スキとコメントの裏側を考えすぎて、一人で百面相している
スキをもらえると嬉しい。
コメントをもらえると、もっと嬉しい。
「ああ、読んでもらえてるんだな」と実感する。
noteを書いている身としては、やっぱり反応があるのは嬉しいものだ。
ただ、ひとつ気になることがある。
2000字を超えた記事を投稿しても、2秒以内にスキがつくことがある。
しかも珍しくもない頻度で。
……これは絶対、読まずに押してるじゃん。
もちろん、それはそれで「認知してもらえるようになった」ということなのかもしれない。
そう無理やりポジティブに捉えることもできる。
だけど、やっぱり気分がいいものでもない。
まったくもう、どんな奴だよ。
と、相手のページを見に行く。
すると。
ク…ッ!
読みもせずにスキだけつける奴なんてしょうもない奴と思っていたのに。
いい記事を書いている。
メチャクチャ私好みのジャンル&文体だ。
そう思ってしまった以上、スキを付けないわけにもいかない。
ただのお返しなんだからね!
そんなツンデレ発言を心の中でしながら、しっかりスキをつける。
現在、全員にお返しが行き届いていなくて、心苦しい状態だというのに。
noteはまず「見つけてもらうこと」が課題だと言われている。
たぶん相手からしたら、私の記事を読んでも読まなくても、スキをつけることに変わりはないのだろう。
見つけてさえもらえれば、あとは評価される。
そんな自信の表れなのかな。
なにせマイナス感情から読み始めた私に、スキをつけざるを得ないと思わせた文章なのだ。
それだけ良い記事を書ける人なら、私の記事なんて読んでもつまらないのではないか。
なんだか急に、才能の格差を見せられたような気がして、しょんぼりする。
一方、コメントがついた時は違う。
さすがに読まないと書けない内容ばかりで、
「わあ😆✨」となる。
これは嬉しい。
この気持ちを伝えねば。
ただの「ありがとうございます」だけじゃ足りない。
記事を読むための時間だけでなく、コメントを書く時間まで割いてくれたのだから、もう少し何か言いたい。
そこで考える。
「わざわざコメントをありがとうございます」
……ん?
「ご丁寧にコメントをありがとうございます」
……んん?
なんだか、しっくりこない。
私は生まれも育ちも関東の人間である。
京都は学校の修学旅行でしか行ったことがない。
――なのに。
「わざわざ」って、「そこまでしなくても」というニュアンスが出ないだろうか。
「ご丁寧に」って、場合によっては何だか嫌みっぽく読めないだろうか。
失礼がないようにと思うあまり、京都人でもないのに、言葉の裏まで勝手に考えてしまう。
考えすぎているだけだと、頭ではわかっている。
好意的なコメントをいただいた返信という流れでは、相手もそんなことを考えないだろう。
それでも、曖昧さを美徳としてきた日本語は、やっぱり難しいと思ってしまう。
う…うう。
私に語彙が足りないばかりに。
結局、いろいろ考えた末に、
「ありがとうございます」と書く。
いたって普通。
我ながらガッカリである。
noteを書いていると、こんなふうに、対面でもないのにパソコンの前で一人で百面相している。
たった「スキ」ひとつで考え込み、
たった「ありがとうございます」の一言で悩む。
文章を書くのが好きでnoteを始めたはずなのに、投稿した後のほうが、言葉について悩んでいる気がする。
……まあ、それも含めて、noteは面白いのだけれど。
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