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1万円で買った空き家が、まち唯一のパン屋さんになった話

「いつか、パン屋さんやりたいんだよね」

当時付き合っていたパートナーが、そんなことを口にしていた。

それから5年以上の月日が経ち、夫婦という関係性で、一緒にその実現ができる日が来るなんて。




ここは、広島県福山市にある鞆の浦(とものうら)という港町。

瀬戸内海が広がり、まち並み保存の該当エリアであるため古き良き景観が残されている。

ドラマや映画のロケ地として使われることも珍しくなく、ジブリ作品「崖の上のポニョ」の舞台となったと言われているまちでもある。

鞆の浦にある瀬戸内海の風景

僕たちは、このまちに流れる故郷を思いやる気持ち・シビックプライドの高さや、残り続ける地域コミュニティに惹かれて、4年前に東京から移住をした。

年間70万人が訪れる”観光地“という顔を持っているまちだが、日本の地方課題のひとつである「空き家問題」は他人事ではない。

年間100人ずつ人口が減少しており、それに伴い空き家が増加する一方。しかも、活用できる空き家の数は限られてしまっている現状がある。

というのも、残地物がそのまま残ってしまい仏壇や遺影もそのままになっているケースや、相続を受けた身内の方が町外に出ており、うまくコミュニケーションが取れないケースなどがあり、実質的に何もできないのである。

そんなまちの状況だったが、僕たちは運良くすぐに住める賃貸物件と出会いスムーズに移住することができた。

物件自体はきれいと言えるものではなかったが、瀬戸内海を眺めながら暮らせる環境に胸が躍っていた。

瀬戸内海を眺めてリモートワーク

拠点探しはRPGゲーム

移住後、引き続き僕たちは物件を探していた。

移住前に考えていたことのひとつに「夫婦で何かをやる」というものがあり、具体的には何か場を通じた商いができればと考えていたからだ。稼ぐためというよりは、ライフスタイルとしてそういった実践をしたかったのである。

これはローカルにいる人なら理解してもらえると思うが、ローカルであればあるほど、都会の人が慣れているような「物件情報がネットで綺麗に羅列していること」はありえない

ネットではなく、現場に足を運び、文字通り足で情報を稼いでいくしかない。

そうなってしまうのは、不動産から見た事業的なメリットがあまりないためだ。相場の家賃が低いため、仲介しても大きなリターンは見込めない。大家さんから不動産へ連絡しても、取り扱いを断られてしまうこともあるそうだ。

そんな資本主義の構造的な理由で、現場で情報を掴み取っていくしかない環境となっている。

僕たち夫婦は会う人会う人に「空いている家ってありませんかね?」と聞き回っていた。お店の店主さんやそこの常連さん、たまたま会った人も軽く聞いてみることもあった。

みなさん嫌な顔をせずに考えてくれて、中にはその場で電話して情報を探ってくれる人もいた。優しさが沁みる。

そんな状況がなんだか楽しかった。
RPGゲームで情報を集めていく過程に似ている感覚になっていたからだ。

村人Aに話を聞いて、その後に村人Bへ。そんな感じで声をかけて糸を手繰り寄せるようなアクションの連続。

都会にいた時には考えられない非効率さだが、これがとても味わい深い。遠回りすればするほど、まちに馴染んでいく感覚が心地よさを与えてくれていた。


1万円築70年の家との出会い

楽しかったが、なかなかにこれだという物件と出会えずにいた。

そんな中、鞆の浦で初となる「空き家バンク」がはじまるという情報を耳にした。

早速情報を見せていただき、その中にあった物件にビビッときた。直感で「これ以上の物件とは出会える気がしない!」と思い、すぐさま「内覧させてください!」とお願いをした。

