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夕暮れが好き

昼でも夜でもない、あの時間が好きだ。

空が橙から紫に変わっていく、ほんの数十分。

誰かが一日の光をゆっくり回収しているような、そんな静かな移り変わりを、ぼんやりと眺めていると、胸の奥がきゅっとなる。


夕暮れは、終わりじゃなく「境目」だと思う


子どもの頃から、夕暮れ時はどこか切なかった。

外で遊んでいて、空が赤くなってくると「帰らなきゃ」という気持ちと一緒に、なんとも言えない寂しさが来た。

あの感覚は大人になっても変わらない。

でも最近、その切なさの正体が少しわかってきた気がする。

夕暮れは「終わり」じゃなく、「境目」なのだ。

昼という時間と、夜という時間のあいだにある、どちらでもない場所。

そこに立っているとき、私たちは一日のなかで最も「今」にいる気がする。


時間が溶けていく感覚


夕方の光は、ほかの時間の光と違う。

朝の光は鋭くて、「始まるぞ」と背中を押してくる。

昼の光は平等で、すべてをまんべんなく照らしている。

でも夕方の光は、やさしく傾いていて、影を長くして、世界を少しだけ柔らかく見せてくれる。

同じ道を歩いていても、夕暮れの中では違う景色に見える。

いつもの電柱。見慣れた角の家。子どもが走っていく後ろ姿。

全部が橙色に包まれて、少し夢のようになる。

時間が溶けていく感覚、と私は呼んでいる。


「今日」が終わることへの、静かな感謝


子どもを迎えに行く帰り道、西の空が燃えているとき。

「今日も終わるな」と思う。

うまくいったこと、うまくいかなかったこと。やりたかったのにできなかったこと。思いがけずよかったこと。

夕暮れを見ていると、そういうものが全部ひとまとめになって、空に溶けていくような気がする。

悔やんでも悔やみきれない日も、夕暮れの前では「今日はそういう日だったね」と言える気がする。

うまく説明できないのだけれど、夕暮れは私にとって「許し」みたいなものだ。

今日を終わらせてくれる、静かな儀式。


感傷的になることは、悪くない


夕暮れに切なくなることを、昔は「感傷的すぎる」と思っていた。

もっと合理的に、感情に流されずに、と自分を律しようとしていた時期がある。

でも今は思う。

感傷的になれることは、豊かさだ。

夕焼けを見てきゅっとなれる心があるということは、まだちゃんと感じられているということ。

忙しすぎると、夕暮れが来ても気づかない。空を見上げる間もなく、一日が終わっている。

感傷的になれる日は、少しだけ余白があった日だ。


夕暮れの中に立つたびに


あの橙と紫のあいだに立つたびに、私は思う。

霧の中を歩いている私の旅に、今日もひとつ日が落ちた。

どこへ向かっているかまだわからなくても、今日という一日は確かに存在した。

それで十分だと、夕暮れは毎日教えてくれる。

明日もきっと、あの色が来る。


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