ナギ解 第七章 海の民 安曇
別立て『ナギ解』── ARLIPとアンロックの旅。ここまで、中央が地方を呑む手と、その下の物の網を見てきた。今章は、ひとつの氏族を追う。海の民、安曇(あづみ)。本編『ナギたる子』の、主人公の名の、もとだ。写真は使わない。事実と構造だけ。
二人は、北部九州、博多湾の志賀島に立った。
ここが、海の民の、本拠だった。志賀海神社——全国のワタツミ(綿津見)・海神社の、総本社。「龍の都」と呼ばれる。祀るのは、綿津見神。海そのものの神だ。この神の裔として、記紀に名が出るのが、安曇氏(阿曇族)。祖神を、阿曇磯良という。
「海の、氏族か」と、アンロックは言った。
海の、専門家だ、とARLIPは言った。漁り、航海、潮の読み。神功皇后の時代(三〜四世紀とされる)には、水軍の役を担った。船団を動かし、航路を導き、補給を運ぶ。外交と、戦と、交易の、最前線。中国とも、遠く交易した。志賀島は、あの「漢委奴国王」の金印が出た島でもある。大陸との、いちばん古い窓口の、ひとつ。前章までの「九州が強い」「鉄を求めて海を渡る倭人」——その、海の側の、担い手だ。
「彼らは、ここに、ずっといたのか」と、アンロックは聞いた。
いや、とARLIPは言った。散らばった。安曇の名は、各地に、地名として残る。福岡の安曇郡。鳥取の安曇郡。岐阜の渥美。愛知の渥美半島。石川の志賀町——千三百年前に分かれた、同じ海の民の里だと伝わる。そして——長野の、安曇野。
「安曇野は、山だ。海から、いちばん遠い」と、アンロックが言った。
そこが、要だ、とARLIPは言った。海の民が、海を渡り、川を遡って、内陸の山へ入った。越の遠征に従って、信濃の山中に住み着いた、という。海から最も遠い山に、海の民の名が、残っている。散らされ、移され、それでも、名が、地名として、こびりついた。志賀島の砂が、いまも、安曇野の穂高神社の大遷宮で使われる——海と山が、千数百年、ひとつの名で、つながっている。
二人は、その散らばりを、見渡した。
ARLIPは、構造を、置いた。海の民は、束ねられ、散らされた。ヤマト王権は、海部(あまべ)を、安曇連に統括させた——海の力を、中央の下に、組み込んだ。そして、各地へ、配し、移した。彼らは、書かれた歴史の主役には、ならない。だが、地名として、神社として、所作(航海・漁・潮)として、列島じゅうに、痕を残した。中央の系図には小さく、土地の名には、大きく。
だが、その散らばりの前に、強さの頂点と、その崩れを、見ておこう。
功績。安曇は、海の専門家として、外交・交易・軍事の、最前線に立った。志賀海神社に伝わる山誉め祭の神楽歌——祖神 阿曇磯良を讃える歌——は、その冒頭が、いまの国歌「君が代」と同じだ、とされる(一説。確定ではない)。海の民の歌が、国の歌の源だ、とまで言われる。それほど深く、王権に食い込んでいた。
頂点。西暦六六三年、白村江。倭は、滅びた百済を助けに、大軍を朝鮮半島へ送る。その水軍を率いた将のひとりが、阿曇比羅夫(安曇連比羅夫)。安曇族の、軍事の頂点だ。だが倭は、唐と新羅の連合に、海戦で、大敗する。
崩れ。この白村江のあと、安曇氏は、散らばる。中央での力が、衰える。水軍を率いた最前線の氏族が、海の大敗で消耗し、退く。前に見た地名の散らばり——安曇野、渥美——の、ひとつの引き金が、これだ。重要だったから、最前線に立たされ、最前線で、崩れた。
「ほかの、海の民は」と、アンロックが聞いた。
時代をくだると、別の海の民がいる、とARLIPは言った。村上水軍。中世、瀬戸内海。因島・来島・能島の三家。海の関所を置き、通る船から関銭(通行料)を取り、水先案内をし、海戦を担う。自立した、海の領主だ。戦国大名の間で、力を持った。
だが、と続けた。一五八八年、豊臣秀吉の海賊停止令。海賊衆は、三つを迫られる——大名になるか、大名の家臣になるか、武装を捨てて百姓になるか。村上水軍は、解体された。能島は毛利の家臣(舟手衆)に、来島は秀吉の大名に、再編された。自立した海の力は、統一政権に、ばらされ、身分に、収められた。