当時の家

後日実際に見させてもらったのだが、モノがすべて残っている状況だった。

台所には開いていないビールが置かれていたり
こたつにテレビが綺麗に整えられていたり
2011年で止まったままのカレンダーがあったり。

「昨日まで生活していたのかな?」と思うほど、そこには暮らしの匂いが残っていた。

土間上がってすぐいにはこたつの部屋
食器もそのままになっていた
お仏壇もあった(掃除後の写真)
土間もモノで溢れている
中庭は木が生い茂っていてジャングル状態
雨漏りしている部屋も
このタンスを見た時は「どうやって運べば…?」と軽い絶望を感じた

持ち主である方が施設に入るのと同時に空き家状態となり、10年間そのままに。亡くなられたことを機に、手放すという判断をされたそうだ。

観光エリア内かつ、海まで徒歩30秒以内に行くことができるという好立地であり、築70年のわりに物件の状態もそこまで悪くない。

何より、建物・土地を1万円で譲ってくれるという条件が魅力的すぎた。「1万円で家を購入できるという世界線って存在したのか、、」と驚愕したことを覚えている。

ただし、残置物はすべてこちらで処理するという条件だった。

この場をどのようにしたいのか?
実際にどのぐらいお金がかかるのか?
資金をちゃんと借りれるのか?

わからないことだらけだったけど、物件との出会いは一期一会であることを痛感していた僕たちは「購入させてください」と即決した。

人生初の持ち家である。


掃除は宝物探し

最初に難航したのは、予想通り「残置物の処理」である。

業者にお願いすることもできるのだが、少しでも費用を抑えるためにもなるべく自分たちでやった方がいいとのことで、廃棄はすべてやることにした。

幸い、福山市には大きな廃棄処理所があり、持参すると無料で処理対応をしてくれる。(建具など一部例外もあり)

対応できそうな日は、友達に軽トラを借りて数時間かけて残置物を運び出す。廃棄処理所まで何往復したいのかわからないほど、行き来を繰り返した。

「なぜ、昔の人はこんなにモノを溜め込むんだ…?」とつい考えてしまうほど、出しても出しても湧いてくる。

押入れから火鉢が8個出てきた時は、「なんでやねん!」と心の中でツッコミを入れていた。火鉢を8個使う暮らしってなんだろう。

元々クリーニング屋さんでもあったらしく、アホみたいにハンガーが出てきた。着物もたくさん出てきて、家主の暮らしの良さを感じる。

今の自分たちでは決して所持することのないモノが次から次へと出てきたのだが、それらに触れられることはおもしろくもあった。

鞆の浦の友人たちにも手伝ってもらった日もあり、「宝物探しみたいで楽しい」という声が出てきた。なんだかわかる気がする。なんなら宝物出てこい。(出てこなかった)

畳も、建具も、可能な限り自分たちで運び出した。

気がつけば2年の月日が経っていた。


重要伝統的建造物群保存地区

2年間かかったのは、処理する物量ではないところに大きな原因がある。

前提の話をするのを忘れていたが、鞆の浦は国が指定する「重要伝統的建造物群保存地区」というものに該当している。簡単に言うと、町並みに価値があると判断され、それを守るための制度である。

【重要伝統的建造物群保存地区とは】
昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し,城下町,宿場町,門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。市町村は,伝統的建造物群保存地区を決定し,地区内の保存事業を計画的に進めるため,保存条例に基づき保存活用計画を定めます。国は市町村からの申出を受けて,我が国にとって価値が高いと判断したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定します。

文化庁webサイトより引用

調べてみると、令和6年8月時点で、106市町村の129地区が指定されており、約30,680軒の物件が該当するそうだ。

僕たちが今回購入した物件もそのひとつで、そこでの対応がとても時間がかかったのだ。

めちゃくちゃざっくりと砕いて内容を書くと、こんな感じだった。

・外観の工事に対して補助金が降りる
・ただし、デザインはある程度の指定を受ける
・使う材料や色なども指定される
・役所への相談し、その後に国が交付決定する

補助金が降りることはとてもありがたい。
その代わり、町並みに合うデザインにしていかねばいけないという制約が発生する。うちの場合は、建築士さんがうまくコミュニケーションを取ってくれたおかげで、そこまで変な要望が来ることはなかった。

