【第五章 終話】 連載小説「オボステルラ」 【第五章 巨きなものの声】 16話「ねがいごと」(9)
16話「ねがいごと」(9・第五章 終話)
ディルムッドが去り、また2人きりになったゴナンとミリア。もう、ゴナンの背中から手を外しても大丈夫な状況だったが、とても大きくて温かいその背中から、ミリアは少し離れがたかった。
「大丈夫だった? ミリア。ケガしてない?」
ゴナンが声をかけ、ミリアはそれに応えるように、ようやく離れる。
「え、ええ……。ごめんなさい、ゴナン…」
「?」
「また、わたくしのせいで、あんなことが……」
ミリアはぐっとうつむいた。ゴナンが外套の下に、ミリアの刺繍の上衣を着ていることには気付いていた。
いくら否定しようとしても、ミリアの周辺ではどうしても不幸なことが起こってしまう。ミリアはまた、昨晩の母の言葉に囚われ始めていた。しかしゴナンはやはり、きょとんとする。
「なんで? 無事だったから。何も起こってないよ?」
「……」
「ミリア…。もしまた悪い奴が来ても、今みたいに、俺が護るから……」
ミリアはハッとゴナンを見る。
「……あ、でも、今も、ディルが偶然、通りかかってなかったら危なかったけど…。もっとディルに鍛えてもらって、もっと鍛錬して、強くならなきゃ。それに、絶対にお腹も空かせないし。ミリアが何の心配もしないで済むように、俺、頑張るから…」
「……」
「それで、ずっと、一緒に旅しよう……。卵に、そう、お願いするから……」
その言葉に、ミリアの胸はかつてないほどに早打ちした。ゴナンを見たいのに、ゴナンをまともに見ることができない。

(……だめよ。わたくしは、こういうことのために、お城を飛び出したのではないのだから。サリー…)
遠い城で1人、王女の役割を果たし続けているはずの影武者に、ミリアは思いを馳せる。
(……そう、これはきっと、気のせい…。ゴナンがたまたま、身近にいる年齢の近い男の子で、護ってくれて、優しい言葉をかけてくれるから。それでわたくしは、『あなユラ』の読み過ぎで、その気になっているだけ…。場所も、こんな、排水の施設で、ひどく臭いもする場所だし。ああ、でも、ここも、人々の暮らしにはとても大切な施設ではあるけども…。ゴナンもあんなに楽しそうにここの説明をしていた……)
でも、ゴナンが先ほど口にした、卵への願い事。一緒に旅したい。あれは、どういうことだろう。あれが、本当に、叶うのならば…。
「……ゴナン、ありがとう…」
ミリアはようやくゴナンの顔を見て、そして口を開いた。いつもの悠然とした表情に戻っている。
「……ひとまず、わたくしはこれからも、一緒に旅をするわ。先ほど湖で言ったことは、忘れて」
「うん。そうだな。離れる必要なんてないよ」
ゴナンはホッとしたように笑顔を向けた。しかしミリアは、ぐっとつらそうな瞳で、ゴナンを見た。
「……でも、1つだけお願いがあるの…」
「何?」
「その、わたくしが刺繍をしたお洋服。それはもう、着ないで……」
「……?」
搾り出すように口にしたミリアのその言葉に、しかしゴナンは首を傾げる。
「なんで?」
「お願い。ゴナンの身に、何か起こってほしくないの。わたくしが一緒にいるというだけでも大変なのに、その上、そんなものを身に付けていたら……」
「……」
「……自分だけが楽しくなって、そんな良くないものを作って、わたくしは愚かだったわ。わたくしは自分の振る舞いを、後悔したくないの……」
そう頭を下げるミリアに、ゴナンは困ったように答える。
「これは、ちゃんと着るよ。ミリア、これ作るの、楽しかったんだろ? これは俺の『勝負服』だから」
「……でも…」
「関係ないよ。今までも何もなかったし。な?」
そしてゴナンは、ミリアに手を差し出した。
「さあ、帰ろう。もう、十分お散歩、したよね」
「ええ…」
ミリアは一瞬、ゴナンの手を取るのを躊躇ったが、しかしすぐに手を差し出した。
「……ゴナンはどうして、いつもそうやって手を差し出してくれるの?」
「えっ?」
聞かれてゴナンは、しかし返答に迷った。ミィと同じような『小さな女の子』に手を差し伸べるのは当然であるし、ゴナンの手には、あの渇いた村で、徐々に体温を失っていったミィの手の冷たさが残っている。ミリアの手がちゃんと温かいのか確かめたい気持ちもあってつい手を出してしまうのだが、それをミリアに伝えるのは躊躇われた。
「……特に理由はないよ。ミリアがこけたら、大変だから」
「まあ、わたくしを何歳だと思っているの?」
そう笑うミリアに、口元を緩ませるゴナン。そうして、管理人に挨拶をして、乗ってきた馬の方へと向かった。
「あらあら、進展はなかったようだけど、イイカンジに収まったのかしら?」
