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#わたしとラジオ

ラジオとの付き合いは、気づけばもう40年近くになる。
はじめてラジオを意識したのは、家族と出かけた帰り道だった。
夜の海沿いを走る車の中で、眠気の向こうから聞こえてくる声と、流れていく景色。
その静かな時間は、今でも胸の奥に残っている。
子どものころ、通っていた床屋さんで流れていたラジオの声にも、なぜか安心を覚えた。
知らない大人たちが語る言葉を、ただぼんやりと聞いているだけで、世界が少し広がったような気がした。
やがて深夜放送を聴くようになり、受験勉強の合間に流れる軽やかな語りが、自分だけに向けられた秘密の話のように感じられた。
夜更けのラジオは、孤独をやわらげてくれる存在だった。
学校を休んだ日には、布団の中でラジオを聴いた。
体調は悪いのに、声を聴いていると不思議と気持ちが軽くなった。
どんな顔で話しているのだろうと想像しながら、少しだけ特別な時間を過ごしているような気がした。
高校生になると、音楽を求めてラジオをよく聴いた。
アンテナを伸ばし、家じゅうでノイズの少ない場所を探し回りながら、新しい曲に出会うたびに胸が躍った。
深夜にひとりで笑ったり、翌日友人と話題を共有したり、ラジオは日常の一部になっていた。
浪人時代、ラジオはさらに大きな支えになった。
不安な夜、同世代の声や落ち着いた語りが、心のざわつきを静かに整えてくれた。
深夜に流れる穏やかな話し方は、どんなときでも寄り添ってくれる存在だった。
大学生になると少し距離ができたが、音楽を聴く時間が増えると、また自然とラジオに戻っていった。
車の中で流れる音楽と語りは、日々の移動を豊かなものにしてくれた。
社会人になり、慣れない土地で一人暮らしを始めたころ、実家から持ってきた小さなラジオが心の支えになった。
眠れない夜に流しっぱなしにしたラジオの声は、孤独や不安をそっと和らげてくれた。
仕事がうまくいかない日も、落ち込んだ日も、ラジオは変わらずそこにあった。
転職で住む場所が変わっても、ラジオはいつも生活の隙間に寄り添っていた。
コロナ禍で在宅勤務が続いた時期には、仕事の合間に流れる声が、生活のリズムを整えてくれた。
そして今、人生の岐路に立つ中で、ラジオを楽しめない瞬間がある。
それでも、ラジオは人生の伴走者のような存在だと思う。
日常に寄り添い、そっと支えてくれる声。
その温度を忘れずにいてほしいと願う。
いいときも悪いときもそばには、ラジオがいた。
これからも、きっとラジオを聴き続けるだろう。

 


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