「選挙」におけるの「SNS」の弊害をどうみるか
1.何が問題か-民主主義のインフラとしての選挙
議会は、全国民を代表する「選挙」された議員をもって構成し、議会において行政権の長を選任する。これは、立憲体制の根幹をなす仕組みであり、日本国憲法43条1項、同93条2項に明文規定が置かれている。
「選挙」は、国民が主権者として政治に参加するための最も重要な機会であり、間接民主制の不可欠なインフラである。そのため、「SNS」等による候補者の中傷や選挙工作に対して、その影響を受けない取り組みが必要である。しかし、近年のSNSによる中傷や組織的な選挙工作は、このインフラを根底から揺るがしている。2025年9月の東欧・モルドバの議会選挙において、ロシアによりTikTokフェイク動画3週間で1万本、9,300万回再生など、「空前の介入」があったこと、2024年11月のルーマニア大統領選でも同様の動きがあったことなどはもはや対岸の火事ではない。わが国においても、SNSによる動画配信の影響が問題になっている。(26/3/13日経新聞朝刊「2026衆院選・ネット動画の実相」参照)
2.問題解決への方向性-メディア環境の変容と「静穏」の喪失
この問題に対して、どういった対応が考えられるか。近時の有力見解として、水谷瑛嗣郎「『刺戟』の時代における「静穏」の確保——新聞やテレビは熟考の機会を提供できるのか?」法学セミナー2026年2・3月号がある。現代のメディア環境が抱える構造的欠陥を指摘するものである。
## 1. アテンション・エコノミーと政治の変容
現代のメディア環境は、人々の限られた「注目(アテンション)」を奪い合う経済原理に支配されています 。
**「刺戟」の増幅**: TikTokのようなショート動画プラットフォームは、アルゴリズムと直感的なインターフェイスを通じてユーザーを惹きつけます 。政治家もこの仕組みを利用し、ダンス動画や、人々の「怒り」を刺戟する極端なコンテンツで「アテンション」を獲得し、ファンダムを形成しようとしています 。
**グローバルな傾向**: インドネシアの大統領選でのTikTok戦略や、アメリカの若年層の約4割がTikTokでニュースを得ている現状など、政治情報の摂取経路が既存メディアから急速に移行しています 。
## 2. 日本における「報道の空白」
2024年の兵庫県知事選挙を例に、日本の伝統的メディア(放送・新聞)が抱える課題を指摘しています。
**過剰な配慮と萎縮**: 放送法における「政治的公平性」への過度な配慮(量的公平性の重視)などが、選挙期間中の情報提供を抑制させ、結果として「報道の空白」を生じさせました 。
**情報の非対称性**: この空白を埋めたのがYouTubeやSNS上のインフルエンサーによるコンテンツでした。そこでは放送法のような規律がないため、真偽不明な情報や極端な主張が「刺戟」として流通し、有権者に強い影響を与えました 。
## 3. 「静穏と熟考」の機会をどう守るか
著者は、民主政の維持には「自由かつ多様な表現活動に基づく世論形成」が不可欠であり、そのためには「静穏と熟考の機会」の確保が重要であると説きます 。
**メディア環境のデザイン**: 報道機関の努力だけでなく、広告主やプラットフォーム事業者も巻き込んだ「環境デザイン」が必要です 。
**可視性の向上(プロミネンス)**: 専門家による分析や、ジャーナリズム倫理に則って制作された質の高いニュースが、ソーシャルメディア上で優先的に表示される仕組み(プロミネンス)の検討を提案しています 。
**サイレント・マジョリティの探求**: SNS上で増幅される極端な意見を「世論」と錯覚せず、そこに反映されていない「声なき多数派」のニーズを丁寧に拾い上げることが、これからの報道機関に求められます 。
3.26年2月衆院選を踏まえた展望と課題
(1) アテンション・エコノミーが熟考を奪うという問題
水谷論文では、SNSのインターフェイスは理性的思考(熟考)をバイパスし、「刺戟」を直接脳に送り込むように設計されている旨を指摘する。26年2月衆院選では、AIによるフェイク動画や、感情を極端に煽るショート動画が氾濫し、絶え間なく「刺戟」が供給される環境のもとで、有権者が「知的に公平」であろうとしても、「証拠に基づく検証」を行うための心理的・時間的余裕そのものが奪われてしまうことが問題になる。
私たちは、このような環境下で行動を強いられていることを自覚し、意識的に距離を置くという、ささやかな抵抗を試みるほかないように思われる。
(2) マスメディアの制度的制約と「報道の空白」
一般に、マスメディアの「裏取り」や「フィルタリング」機能を信頼の根拠に挙げることができるが、水谷論文は、選挙という最も重要な局面で、放送法の「政治的公平性」への過剰な配慮が「報道の空白」を生み出してしまう制度的弱点を指摘する。
この空白を、規律のないSNS上の「でたらめ」や「刺戟」が埋めてしまったとすれば、水谷論文は、「メディアに能力があっても、制度や運用がその発揮を妨げている」という現実的課題を指摘するものと言える。
私たちは、こうした問題を抱えた報道環境とSNS環境の双方を前提に、それらを使いこなすしかない状況に置かれているように思われる。
(3)「真理への関心の喪失」への対処を、個人に委ねるのか、環境設計で支えるのか
「フェイクニュースによって人々が真理への関心を失う」ことが懸念されるが、これに対し、水谷論文は、この危機を「個人の意識改革」に委ねるのではなく、「法とテクノロジーによる環境デザイン」として解決を図るべきだと提案する。
選挙後、「SNSの情報に踊らされた」という反省や対立が深まる中で、水谷論文が提案する「プロミネンス(質の高い報道をSNS上で可視化する仕組み)」や「静穏の確保」という概念は、今後ますます重要性を増すと思われる。
今後の課題としては、有権者が「刺戟」から距離を置き、落ち着いて情報を吟味できる「静穏と熟考」を可能とする環境の整備が問われることになろう。しかし、新聞購読者の減少とSNSへの情報源移行という不可逆な流れを鑑みれば、システム側の改善(環境デザイン)を待つだけでは不十分だろう。SNS規制の受容を含め、デジタル社会における主権者としての「情報摂取の作法」という個人レベルの倫理もまた、同時に問われているのである 。
