私の夫は宇宙人〜契約結婚・観察日記〜 #03
大いなる宇宙の謎
我が家の家政人(カセイジン)は先ほどから、キッチンで何やら制作中。
「最近、雫さんのストレス値、及び、コルチゾール値の上昇が顕著です。我々の星の高貴なエネルギー源を摂取してみてはいかがでしょうか」
差し出されたそれは、まるで宇宙銀河のように美しく発光しているゼリーのような形状の物体であった。宇宙を思わせる深いブルーに、角度を変えるとオーロラのような輝き。
繊細なガラス細工のような、オブジェとして飾りたいほど美しい色合いである。微かな甘い香りを感じるが、食べ物には見えない。
それでも彼の真剣な眼差しに押されて、戸惑いながらその欠片を口に入れた途端、爆発するように弾け広がるミントに似た凄まじい清涼感。
何とか飲み込んだものの、途端に胃がスースーして、まるで私の身体の中にポッカリと穴があいて、ブラックホールができたような感覚。
慌ててコーヒーを流し込むと、彼は目をキラキラさせながら、私の顔を覗き込んだ。
「雫さん、いかがですか?
爽やかな香りで疲れも吹き飛びませんか?
我々はこれを聖なる生命の息吹と呼んでいます」
「……そうね、地球的な表現をすれば……
歯磨き粉を一本そのまま飲み込んだような気分だわ……
それよりも、これって宇宙的に合法なんでしようね…?」
「もちろんです。雫さん、
ご安心ください。我々の母星では、頑張ったご褒美なのです。お口にあって何よりです」
宇宙人は満足げに答えた。
その日は一日中、頭の中にスースーした風が吹き渡り、強烈なミントの刺激で思考はクリアであった。
けれど、目の周りにメンソレータムを塗ったような刺激で涙が止まらず、仕事に若干の支障をきたすという副作用があったが、宇宙人はまるで平気らしい。
地球人の角膜は、かなり繊細なのだろう。
そこで一つの疑問が湧く。
そもそも宇宙人に角膜があるのだろうか?
その日は、お腹の底から爽やかなミント畑のような香りに包まれ、鼻の通りが劇的に良くなったことも記しておく。
この作用で、もしかしたらタバコの匂いがかき消される状況も期待できるが、そこまでして摂取したい味ではない。
彼は、料理に関してはプロ級の腕前であるが、嗜好品については、地球人の味覚とはかなりズレていると言わざるを得ない。
最近私は運動不足を感じ、動画を見ながら筋トレを始めた。
「雫さん、情報によると地球人の筋肉の再生にはタンパク質が欠かせません。そこで、こちらはいかがでしょうか」
彼が差し出したのは「プロテイン・マシュマロ」なるもの。見た目は薄っすらと虹色がかっていて、手触りは普通のマシュマロのようだ。
ご機嫌取りのつもりだろうか。
特に警戒もせず口に入れた。
見た目のふわふわした食感からは想像を絶する暴力的な辛さに絶句。その後悶絶。
新しいものは何でも試してみたくなる自分の好奇心と迂闊さを反省した。
汗を拭きながら、水をガブ飲みする私の様子を見て、彼は弱々しい声で
「こちらの情報をもとにしました…」
どこで調べたのか「筋肉増強には栄養(プロテイン)と刺激(カプサイシン)の合わせ技が最適」という謎の健康サイトの情報を信じて調達してきたようだ。
まぁ、あながち間違ってはいないが、限度というものがある。
彼のお菓子のチョイスに関しては、かなり当たり外れが大きいため、警戒は怠らないでおくつもりだ。
見た目だけは、やたら整ったこの個体は、本当に高度知的生命体なのか?
