18歳の私が捨てたもの。
前回の投稿の、続きになる。
18歳の頃、私はあるものを捨てると決めた。
それは、
すべての娯楽だった。
美容師として就職するまでの2年間。
本気で勉学と貯金だけに振り切ろうと腹を括った。
高校を卒業した私は、
地元の兵庫県を離れ、大阪へ引っ越した。
住んだのは、家賃4万円ほどの小さなワンルーム。
あれから10年以上経った今でも、
新幹線で新大阪駅を通過すると、そのアパートが見える。
そのたびに、18歳だった頃の自分を鮮明に思い出す。
美容学校が終わると、すぐにアルバイトへ向かう毎日。
電車に乗っている15分ほどが
貴重な睡眠時間だった。
一つ目のアルバイト先は、
大阪・北浜にある「証券BAR」。
トレーダーや投資家が集まるような、
少し変わったBARだった。
名前は伏せるけれど、今も健在のお店だ。
店長にも、お客様にも、本当にお世話になった。
もちろん未成年だったので、お酒を飲むことはなかったけれど、
そこで出会った人たちとは、今でも数年に一度連絡を取ることがある。
そして、証券BARの仕事が終わると、
そのまま心斎橋へ移動する。
二つ目のアルバイトは、クラブのスタッフ。
華やかな女性たちがいる銀座のような「クラブ」ではない。
音楽が鳴り響いて、
みんなが踊り狂う方のClubだ。笑
私はフロアの仕事があまり得意ではなく、
外で身分証を確認する仕事の方が向いていた。
記憶では、学校が終わるのが17時頃。
一度家に帰り、18時半にはまた家を出る。
19時からアルバイトが始まり、
すべてが終わる頃には、もう次の日の始発が動き出していた
帰宅して、2時間ほど眠る。
そして、また学校へ向かう。
それを繰り返した。
1日でも、1週間でもない。
2年間。
なぜそこまでして、
娯楽を捨てたのか。
理由は、本当に一つしかない。
ただ、やるしかなかったからだ。
当時の私には、
それ以外の選択肢がなかった。
働いて、働いて、働いて。
自分の足で、東京まで行くしかなかった。
アルバイトを頑張っていた理由の一つに、
ある目標があった。
夏休みになったら、
就職を希望していた東京の美容室に、
お客さんとして行ってみよう。
実際に自分の目で、その場所を見てみたい。
そう決めていた。
大阪から東京へ行く。
たったそれだけのことだけど、
当時の私にとっては、それなりに大きなお金が必要だった。
まず、夜行バスの往復で12,000円ほど。
そこにホテル代。
美容室でのお会計。
東京での交通費や食費。
もちろん、大阪での生活費もある。
新幹線なんて、
当時の私には高すぎて選択肢にも入らなかった。
だから、貯めるしかない。
周りには、イケイケの友達もたくさんいた。
ご飯に行って、お酒を飲んで、クラブに行って、ショッピングをして。
もちろん、羨ましいと思う瞬間もあった。
「私も遊びたいな」
そう思うことだって、普通にあった。
でも、そのたびに、
自分は自分。比べるな。
そう言い聞かせていた。
遊びに使うお金があるなら、
東京に行くために残したかった。
遊びに使う時間があるなら、
働きたかった。
今思えば、
何かを我慢しているという感覚すら、あまりなかった気がする。
ただ、
「東京に行きたい」
それだけだった。
東京の美容室で働きたい。
自分が憧れている世界を、
一度この目で見てみたい。
そのためには、お金がいる。
お金がないなら、働くしかない。
すごく単純だった。
初めて実際に足を運んだ、銀座の美容室。
田舎で育った18歳の私にとって、
そこは本当にキラキラして見えた。
綺麗な店内。
そこで働く美容師さんたち。
目の前で次々とお客様を綺麗にしていく姿。
「私も、ここで働きたい」
心が踊るというのは、
きっとこういうことなんだと思った。
あの時の感覚を、
10年以上経った今でも鮮明に覚えている。
そして私は、何度もその美容室へ通った。
最初は、ただのお客さんだった。
それを繰り返しているうちに、
少しずつ美容室のスタッフの方たちにも顔を覚えてもらえるようになった。
そして夏休み。
私はお客さんとしてではなく、
研修までさせていただけることになった。
場所は、通っていた銀座店。
兵庫県の田舎で育った18歳の私が、
憧れていた銀座の美容室で研修をしていた。
その時、思った。
きっとこれは、1年後の就職活動につながっている。
そして同時に、
行動がすべてなんだ。
自分から動けば、
未来は少しずつ変えられるんだ。
そんなことを、初めて実感した。
当時、私が通っていた専門学校には、
その美容室から内定をもらった先輩が一人もいなかった。
就職担当の先生からも言われた。
「倍率が高すぎるから、第二希望も考えた方がいい」
「今まで受かった先輩もいない。前例がない」
心の中では、こう思っていた。
前例がないから、なんなんだ。
過去に受けた先輩たちと、
今の私を一緒にしないでほしい。
行動した量も、
ここに懸けている覚悟も、
私は誰にも負けるつもりがなかった。
……とはいえ。
当時の都内の有名美容室は、
本当にとんでもない倍率だった。
4次面接、5次面接なんて当たり前。
「何回面接するんだよ」
と、心の中では思っていた。笑
それでも、受けた。
そして、
通っていた専門学校から初めて、
AFLOATという美容室から内定をいただいた。
嬉しかった。
2年間、本当に振り切ってよかった。
そう思えた瞬間だった。
そして同時に、
やっと、スタートラインに立てた。
とも思った。
私は今でも思う。
欲しいものが大きければ、大きいほど、
何かを手放さなければいけない時がある。
それも、その大きさと同じくらいのものを。
全部を持ったまま、
全部を叶えられるほど、
人生は都合よくできていない。
田舎で生まれ、田舎で育った私にとって、
「東京に出て、銀座の有名美容室で働く」
という夢は、とても大きなものだった。
だから私は、
それと同じくらい自分にとって大きかったものを捨てた。
友達と遊ぶ時間。
買いたいもの。
眠る時間。
そして、
18歳から20歳までの、青春時代の娯楽をほとんど全部。
あの2年間に戻りたいかと聞かれたら、
正直、戻りたくはない。笑
でも、
あの頃に戻る事があったら
私はもう一度、同じ選択をすると思う。
なぜなら、あそこで捨てたものが、
今の私の人生につながっているから。
そして無事に内定をもらい、
私は東京へ上京することになる。
ここから始まった美容師人生も、
まあ、なかなか濃かった。笑
次は、
東京に上京してからのアシスタント時代について書こうと思う。
何度も言うが、私の人生はまだまだ途中だ。
今の私は、たった1店舗。
年商もまだ7,500万円ほど。
自分では、これを「成功」だとは思えない
上には上が居るから
だから、ここに書いていることは成功者の体験談でも、誰かに何かを教えるためのものでもない。
いつか本当に、自分が思い描いている場所まで辿り着けた時。
「あの頃、何を考え、何を捨て、何を選んでいたのか」
振り返るための記録として、今の自分を残している。
このnoteがいつか、
「まだ何者でもなかった頃の私の記録」
になる日を楽しみにしている。
