内向型の私が昔の失敗をいまだに鮮明に覚えている理由を考えてみた——嫌な記憶が消えない脳の仕組み
10年前、誰かに言われた一言を、いまだに覚えている。
正確には、覚えているというより、ふいに再生される、という感覚に近い。
お風呂で髪を洗っているときや、寝る前の数分間、何の前触れもなく、そのときの光景がよみがえってくる。相手の表情まで、わりと鮮明に。
さらには、香り、気温など、記憶のトリガーがあるとさらに厄介だ。
でも、その出来事を起こした相手は、とうの昔に忘れていることだろう。
「まだ気にしてるの?」と言われたこともある。
だから人にも言えない。
その度に、自分は執着が強いのだろうか、根に持つタイプなのだろうか、と悩んでいた。
楽しかったことより、嫌だったことのほうが残る
3年前の楽しかった出来事を一つ、できるだけ細かく思い出してみてほしい。
たぶん、輪郭はぼんやりしているはずだ。
誰がいたか、何を話したか、断片的にしか出てこない。
次に、3年前の気まずかった出来事や、恥ずかしかった出来事を思い出してみてほしい。(無理しない範囲で)
おそらく、こちらのほうが妙に鮮明だろう。
相手の言い方、その場の空気、自分が何を言ってしまったか。記憶力が悪いはずなのに、こういう記憶だけは妙に解像度が高い。
これは、脳がそのような優先順位で記憶を扱っているからだと考えられている。
脳は「危険だった情報」を優先して残す
脳の中には、扁桃体という部分がある。出来事に対して、感情的に重要かどうかを判定する役割を持つ部位だ。
恐怖や恥、拒絶された感覚など、強い感情を伴う出来事が起きると、扁桃体はそれを今後の生存にとって重要な情報として扱う。
そして、その判定に応じて、記憶を司る海馬に、より強く刻み込むよう働きかけると考えられている。
つまり、感情の振れ幅が大きいほど、記憶の保存強度も上がりやすいということだ。
これは本来、身を守るための仕組みだ。
痛い目に遭った場所や、危険だった相手の特徴を覚えておくことは、同じ失敗を繰り返さないために有効だったはずだ。
狩猟採集の時代であれば、毒のある植物を覚えていることや、自分を傷つけた相手の顔を記憶しておくことが、そのまま生死に関わっていたかもしれない。
その仕組みが、現代の人間関係にもそのまま使われている、というのが今の状態に近いのだと思う。
人間関係の記憶が、特に残りやすい理由
仕事のミスよりも、誰かに否定された一言のほうが、長く残るという感覚はないだろうか。
社会的な拒絶や、恥をかいた経験、仲間外れにされた感覚。これらは脳にとって、単なる失敗以上の重みを持つ情報として扱われやすいといわれている。
人間は群れの中でしか生き延びられなかった時代が長く続いていたので、集団からどう見られているかは、命に関わる情報そのものだった。仲間から外れることは、当時であれば本当に危険を意味していたはずだ。
既読が無視されたとき、誰かに言われた一言にチクッとしたとき、グループの空気が一瞬変わったように感じたとき。
こうした瞬間が頭から離れにくいのは、脳が今もその情報を軽く扱ってはいけないものとして処理しているからかもしれない。
特に、人の感情や場の空気の変化を細かく読み取る人ほど、この手の情報量が多くなりやすい傾向がある。
同じ場にいても、拾っている情報の量がそもそも違うのだと思う。
心理学の研究でも、拒絶に対する感受性が高い人ほど、拒絶に関連する出来事を自分のこととして強く結びつけて記憶し、後から思い出しやすい傾向が報告されているらしい。
問題は、記憶していることではない
記憶が保存されることと、その記憶を何度も再生してしまうことは、別の現象だ。
脳が出来事を重要だと判定して保存するところまでは、自動的に起きる。
ここは、ほとんど制御できない。
問題が起きているのは、その先だ。
保存された記憶を、何の役にも立たない場面で、何度も呼び出してしまう。
お風呂の時間、寝る前、信号待ちの数秒間。
意味のある検証作業をしているわけではなく、ただ同じ場面を繰り返し再生しているだけのことが多い。
「忘れられない=執着している」と思い込んでいると、つらさが二重になるだろう。
出来事そのもののつらさと、これを引きずっている自分はおかしいのではないか、というつらさだ。
でも実際には、記憶が残ること自体は誰にでも起きている脳の働きで、そこに性格の良し悪しは関係していない。
再生される回数が多いことと、そこから前に進めていないことも、また別の話だ。
記憶との付き合い方を、少しだけ変える
消そうとするのではなく、扱い方を変えるという方向で、いくつか試したことがある。
思い出したことを、まず認識する
記憶が浮かんできたとき、また始まった、と気づくだけで、少し距離が取れる。
考えないようにしようとすると、むしろその思考に意識が向いてしまうので、止めようとせず、ただ気づく、というくらいでいい。
記憶にタイトルをつける
あの一言の件、心無い仕打ちの件、など、出来事に短い名前をつけておく。
名前をつけると、記憶を今ここにある自分の感情から少し切り離して、過去の一つの出来事として扱いやすくなる感覚がある。
学びを一度だけ回収する
この出来事から得たものは何だったか、今の自分なら、どう対応するか、を、一度だけ自分に問いかけてみる。
何度も問い直す必要はなく、ある程度の答えが出たら、それで一区切りとしておく。
記憶に意味づけするということだ。
再生を終わらせる合図を決めておく
ノートを閉じる、深呼吸をする、別の作業に移る。何でもいいが、これをしたら今日はここで終わり、という合図を一つ決めておくと、脳に対して終了の信号を送りやすくなる気がしている。
思い出したとき、こう確認してみるのも一つの方法だ。
これは事実か、それとも自分の解釈か
今もその危険は実際に存在しているか
そこから得られる学びは、もう受け取っているか
このすべてに整理がついている場合でも、それでも記憶が浮かんでくることはある。
どうしても消したい記憶でも、簡単には消えない。
ただ、毎回その出来事の中に引き戻されるかどうかは、少しずつ変えられる部分だと思っている。
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