大いなる宇宙の謎である。
母の襲来
恐れていた母の来訪があった。
母は昔から、自身を良妻賢母だと自負しているようだが、私から言わせれば、娘の将来を全て掌握したいだけなのだ。
優秀な娘の母親というラベリングをしたいのだろう。
いい加減、放っておいてほしい。
父は既に他界しているが、母は未だにいろいろ我慢してきたとよく愚痴をこぼしている。
どっちもどっちな気がするが、反論でもしようものなら色々面倒なことになるので、私は何も言わないことにしている。
つい先日、母から電話があった際、干渉から逃れたい私は、(契約の便宜上)入籍したことだけを伝えた。
これでやっと、「結婚はまだか」攻撃から逃れられると思っていたのだが、甘かった。
母は、部屋に入るなりまくしたてる。
「ずいぶんと寒々しい部屋ね。もっと可愛いものとか飾ったらどうなの?カーテンもつまらない色ね」
はぁ……また始まった。
そこへ宇宙人登場。
個体認識No . RD - 213
コードネーム : 辛(コウ)
「お母様、はじめまして。コウと申します。」
彼の均整のとれた美しい顔を見た瞬間、母の声がワントーン上がった。
「まぁ……コウさん? 娘から、とても素敵な方だと聞いてはいましたけれど……本当、モデルさんのようですこと」
母は、整った身なりや「世間体の良さ」には滅法弱い。
彼の計算し尽くされた美貌と、付け入る隙のない完璧な微笑みは、母という猛獣を鎮める最強の麻酔銃になったようだ。
さっきまで部屋のインテリアを「寒々しい」と切り捨てていた口調が打って変わる。
母はすでに、自分を「このハンサムな婿を持つにふさわしい、上品な母親」という役柄にシフトさせていた。
「お母様、お目にかかれて光栄です。お噂はかねがね。雫さんのこの理知的な美しさは、お母様譲りだったのですね」
コウの口から、どこか温度の低い賛辞が淀みなく流れる。
彼は、私の背後に回ってそっと肩に手を置いた。その手は、地球人の体温よりわずかに低い。
「さぁ、お母様。どうぞ、こちらへ。お母様の膝の持病に障らぬよう、最も負荷の少ない角度で設計されたヴィンテージの逸品です」
母は、自分の持病(いつもあそこが痛い、ここが痛いとボヤいている)まで気遣われたことに驚きつつも、うっとりとした表情で、私のお気に入りのソファに腰を下ろした。
「まぁ、気が利くこと。それにしても、コウさんはどちらのご出身なの? お名前からして、ご実家はあちらの方?」
「実家は、ここからはかなり遠いのですが……
そうですね、とても静かな光に満ちた場所です」
彼は、一切の嘘をつかずに、致命的な真実を「詩的な表現」で覆い隠していく。
「お母様に、私の故郷で『親愛なるもの』へ捧げる特別なお茶を淹れましょう」
彼はキッチンで、不思議な色の茶葉を取り出し準備を始める。
私は、彼が優雅な手つきで「宇宙茶」を淹れるのを眺めていた。
母親の干渉と束縛から私を自由にしてくれる「隠れ蓑」として完璧過ぎる宇宙人。
私は、彼との出会いに改めて感謝した。
契約結婚万歳!
母はすっかり毒気を抜かれ、このコウという得体の知れない引力に完全に捉えられていた。
彼は、母の瞳の動き、呼吸の深さ、声の周波数を瞬時にスキャンし、彼女が「最も言われたい言葉」を正確に選んで投げている。
それはコミュニケーションというより、もはや精密な調律。
掌で転がされる母を初めてみた。
母は、ついさっきまでこの部屋のカーテンを「つまらない」と切り捨てていたことなど、微塵も覚えていないようだった。
母のお土産のケーキと彼が差し出した、見たこともないほど澄んだ黄金色のお茶。
宇宙茶を一口啜り、うっとりと溜息をつく。
「まぁ…このお茶、とてもいい香り。美味しいわ……」
「気に入っていただけて何よりです。私の故郷では、この香りは疲れやストレスを軽減する作用があると言われていて、健康増進にも良いとされているお茶です」
家政人(カセイジン)は微笑んで、最適解の完璧な紳士を演じている。
凄まじい人心掌握術。
「……ねぇ、コウさん。今度はぜひ、私の家にも遊びにいらして。お父様の遺した古いコレクションがあるのだけど、あなたならきっと分かってくださるわ」
「光栄です。その日を、私の全記録回路において最優先事項として登録させていただきます」
母は、その奇妙な言い回しを「最上級の誠実さ」と受け取ったらしい。
頬を赤らめ、すっかり上機嫌で立ち上がった。
「今日は急にお邪魔してごめんなさいね。でも安心したわ。あなたのような方に守られているなら。この子……少し偏屈なところがあるのだけど、うまくいく気がしますもの」
「お任せください。雫さんの『偏屈さ』こそが、私にとって無くてはならない不可欠なエッセンスですので」
なんだ、この会話…おかしいだろ…とツッコミを入れたくなるが、ここは目を瞑ろう。
あの母を短時間でここまで懐柔させられるのは、この宇宙人しかいないのだ。
彼は完璧なエスコートと笑顔で、母がエレベーターに乗り込むのを見送った。
「……驚いた。コウさん、見事なものね。あの母をこうも簡単に手玉に取るとは……」
「お母様という個体は、非常に……『予測しやすいデータ』で構成されていますね。これで当分の間、雫さんの聖域(サンクチュアリ)への物理的介入は阻止できるはずです」
私を母の干渉から遠ざけるための、これほど優秀な盾があるだろうか。
あまりにもスマートに母を追い返した後、こともなげに彼は言った。
「人心掌握は簡単です」
……だとしたら、私に対しても?