あと、時間がめちゃくちゃかかる。
この制度の審議会は年に1回しか開催されないそうで、そのタイミングを逃すと1年間先延ばしになってしまう。

もちろん国の予算も決まっているため、申請が遅くなれば準備ができていたとしても採択されないこともある。

交付決定まで工事をしてはいけないため、ここでの対応が遅れた分だけ着工が後ろにずれていく。

そんなデメリット・リスクを抱えつつ、結果として僕たちは2年間交付決定まで時間を要した

それを待てたのは、やっぱり補助金の存在が大きい。
最大800万円という金額は、物価高騰の現代においてはとても魅力的である。(場合によっては900万円が降りることもあるので、該当される方は要チェック)


友人と共に設計する楽しさと安心感

今回のリノベーションは、友人の建築士さんに設計をお願いすることにした。

東京で暮らしていた時に、同じアパートメントで暮らしていた方で、「石井航建築設計事務所」を構えている石井航さんだ。

友人だからという前提はあるものの、航さんが設計する建物はシンプルさとこだわりが感じられて、とても好みだった。(ぜひwebサイトを見てみてほしい)

「何かをつくる時は友人と」

そんなこだわりが夫婦で重なっていたので、夫婦間で揉めることもなく、すんなりと航さんへ依頼をすることになった。

上記の申請を進めていきながら、航さんと何度も何度も打ち合わせを重ねた。定期的に鞆の浦にも来てくれて、うちに泊まってもらい夜な夜な話し合ったり、物件の状態を見たりしながら設計を練っていった。

これは結果論だけど、2年間じっくりと物件と対峙し対話を重ねられたことで、とても納得感のある家づくりができたように思う。

家づくりなんて初めての経験だから、僕たち夫婦にはわからないことだらけだった。

その点、友人関係である方にお願いできたのは良かったなと思う。気軽に質問や相談ができて、それに対して丁寧に対応してくれて、家づくりに対する解像度を少しずつ上げていくことができた。

今回の物件は、住居と店舗を一緒にすることを目指している。特に店舗部分はスペースが限られているため、取捨選択と創意工夫が求められる部分だった。

ということもあり、一緒に全国各地にある事例を探し出し、実際に見た方がいいお店をピックアップした。それぞれのタイミングでお店を見て、感じたことや写真を共有。

ちなみに一番参考にしたのが、京都にある「ARCHI coffee and wine」さんだ。土間の規模感が最も近く、イメージをつくるのにかなり参考になった。

実際に行ってみた

また、時には一緒に雑貨を探しにいったり、お風呂やキッチンといった水回りのものを決めにいったり、タイルやテキスタイルの素材感を確かめたりもして、その過程も楽しい時間だった。

改めて、航さんには感謝の気持ちが尽きない。


施工会社は友達の友達

家づくりにあたり、設計と同じレベルで大切なのが施工会社の選定だ。

特に、うちの場合は古い建物をリノベーションするので、それに対しての知見や価値観を持っている人である必要がある。

とはいえ、僕たちには施工会社とのつながりなんて存在しないため、ググって探すしか道はない。

そんな中、建築士の航さんが

「あ、福山なら”もんじゅくん“がいるな」

と口にした。

も、もんじゅくん…?
初めて出る名前に戸惑いつつも話を聞いてみると、どうやら何度か一緒に仕事をしたことがある方らしく、福山と東京の二拠点生活をしているらしい。

おまけに古材を取り扱うのがとても上手で、うちみたいな古い家との相性はとてもいいとのこと。

実際に会ってSNSを交換すると、半端なく共通の友人がいた。「畑違いなのに、こんなにつながるの!?」とびっくりするほどいた。これはすごい。

新たにもんじゅさんが仲間に加わってくれて、家づくりはいよいよ着工へと進んでいく。

もんじゅさんが手掛けた別のパン屋さん。かわいい。


左官はDIY!全国から30名が集う

着工してからは、なんだかあっという間に進んでいった。

毎週のように現場を見にいっていたが、いくたびに家の姿が変わっていて、そのスピード感に驚いた。

着工する前
あっという間にスケルトン状態に

ただ、リノベーションとなるため、当初計画していた通りにいかないこともあった。例えば、想定以上に柱がダメになっていて、追加の工事や資材が必要になったり。(その度にお金とのにらめっこがはじまる)

