【短編】虹をみたかい?(お題:熱帯夜)
「熱帯夜が好きな人なんて、いる?」
ライディングジャケットを脱ぎ、Tシャツの胸元を摘んでパタパタさせながら龍見が顔を顰める。
サマージャケットだから通気のためのメッシュも入っているけれど、全体としてはレザー(革)だし、脊椎を保護するパッドも入っている。蒸すのは仕方がない。
「どうかな……寒いのが何よりつらい、って人もいるから。炎天下に長時間駐車していた車に乗り込む時の熱気が好き、って人もいるらしいし」
こちらもジャケットを脱ぎ、4人掛けのボックス席に流れてくる空調の涼風を感じてようやく人心地ついた。16時過ぎのロイヤルホストはちょうどいい感じの客の入りだった。
「うわ、それ地獄やん」
「すっごい冷え症で、そんな車に乗り込むと血行が悪くなっていた指先や脚が楽になるらしい。同じオケでチェロを弾いている女性に、そんな友達がいるって聞いた」
「サーモグラフィーの映像が目に浮かぶな。僕らは真っ赤やで、きっと」
細身で、いつもならもっと涼しい顔をしている龍見がそんなことを言うのは珍しい。それくらい今日は暑かった。
「真夏に革のジャケットを着てフルフェイスのヘルメットをかぶり、エンジンの真上に跨って旅をすることをやめられない僕らだって、バイクに乗らない人からは大概おかしいと思われてるよ」
「確かに。実際、さっきの高速の渋滞で停まってた時は地獄やった。じゃあ熱帯夜が好きな人もいるかもなぁ、理由は分からんけど」
「案外、バイク好きかもしれない。なかなか休みが取れなくて、せめてバイクに乗って旅する時の熱気を熱帯夜に感じる、とか」
龍見はクルリと眼を回し、
「そんなヤツおらんやろ……」
と呆れ顔になった。
「そやな、言ってて無理があると思った。僕も熱帯夜は苦手やけど……虹が見たくなる。いや、聴きたくなる」
「虹?」
「虹をみたかい。渡辺美里の」
「“サマータイムブルース”の方が好きやったやん、学生の頃は」
「スタジアムのライブでさ、浴衣着て、団扇持って歌ってる姿には惚れた……あんなに歌上手くて、チャーミングで素敵なおねーさんはいないと思った。今でも憧れてる」
「なのに、“虹をみたかい”なんや」
「熱帯夜には、ね」
浴衣のおねーさんじゃなくて、もっとザラッとしてて、ギラギラした歌声とメロディー
郊外のカフェ、“Baby Face”と店名が描かれたネオンサインが滲んで見える夜
綺麗なフォームで僕をぶん殴った左利きの女(ひと)
「なんか理由(ワケ)ありやん?話せよ」
「ん?あぁ……ルシファーズ・ハンマー(Lucifer’s Hammer)って知ってる?悪魔の鉄槌」
「知ってるというか……ハーレーが“Battle of the Twins(BOTT)”ってレースでドゥカティ(DUCATI)に勝つために作ったロードレーサーの方?それとも、そのハーレーのピストンをヤマハのSR400に組み込んだ架空の改造車の方?」
「流石に詳しいなぁ。ハーレーじゃなくてヤマハ。SRじゃなくてSRXで、400じゃなくて600㏄だったんだけどね。それに乗ってた女にぶん殴られたのが熱帯夜で、頭ん中に美里の声が流れた。Have you ever seen the rainbow oh oh ohって」
「情報量多いな。ヤバい女に殴られたん?唯織が?」
龍見が興味津々で身を乗り出すのと同時に、僕らがオーダーしたブランチセットをウェイトレスが持ってきてくれた。若い頃の渡辺典子に似ていた。
彼女が歌う「火の鳥」、好きだったな。
「で?」
~♫~
やれやれ、この歳になってガキ相手の喧嘩なんかするもんじゃない。
最近はちょっと街角や電車内でトラブったらナイフが出てきたり、催涙スプレーを噴射する、カマキリやカメムシみたいなのが多いから、今の連中が最初の一撃で退散してくれたのは、運が良かったと思うことにしよう。
今夜の一勝で調子に乗ったら、明日は勝者と敗者が入れ替わる。
背にしたSRXに向き直り、改めて眺める。
一見ではノーマルに見えるけれど、追加されたオイルクーラーや強化されたオイルライン、大径のブレーキディスクに組み合わされたキャリパー、ステンメッシュホース、足回りも良いダンパーが付いている。
これだけバランス良く仕上げて、エンジンだけがノーマルとは思えない。ボアアップされていても不思議はない。
何より、このバイクは佇まいが佳い。
Lucifer’s Hammer、かな……
「ちょっと!」
背後からかけられた声に振り返ると、カウンター気味のパンチが右頬にヒットした。
油断した。
間一髪でスウェーしたから腰は落ちなかったが、久しぶりに眼の奥に火花が散った。
二歩退いて身構えると、白地の所々に赤のアクセントがデザインされたライダースジャケットを着た小柄な女が、サウスポースタイルでこちらを睨んでいた。