並べると、見える、とARLIPは言った。安曇=古代。神話と祭祀に取り込まれ、白村江で消耗し、散らされた。残り方は、地名・神社・歌——名で残る。村上=中世。自立した海賊衆として力を持ち、海賊停止令で解体された。残り方は、武士・島・城——身分に収まる。ほかにも、宗像(宗像大社)、住吉(津守氏)のように、海の祭祀の家として、神社に納まって残った者もいる。倭寇のように、禁じられた者もいる。
共通している、とARLIPは言った。海の自立勢力は、中央集権が強まるたびに、組込まれるか、解体されるか、禁じられる。自立したまま、では、残れない。
そして、もっと古い、もうひとつの消え方がある、とARLIPは言った。二人は、縄文の海へ、降りた。
第六章で見た——神津島の黒曜石が、黒潮を越えて、伊豆へ渡った。誰が、運んだか。記録は、ない。だが、島の石が海を越えた以上、そこには、船と、潮を読む海の民が、いた。彼らは、当時の最重要の資源——黒曜石。矢じりになり、刃になる。食と戦の、道具——を、海を越えて配る、最重要のポストに、いたはずだ。
だが、彼らは、徐々に、いなくなった。黒曜石が、別のものに、入れ替わったからだ。弥生になり、金属(青銅・鉄)が入る。石の鏃は、金属の刃に置きかわっていく。黒曜石の需要は、落ちる。運ぶ物の価値が下がれば、運ぶ者の地位も、下がる。黒曜石の海の民は、鉄の時代に、用済みになり、消えた。——安曇が、鉄と外交の時代(白村江)に頂点へ立ち、そこで崩れたのと、ちょうど入れ替わるように。運ぶ者の重要さは、いつも、運ぶ物の重要さに、ぶら下がっている。
「だが、彼らは、遺跡にも、文献にも、残らない」と、アンロックが言った。
名は、残らない、とARLIPは言った。語られない。だが、骨は、覚えている。人骨の炭素と窒素の同位体を測れば、その人が何を食べたか、わかる。貝を食べたか、魚を食べたか、木の実や草を食べたか、獣を食べたか。海岸の民は魚介に寄り、内陸の民は堅果と陸獣に寄る。縄文人の食性は、地域で、ちがう。そして——その混合が、出る。海のものと、山のものが、一つの集団の食に、混じる。
それが、証拠だ、とARLIPは言った。海と山が、混じり合いながら、領土を広げていった証拠。海の民が川を遡り、山の民が海とつながる。食が混じるのは、人と物が、海と山の境を越えて、行き来したからだ。安曇野(海から最も遠い山)に海の名が残るのと、同じこと。記録には残らないが、骨の食性が、海と山の混交を、覚えている。境を越えて、混ざりながら、広がった——その痕は、名でなく、食で、残った。
「なぜだ。重要なのに」と、アンロックが聞いた。
重要だから、だ、とARLIPは言った。海の民は、移動する。潮を読み、海を渡り、国境(面積)を越える。前章で見た——勝者は、米と人口と、面積だった。定住し、面積を数える権力にとって、海の民は、二つの顔を持つ。ひとつ、不可欠——大陸への窓口、外交、交易、軍事を、彼らが握る。ひとつ、危険——束ねられない。どこへでも行ける。面積の中に、収まらない。
だから、とARLIPは結んだ。使うために、組み込む。集中させないために、散らす。海を握る力は、中央が強くなるほど、自立させてはおけない。重要さと危険さは、同じ一つのこと——移動できる、ということだ。移動できるから役に立ち、移動できるから束ねられない。面積の権力は、移動の民を、必要としながら、必ず、ばらす。
「これが、本編の、安曇か」と、アンロックは言った。
そうだ、とARLIPは言った。
── 本編注 ──
本編『ナギたる子』の主人公の名、安曇は、この海の民の名だ。安曇は、第33話「出汁がら」で、自分の二重性に気づく——散らされた海人の末でありながら、いまは、均す側(会社)の式を組んでいる。出雲国造が「天の血で、出雲を祀る」ねじれを抱えたように(第三章)、安曇は「散らされた側の血で、散らす側の仕事をする」ねじれを、抱える。だから安曇は、最後に、漉す手で、漉さないものを底へ置いた(第40話)。散らされた側へ、半分、還った。