ちなみに今回の工事は基本的にプロに任せていきつつ、壁と天井の漆喰塗りは自分たちでDIYで行なう計画だ。

DIY未経験の僕たちはやる気満々だったが、建築士の航さんは「マジで大変だと思うよ」と何度も忠告してくれていた。

それは不慣れだからというのもあるが、DIYで対応する面積がとても広いらしい。航さん自身もこれまで経験したことがない広さらしく、少し引いているようにも見えた。

工事が進むにつれ、その感覚が少しずつ理解できるようになってきて「僕たちだけでやりきるのは無理だ!」と判断し、助っ人を集めることになった。

「他人の壁を塗りたい人なんているのか…?」と募集するまでは不安だったが、蓋を開けてみたらたくさんの方が駆けつけてくれた。

合計で約30人。
毎日人が入れ替わり立ち替わりをして、トータルそれぐらいの方が協力をしてくれた。

まちの人や福山市内の方のみならず、遠方から足を運んでくださる方もいた。岡山・山口・兵庫・大阪・京都・東京・神奈川と、全国各地から。

鞆の友人や僕が運営しているコミュニティのメンバー、中学の同級生まで駆けつけてくれた。

東京から壁塗りの講師業も手掛けている方も助っ人できてくれて、塗り方を教わった。先生は教えるのが上手である。

また、施工のもんじゅさんの知り合いの左官屋さんがたまたま鞆の浦にいたらしく、せっせと塗っていた妻の様子を見て「こうやるんや!」と指導してくれた。指導に止まらずボランティアで左官を手伝ってくれて、その後も何度も顔を出してくれた。

やはりプロはすごい。
実際にやってみて難しさを痛感していたこともあり、その丁寧さとスピード感に感激していた。たまたま一緒に手伝ってくれた友人たちは、そのすごさを記録しようと動画を回していた。もはやアイドルだった。

こんな感じで、大勢の方の力を借りて家中の壁と天井が塗られていった。

協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。


こだわりが詰まった家へ

左官という山場を超えた。
単純計算してみると、塗った面積は300㎡を超え、総左官時間は300時間を超えていた。ハンパない。

あとは、プロのみなさんに仕上げをお願いしていくフェーズに移る。

また定期的に様子を見に来ては、家になっていく実感を少しずつ感じることができた。

そこから1ヶ月半が過ぎ、ついに僕たちの拠点が完成した。

外観がピカピカに!
土間にはもんじゅさんが手掛けた古材のカウンター
解体時に出てきた材料を使っている
元々台所があったリビングスペース
中庭にはウッドデッキを設置
壁を見ると左官の日々を思い出す
土間に使われていた建具を別の場所で活用
尾道の作家さんの真鍮ランプ
福山の鉄のアーティストさんに作ってもらった
反対側から見るリビングが好き

本当に素敵な家になった。
色々な人の手を借りて、こだわりを詰め込んだ家へと進化した。

実はこの家の計画をしている時に、新築で立て直すということも考えてみた。しかし、僕たちは「この家を継ぐ」ということに対して向き合うことを選んだ。

それは、鞆の浦というまちに対してリスペクトを持っていて、まちに対して少しでも貢献できるといいなと思っていることが大きい。

このまちにおいては、文化も町並みも、残り続けるということにこそ価値があると考えている。

たったひとつの民家でしかないかもしれないけど、ここで暮らし守ってきた家を継がせてもらうことには大きな意味があると思った。

これは実際に起こったことなのだが、施工中のとある日、まだ外観周りにネットが張られている我が家の前で写真撮影をしている親子がいた。80歳を超えているように見えるおばあさんと、その息子さんらしき50代ぐらいの男性だった。