いつの間にかナイフが戻ってきて、物陰に潜みながら2人の様子を見ていた。
「ディル、ごめんなさい、見失ったわ。奴等、馬を捨てて徒歩で三方向に逃げたみたいで、気配を追い切れなかった。手練れの者ね」
「大丈夫だ。深追いするとナイフが危なかったかもしれない」
「……」
そう口にし、そしてゴナンとミリアが馬に乗って、街の方へと向かうのを見届けるディルムッド。姿が見えなくなったのを確認して、ようやくエレーネに合図をしてルチカを拘束から解放した。
「あー、手が痛い」
極められていた右手を振りながらそうぶつやくルチカ。
「いい加減、ミリア様を危険な目に遭わせようとするのはよせ。それにお前には、他にも疑いがある」
「?」
「……ほうぼうで軍や警察に掛け合って糧食を集め、犯罪者を募ろうとしているようだな? 一体、目的は何だ?」
「……!」
ルチカは灰青の瞳に警戒心をたぎらせディルムッドを睨みあげる。
「……別に…。何でもないよ。食べ物と人手が欲しいだけ」
「…機械士の仕事に、という訳ではないだろう。わざわざ重犯罪者を集める意味が分からない」
「あなた達には関わりないから、ご心配なく。巨大鳥にも、卵にも関係ないコト」
「それで納得すると思うのか?」
そうやって凄むディルムッド。常人なら震え上がり崩れ落ちる落ちる圧だが、ルチカは負けずににらみ返す。そして…。
バン、という音共に、一瞬、手を上に向けたルチカ、その手には空気砲があった。……いや、空気砲よりも少し大きい…。
「……!」
ルチカがさっと後方に飛び退いた瞬間、3人の上に網が落ちてくる。
「……あっ。またこの、ちょっとベトベトする網……!」
「じゃあね。もう二度と会うことがないよう祈るけど。ミリアさんには会いたいけどね」
バタバタと網の中で逃れようとする3人にそうニヤリと笑って、ルチカはどこかへと走って行った。そうして、どこかに飛行翼を隠していたのだろう。すぐに空を飛び立つ影が見えた。
「…もう……。また、してやられたわね……。悔しいったら」
ベトベト網から逃れながら、ナイフがぶつやく。
「いや、私が、奴を解放する前に尋問すればよかったのだ。それか武器類を奪っておくべきだった」
「それにしても、だけどね…」
体中がベトベトで気持ち悪いが、ひとまずは急いで馬に乗りゴナンとミリアの後を追わないといけない。ルチカが追いついたら厄介だし、逃げおおせた黒服の男達の存在もある。
(……いや…。あの者等は、私がいることが分かっている以上、無理はしてこない様子だった。ということは……)
ディルムッドはそう考えながら、急ぎ馬を駆った。
* * *
ローゼンフォードの街の宿屋・ロッカ亭の一室。
そのようなお散歩騒動が起こっている最中、リカルドは1人、宿屋の部屋でデスクに座り、ボンヤリと机上に目線を落としていた。
ゴナンとミリアの『見守り』に出た一行を見送った後、そうし始めて、やがて2時間が経つ。エルダーリンドを離れて、すっかり心の元気を取り戻していたのに、気付いてしまった。
「……」
リカルドの目線の先には、デンに渡すための手紙がある。封印をし、その下に差出人の名としてデンの名、その下に代筆者としてリカルドの名を記し、そして今日の日付を記している。
『黄金月 後の30日』
今日は黄金月の最終日で、明日からは冬の暦である銀夜月に入る。
そして今日、この日は、リカルドの30回目の誕生日でもあった。
リカルドの寿命まで時計が確実に進んでいることを、リカルドに深く自覚させる日。なるべく自身の誕生日のことは考えないように脳の奥底に押しやっていたのに、文字に記すことで、いやでも意識してしまった。

ユーの呪いの通例通りならば、リカルドはあと3年と11ヵ月後、冬が近づき寒くなりつつある黄金月の後の1ヵ月間のどこかで死を迎える。今日から4度目の銀夜月を、リカルドが此方で迎えることはないのだ。
(……4年を切った…。時間が、もう、あるようでいて、ない……)
ドロリとした焦燥感と、諦めと、僅かな希望とが入り乱れて、リカルドの瞳は暗く沈む。
(……頼みのあれも、壁画の遺跡も、結局、何も分からなかった…。何も応えてくれなかった……。何も、何も進んでいない……)
何かが進むかもしれないと期待した分、落胆も大きかった。
リカルドは、ただボンヤリと、しかしすがるように、助けを求めるように、心の中でゴナンの名を呼び続けた。
この名を呼んだところで、どうしようもないということは、わかっていても。
(……ゴナン、ゴナン……)
【第五章 了】
※第六章スタートまで、少しお時間頂きます! お待たせしてすみません!
↓次の話↓
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