飲み込まなければ生きられなかった。
こうして
私が死を考えた夜と翌日の苦痛は、家族からも社会からも無視され、なかったことにされたのだ。
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