神武東征と椿の毒
神話に残る不思議な漁
『日本書紀』によると、神武東征の途中、神武天皇はヤマトの丹生川の夢の淵で、ウケイ(占い)を行いました。
酒を入れた壺を川へ沈めると、酔った魚が木の葉のように浮かび上がります。
それを見て神武天皇は勝利を確信し、この魚を「鮎」と呼ぶようになったと伝えられています。

高見川と、四郷川、日裏川の3つの川が合流する深い淵
奈良県東吉野村
一方、『古事記』『日本書紀』には、即位前の応神天皇が氣比を訪れた際の興味深い話もあります。
氣比大神と名の交換をした応神天皇は、夢の中で大神から「明日の朝、浜辺へ行ってみよ」と告げられ、その通りにすると、浜には無数のイルカ(食料)が打ち上げられていました。
天皇はこれを喜び、氣比大神を「御食津大神」と称えたといいます。

氣比大神とは、仲哀天皇や天日槍との説もあります。
福井県敦賀市
神話の裏にあった技術
これらは、一見すると神話らしい幻想的な出来事に思えます。
しかし、日本には古くから「毒魚漁(魚もみ漁)」と呼ばれる漁法がありました。
毒性をもつ植物の成分を川や海へ流し、魚の神経を麻痺させて浮かび上がらせ、一度に大量の魚を捕獲する方法です。
現在では生態系への影響から禁止されていますが、かつては実際に行われていた漁法でした。
その毒として利用された植物の一つに、椿の種子や実、あるいは油粕があったとされています。

椿と海人族
私は以前から、椿地名や椿と思われる彫刻がされた社殿に注目してきました。
古代の重要な場所や神社で椿を目にする機会が多かったからです。

奈良県生駒郡平群町(平群氏の拠点)

奈良県生駒郡平群町椿井

奈良県吉野郡大淀町今木(今木=忌寸)

奈良県吉野郡下市町
さらに、椿の灰が酒作りや茶作りに利用されていたことを知り、この技術は海人族によって各地へ伝えられたのではないか、と考えるようになりました。
そこへ、毒魚漁にも用いられていたことを知り、椿という植物が古代社会で果たしていた役割は、想像以上に大きかったのではないかと思うようになりました。
※毒魚漁に使われた毒は、椿だけでなくサンショウやエゴノキなどの植物や、水銀を用いたとの説もあります。
神武東征を支えた先進の技術
神武天皇の父は、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)。
その母は海神の娘であり、その名が示すように、鵜飼をする海人族と深い関わりをもつ人物と考えられます。

宮崎県日南市
また、『日本書紀』には、奈良県五條市にいた阿多隼人が、鵜飼をしている最中に神武天皇と出会ったという記述があります。
鵜飼は優れた漁法ですが、一羽の鵜が一度に捕える魚の数には限りがあります。

鵜が魚を丸呑みする習性を利用した漁
しかし毒魚漁なら、生態系を崩すとの懸念から禁止されるほど、根こそぎ捕獲することが可能なのです。
このような技術を見せつけられることにより、在地の氏族は戦意を失い、皇軍に平伏したこともあったかもしれません。
今回は漁を例にしましたが、このような圧倒的な技術力をもって、神武天皇の東征は成し遂げられたのかもしれませんね。
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