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小さな喜びは、なぜ人を生かし続けるのか


人は、強い刺激では長く生きられない。


喜びも、悲しみも、
強すぎるものは、持続しないからだ。

むしろ人は、
ごく弱い振動のようなものによって、
日々をつなぎとめられている。

朝の光。
湯気の立つコーヒー。
ほんの少し、やわらいだ気分。

それらは一見、取るに足らないものに見える。
けれど、それがなければ、
一日はただの「空白」になってしまう。

つまり、小さな喜びとは、
人生の中に点在する「意味の最小単位」なのかもしれない。

大きな意味は、しばしば人を縛る。

何かを成し遂げなければならない、
ちゃんと生きなければならない、という圧になる。

けれど、小さな喜びは違う。

それは、ただ「感じられる」だけでいい。

意味を背負わないまま、
それでも確かに、存在している。

今日、私は飼い犬と初めての散歩に出ようとしている。
そのまま、様子を見てドッグランにも行ってみようかと考えている。

少し、迷いもある。
これは、この子にとって、刺激が強すぎるのではないか、と。

けれど、ふと思う。
生きるということは、
安心だけでも、刺激だけでも成り立たない。

わずかな不安と、
わずかな喜びが、
交互に訪れることで、
リズムが生まれる。

もし今日、
犬が少し戸惑いながらも、
外の空気を感じることができたなら。
それは、この子にとっての「小さな喜び」になるかもしれない。

そして同時に、
私にとっても。
人生を持続可能にしているのは、
大きな達成ではなく、
こうした微細な経験の連なりなのだと思う。

無理に広げなくてもいい。

急がなくてもいい。

ただ、その日その日の中で、
ほんの少しだけ、世界に触れる。

その繰り返しが、
結果として「生き続ける」ということになる。

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