不思議に思って話をしてみると、なんと我が家を建てた家族の人だった。おばあさんがまだ子供の頃にここで住んでいたらしく、その後別の場所へ引っ越しをされたそう。

久しぶりに鞆の浦に来てみると、まだ建物が残っていることに驚いて記念撮影をしていたのだとか。

そのお二人に、これからリノベーションをしてパン屋さんにしていくことや僕たち家族の話をした。

すると、とても喜んでくれて。
そのおばあさんの笑顔が忘れられない。

「これが継ぐということか。」その時、そう感じた。

そして、きっと生まれ変わるこの家も、また誰かに継がれていく。僕たちは書面上は持ち主ということになっているが、きっとひとりの継ぎ手でしかなく、次の世代へ渡していく役割としてこの建物と出会ったんだろうなと思った。


そして、鞆の浦唯一のパン屋へ

この建物は住居という顔と、パン屋さんという顔をつくっていく。

土間のスペースを使い、妻がパン屋さんを開くからだ。

ちなみに、まちの中にはパン屋さんは存在していない(パンを出しているお店はある)。コロナ禍で、最後のパン屋さんが閉業してしまったそうだ。

だからこそ、妻がパン屋さんをすることに大きな意味を感じている。

お店の名前も何日もかけて考えて、「緒(いとぐち)」という名前に決まった。

友人のデザイナーにお願いをして、かわいいロゴマークも完成した。

公式Instagramアカウントもできた。

銀行からの融資も受けることができ、機材も一通り揃えることができた。

どんどん形にしていく姿を横で見ていて、「ついに始まるんだ」と胸が高鳴るのと、感慨深さを感じている。

5年前、東京で出会った時からパン屋さんで働いていた妻。

パン屋で働くために、会社員を辞めてパンの学校で学び、その後フリーランスでwebの仕事をしながらも週3日パン屋でパン作り。

パンへの愛情を人一倍持っている姿が印象的で、「いつか自分でパン屋さんをやりたいんだよね」と明るい顔で話していたことを今でもよく覚えている。

あの時はまだ友人関係だったけど、その後に恋人関係から夫婦という関係性となり、広島の鞆の浦というまちへ移住し共にパン屋さんをやることになるなんて、一体誰が想像しただろう。

夢を叶えていく人がそばにいること。

それがこんなに嬉しいことだなんて、あの時は思いもしなかった。

ここだと思う。

僕たち家族が幸せに暮らしていくための、力の入れどころは。なので、僕は妻のパン屋を横で応援し続けていきたい。

パンはつくれないけど、そうじゃないところで微力ながらサポートをしていきたい。

今、そんな気持ちでいっぱいだ。

その妻のパン屋さんが、明日4/4に本オープンを迎えた。

パン屋ができるという噂は、あっという間に鞆中に広がり、会う人会う人に「いつオープンするん?」と声をかけてもらっている。住民のみなさんの期待を感じる。

そんな期待に応えられるのか?
ひとりパン職人が持続可能な体制をどうつくるか?
まちに愛されるパン屋になるためにできることとは?

など、まだまだ手探りのところが多いけど、その過程も楽しんで手触り感を見つけていきたい。

鞆の浦に来る際は、ぜひ遊びにきてほしい。
妻の美味しいパンがお出迎えしてくれる。


妻のパンがまちの暮らしを豊かにしていくシーンに立ち会えることを、僕は心から楽しみにしている。


※営業日などは公式Instagramをチェックしてください!


※オープン日に来てくれたお客さんが、紹介動画をつくってくれていたのでよかったらご覧ください!


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長田 涼 最後まで読んでいただき、ありがとうございます!サポートも嬉しいのですが、コメントやシェア頂けるとめちゃくちゃ喜びます!