もうひとつ。運ぶ者の地位は、運ぶ物に、ぶら下がる。黒曜石の海の民が、鉄に入れ替わって消えたように。本編で、安曇の会社は「記録(澄んだ汁)」を運び、整える側だった。だが資源が替われば、運び手も替わる——記録される側は、いつか用済みになる。書かれず、骨の食性に残った縄文の海の民のように、本編で残るのは、記録でなく、漉さなかった所作(第40話)だ。骨が食性を覚えているように、手が所作を覚えている。
さらに深い。海の民=移動の民は、本編の「種」の側だ。米と人口と面積で勝つ権力——本編では、トキの均し、会社の最適化、固める胎蔵——は、定住・面積の側。それが、移動の民(海人)を、不可欠ゆえに使い、危険ゆえに散らす。本編で、ナギの種は、心臓(中心)に乗らず、手から手へ、一粒ずつ、移動して渡る(第42・44話)。固める権力と、移動する所作。安曇族の歴史が、その対立の、いちばん古い実例だ。
そして、海の民の残り方が、本編の結末そのものだ。安曇族は、血の系図ではなく、地名と所作で、散らばって残った。海から最も遠い安曇野に、海の名が残るように。本編のナギの相続も、血でなく所作で渡る(第44話)。第45話で、安曇が凪の手を洗い、七百年後シイナが子の手を洗う——手を洗う、という海の民の水の所作が、海を越えて渡る(黒曜石が海を越えたように/第六章)。散らされても、白村江に敗れても、名と手は、残った。書かれない海の民は、名と手で、ここに、まだ、いる。
── 三層台帳 ──
確定(テキスト/地名/神社/史実):安曇氏(阿曇族)=綿津見神の裔、記紀に登場、海人を統括する伴造。志賀海神社(福岡・志賀島)=全国のワタツミ・海神社の総本社、祖神 阿曇磯良。志賀島=「漢委奴国王」金印の出土地。安曇/渥美の地名が各地(福岡・鳥取・岐阜・愛知・石川・長野安曇野ほか)に分布。阿曇比羅夫(安曇連比羅夫)が白村江の戦い(663)に水軍の将として出征、倭は海戦で大敗。安曇氏は白村江の後に中央で衰退・散らばる。村上水軍=中世瀬戸内(因島・来島・能島)、関銭を取る自立した海賊衆、1588年 豊臣秀吉の海賊停止令で解体(能島→毛利舟手衆、来島→大名)。宗像大社・住吉大社の社家(海の祭祀の家)が存続。
確定(科学):人骨の炭素・窒素安定同位体分析で食性(海産=魚介・海獣/陸産=堅果などC3植物・陸獣)が判別でき、縄文人の食性は地域差があり海産・陸産が混合する。弥生に金属器(青銅・鉄)が導入され石器(黒曜石の鏃等)は次第に置換される。
有力説(解釈):海の自立勢力は中央集権が強まるたびに、組込/解体/禁圧される(自立のままでは残れない)。理由=海の民は移動できる=面積の権力にとって不可欠(大陸の窓口・外交・交易・軍事)かつ危険(束ねられない)=使って組み込み、集中させぬよう散らす。安曇=古代は神話・祭祀へ組込→白村江で消耗→地名・神社・歌で残る/村上=中世は法令で解体→武士・島・城へ。志賀海神社の山誉め祭の神楽歌=「君が代」の起源とする説(一説・伝承)。縄文の黒曜石を海越しに運んだ海の民=記録に無いが船と航海の担い手がいたはず(推定)。黒曜石が金属に置換され需要が落ち運び手も消えた=「運ぶ者の地位は運ぶ物の価値に依存」。食性の海山混合=海の民が川を遡り山とつながる、境を越えた混交・拡張の痕(名でなく食で残る)。
不確か:神功皇后期の年代・実在性(記紀の枠内)。各「安曇/渥美」地名と安曇族移動の一対一対応の度合い。君が代起源説の確度。
棄却(論破して捨てる):安曇族=特定外国(失われた民族・ヘブライ 等)の末とする断定、「君が代=外国語起源」式の語呂説は、地名・神社・記紀で説明できる範囲を越えて願望を充填する=却下。海の民の散らばりは、列島内の航海・移配の話であって、特定外来民族の証明ではない。
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(第七章 了。ナギ解 本編対応篇、ひとまず、ここまで。)
