ソリストオーディション。私の手は、ぬるっとあがる
夫婦で挑んだソリストオーディション。
バッハ『Magnificat』の8番と9番のソロパート。
そして6番のデュエットの選考オーディション。
▼VIII. Deposuit potentes
▼IX. Esurientes
▼VI. Et misericordia
結果は、二人ともサブだった。
メインが何かあれば出演の機会がある。
メインを勝ち取りたかった。
やっぱりめっちゃ悔しいのだけど、
チャレンジしなければ、この結果には出会えなかった。
「やります」
と手をあげるのはめちゃくちゃ緊張する。
ドキドキする。
合唱団に入って2年目の私たち。
うまくいく保証はない。
それでも手をあげた。
私が手をあげたのは、
面白そうだったから。
「やりたい」って気持ちよりも、
オーディションを勝ち取るために必死に練習したり
舞台で大勢の前で披露したりする方が
刺激的な日々を送れそうだと思ったからだ。
私はこういう判断を
いろんなメリットを注ぎ足して
天秤にかけて決めるところがある。
結構アタマで考えていて
どうしても即断とならず、ラグが出てしまう。
正直にいうと
はじめから「やりたい」気持ちはあった。
めちゃくちゃやりたいと思っている。
「はいはいはーい!」
と手をあげたい自分がアタマの奥にいるのに
ムッツリな私は引っ込めてしまう。
引っ込めた自分の気持ちを引き出すために
メリットを想像して焚きつけているだけだ。
感情と理性の綱引きをするせいで
私の手は結構ぬるっとあがる。
本当はやりたいのに
理屈をつけなければ動けない。
で、書きながら読み返してみると
すでに綱引きの痕跡がある。
メインを勝ち取りたかった。
やっぱりめっちゃ悔しいのだけど、
チャレンジしなければ、この結果には出会えなかった。
ああああああああああーくやしいぃぃぃぃぃ!
くらいに思っているのだけど
クールビューティーを決めたい私が引っ込めてしまう。
強い感情が内にいるのはわかっている。
なのに私は
「チャレンジしなければ、この結果には出会えなかった。」
とすぐに話をきれいにまとめようとする。
メインを取った方が
もっと良い景色が見えた。
その可能性を理性でもみ消している。
この辺だってそう。
私が手をあげたのは、
面白そうだったから。
「やりたい」って気持ちよりも、
オーディションを勝ち取るために必死に練習したり
舞台で大勢の前で披露したりする方が
刺激的な日々を送れそうだと思ったからだ。
なぜ手をあげたか?
そんなの、「やりたいから」に決まっている。
一点、妻は迷わない。
「なに食べようかな」
「今日はなに着よう」
なんて5分10分と悩む妻は、
ここぞという時に迷わない。
妻は真っ直ぐ手をあげる。
妻は1年目のオーディションでも手をあげている。
しかも、アルトの妻が、ソプラノの選考に。
やりたいから、手をあげる。
まぶしいくらいに真っ直ぐで
そんなところに私は憧れている。
ノロケはさておき。
ほんの一瞬の勇気のおかげで
私たちは多くの経験ができた。
夕食後に2人で練習したり
カラオケでも楽譜を持っていったり
お互いの歌をああだこうだと指摘したり。
東京・目白にある先生のスタジオまで
レッスンを受けに行くこともあった。
自宅のある栃木市から東京の目白。
結構な距離である。
何度か通ううちに
自分たちでもわかるくらい
歌に磨きがかかっていくのは心地よかった。
ちなみに目白のレッスンも妻の提案。
自分だけではたどり着けない景色につれていってくれた。
大人になると体力が落ちて
できなくなることも増えていくけれど
今からでも磨けるものがあると気づけた。
歳のせいにしていられない。
ソリストオーディションの先にあったのは
メインかサブかという結果だけではなかった。
磨かれた技術や
先生との信頼関係、
人前で披露する度胸、
及ばなかった悔しさとメインを称える気持ち。
そして妻への尊敬の気持ち。
これからもきっと、
私の手はぬるっとあがる。
それでも、引っ込めずにあげてみようと思う。
以上、ノロケ話でした。
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