【内観の探求】内観面接者の役割:何も言わずに、何をしているのか
面接者の「沈黙」が持つ力
この記事で分かること
・助言も解釈もしない面接者は、いったい屏風の前で何をしているのか
・「何も口を出さない」が、なぜ面接者にとって最も難しい修練なのか
・内観者から出る面接者への感謝を言葉通り受け取らない理由
皆さま、瞑想の森内観研修所 所長の清水です。
以前、内観には治療者も理論もいらない、というお話をしました。面接者は、指導や解釈、そして評価やアドバイスもしない、と。
当然、こう思われる方がいます。「では、面接者は何のためにそこにいるのですか。」
研修を終えた方も、よく「先生は何も言わなかったのに、なぜ自分はこんなに気づけたのか、不思議です」という感想を持ちます。
今日は、その「何もしない=何をしているのか」についてお話しします。
面接者は、ほとんど何も言わない
集中内観において、面接は一日に7回から10回ほど行われます。面接者が内観者の屏風を訪れ、最敬礼をして「ただ今の時間は、どなたに対して、いつの自分を調べましたか」と尋ねます。内観者がお調べになった内容を報告するのを聴き終えると、「ありがとうございました」と面接を終え、最敬礼をしてその場を去ります。
それだけです。
報告を聴いている間、面接者は、「はいっ」という相づちを打つのみで、意見や感想は一切なく、評価やアドバイスなども行いません。
これは、内観法の創始者・吉本伊信が内観面接者に求められる姿勢について遺した、「内観者は、声なき声を聞いておられるのだから、面接者は余計なことを喋って、内観者の邪魔をしないように。面接中は喋りたくて、喋りたくて、パッと声が出そうになるのをグッと抑え込む。自分に自分で引き止め役しています。それが面接者の1番大事なことです」という言葉にも符合しています。
面接者は、内観者の「僕(しもべ)」です。導く者ではなく、ただ従い、ただ聴く者である——それが、内観の面接の出発点です。
なぜ、何も言わないのか
臨床経験豊富の対人援助の専門職の方などは、「少しは助言をしたり、励ましや共感の言葉をかけてあげた方がいいのでは?」と質問してくださることもあります。
なぜ、そこまで徹底して何も言わないのか。
目の前で泣いている方がいれば、声をかけたくなります。苦しんでいる方がいれば、助言したくなります。「あなたは悪くないですよ」「大丈夫ですよ」——そう言えば、その場は、一時的には楽になるのかもしれません。
しかし、面接者が「あなたは悪くない」と言った瞬間、内観者は、自分を知ることをやめてしまうのです。
時間はかかっても、本人が、自分の力で、たどり着くはずだった気づき。それを、面接者が横から先に渡してしまう。これは、助けているようでいて、その人がいちばん大切なものを手にする機会を奪ってしまうのです。これは、受験生が一生懸命試験問題を解いている横で試験監督が答えをささやくようなものです。確かにそれで合格すれば嬉しいのでしょうが、その喜びも束の間、結局実力ではないので、入学した場所で大変苦労することになるでしょう。しかも、その答えが間違っていて、内観者を縛ってしまうことすらあります。
内観における面接者の役割を、作家の神渡良平先生は、「魂の産婆役」と表現しました。
産婆(助産師)は、子を産ませることはできません。出生の準備が整う前に無理に産ませることも、逆に「まだ早い」と産むのを抑えることもできません。ましてや、「こういう子を産ませたい」という希望もしません。
ただ自然に生まれる任せ、その瞬間に立ち会い、どんな子が生まれても決して否定せず寄り添い、それをすべてを受け止める。その安心感の中で、母親は不安な出産という作業に臨むことができるのです。
内観という真の自分を見つける営みにおいて、面接者がしているのは、それと同じです。
——では、本当に何もしていないのでしょうか。
じつは、「何も言わない」は、何もしないのではなく、「言わない」ということをしているのです。それは、あたかも近代日本画の巨匠である横山大観が追求した「余白の美」が、すべてを描ききらないことで、画面の外へと続く無限の空間や自然の壮大さを表現したように、言葉にすると制限されてしまう「言外の表現」がそこにはあるのです。
これは、内観面接の本質ともいえる部分ですが、それが確信に至るには二年の歳月の体験がありました。
無言の、二年間
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