そんな疑問が頭をかすめた。
「ねぇ、コウさん。もしかしたら、私に対してもさっきの人心掌握術を使ってるの?」
かねてからの疑問を口にしてみる。
「雫さん……そ、それは…」
彼が何かを言い淀んでいる。
……ま、いい。
理由はどうあれ、今のところ私は、この『隠れ蓑』を気に入ってるし、お互いの利害関係は一致しているのだから。
深夜、ふと目が覚めるとリビングから微かな音が漏れている。そっとドアを開けるとそこにはテレビの前に正座し、バラエティ番組を食い入るように見つめている宇宙人の姿があった。
彼は画面の中で芸人が転んだり、誰かがボケたりするたびに、空中に浮かせたホログラムのノートに何かブツブツ言いながら懸命にメモを取っている。
翌朝、いつものようにカウンターに開きっぱなしのパソコンを見るともなしに覗くと
「※ここで0.5秒の沈黙後、打楽器の音が入ると脳が弛緩する」などと、恐ろしくわけの分からないメモがあった。
これは何かの暗号なのか…?
仕事中、換気扇の音と共に、またあの忌々しい匂いが鼻をかすめる。
私がキッチンへ向いながら「コウさん…」と言った瞬間、どこからともなく、テレビでよく聞く「チャンチャン♪」というマヌケな脱力音が聞こえてくる。
換気扇の下に佇む宇宙人に「くさい!」と文句を言うと今度は真顔で、「ズコーッ!」という音を口で再現したり、驚くと「ジャン!」というドラムの音を鳴らしたりする。
「……ふざけてるの?」と冷ややかに睨む私。
彼は首を傾げ、
「おや、タイミングが早すぎましたか。では、こちらはどうでしょう」
と言って、今度は盛大な「拍手喝采と笑い声」のSE(効果音)を流してくる。
さすがの私も「コウさん!」と怒鳴ると、宇宙人は目を泳がせながら言い訳を始めた。
「地球のテレビ番組を解析した結果、会話の節目に特定の周波数の音を挿入することで、 ストレスが緩和され 『笑い』というプラスのエネルギーに変換されるという仮説を立てました。
雫さんが私のデフラグ(隠れタバコ)に怒りの感情を示す際、適切なSE(効果音)を挿入すれば、怒りのボルテージは著しく低下するはずです。次は『テッテレー』を用意しています」
私は本気で呆れて、
「もう本当に…いい加減にしてちょうだい」
と言うと、彼は少しだけ残念そうに指先をパチンと鳴らし、SE(効果音)を止めた。
「人心掌握の法則によれば、これで場が和むはずなのですが……どうやら、 雫さんの感情回路は、私の母星の超電磁嵐よりも複雑なようです」
結局、彼はマヌケなSE(効果音)の代わりに、私の好きなコーヒーを淹れることで機嫌を取ることにしたらしい。
母やご近所のマダムたちへのスマートな人心掌握術に対して、あまりにピント外れなSE作戦とのギャップに、私の思考回路がバグりそうである。
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