「アタシのバイクに何する気?」
「佳いバイクだと思って見ていた。ちょっと懐かしかった」
「本当に?嘘やお世辞は通用しないわよ」
どこから説明すれば良いものか、と考えながら彼女を見ると、瞳は強い光を放っているが、ひどく緊張していた。
「あのう……」
睨み合うように対峙している僕らに、彼女に続いて店から出てきたらしいカップルが声をかけてくれた。
「その人は、貴女のバイクを護ってくれたんだと思う」
カップルの女性の方がそう言ってくれた。隣の男性も頷いている。
「?」
「ちょっとワルそうな格好の三人組がバイクを囲んでるところにその人の車が入ってきて、車から降りてその三人を追い払ったの、私たちの席から見えたもの」
「すごいですね。どうやったのかよく分からなかったけど、殴りかかった方が吹き飛ばされる感じで倒れて、慌てて逃げていったの、俺たち見てました。喧嘩ってより、カンフーとか武術みたいな感じで」
「カンフーでも武術でもなくて、ただ、コツみたいなものがあるだけなんだ」
相手の重心を見極めて、それを少しずらし、崩すだけで人は倒れる。力任せに圧倒しようと向かってくる相手ほどそうなる。
ライダースジャケットの女の肩から力が抜け、腕が下がった。
「そうなんだ……」
「見ていてくれて、そしてそれを話しにきてくれて助かりました。ありがとう」
礼を告げて、まだ食事中だったと言う彼らが店に戻るのを見送り、再び女と向き合って二人になった。
「ごめんなさい。バイクのことになると必死になってしまって……」
「これだけ大切に仕上げたバイクなら無理もない。誤解が解けてホッとしました。さっきの二人に感謝しなきゃ」
「はい、本当に……よかった、悪い人には見えなかったから」
「その言葉は、気合の入ったパンチの前にもらいたかったな。左利き?」
店の窓からの灯りだけでも、彼女の頬が紅く染まり、恐縮するのがわかった。
タイトなジャケットにパンツ、ライディングシューズを履いた彼女は瞳に強い光を湛えた別嬪で、歳上には見えないけれど、大人の女の強さと少女の天衣無縫さが同居していた。
「夢中で思いきりやっちゃったから…痛かったですか?」
「もう街角で喧嘩をするのはよそう、と思うくらいには」
「三人相手に勝つくらい強いのに?」
「強いんじゃない。さっき彼らに言ったけどコツがあるだけ。それより、君のバイクをチェックした方がいい。連中が本格的に悪さをする前に追い払えたとは思うけど、傷つけられたり、ハーネス類を切られていたら、この後乗るのも危ない」
「あ!そうですね」
そう言ってバイクに駆け寄る彼女の隣に立ち、携帯のライトでバイクを照らした。
「…特にキズもないし、キーやバッテリー周りのハーネスにもイタズラはされてないみたいです」
「よかった。エンジンかけてみて」
「はい」
明らかにノーマルとは異なる鼓動が聴こえる。ハーレー用のパーツかどうかはともかく、品の無い改造とは一線を画した、本物のチューニングだ。
かつて一度だけ、学生の頃に聴いた。
「佳い音、佳いエンジンだ。貴女が“Lucifer’s Hammer”を知っているかどうかは分からないけれど、これからも大切にしてください。こんな日はいつもより少し慎重に、それに早めに家に帰った方がいい。それがバイクやクルマに永く乗り、それを楽しむコツだから」
「それもコツですか?」
「そう。僕も帰るよ。今夜はもう十分だ」
右頬が腫れるかどうかは微妙だが、熱くて辛いメニューは避けた方が良さそうだった。
「あの……私、“かおり”って言います」
「平仮名?」
「なんで分かるんですか?」
「平仮名の発音だった」
「耳が佳いんですね。あなたは?」
「いおり。平仮名じゃないけど、漢字は想像して」
「いおりさんにお礼、したいんですけど……」
「なら、まずは今夜、誰にも絡まれず、事故らずに家に帰ってくれることが一番の礼になる。あとは、今度この店で逢うことがあったら、ハンバーガーとコーヒーをご馳走してもらう。その時はマスタード多めで」
そう言って左手を軽く振り、車に向かった。
我ながら気障に過ぎる。
クシャミをしそうになった。
〜♫♩〜
「そこに“虹をみたかい”が聴こえてた、と……確かにキザが過ぎる」
「せやんなぁ。けど、熱帯夜に年齢不詳の別嬪に殴られたら、そういう気分になるって」
「いや全然わからんわ、そんな気分。それに、唯織が見たのは虹じゃなくて、かおりって女に殴られた時の火花やん」
そう言って龍見は笑い出し、それにつられて僕も笑った。
あれから、Lucifer’s Hammerに乗る“かおり”に再び出逢う機会は永く訪れなかった。
再会はあの店ではなく意外な場所で、彼女はバイクではなく、僕も車に乗ってはいなかったけれど、それはまた別の話。
目の前で笑っている龍見にもまだ、今は内緒にしておこう。
(了)
こちらの企画・お題に参加しました。
