私の夫は宇宙人〜契約結婚・観察日記〜 #05
宇宙人のホームシック
遥か何万光年もの時空を超えて、我が家に同居中の宇宙人は、最近少々ホームシックなのか、我が家のルンバにやけにシンパシーを感じるらしい。
ルンバを、まるでペットのように扱っている。
宇宙人のペットとはロボットのようなものなのだろうか?
孤独な任務ゆえに、それも致し方ないとも思うが、「セクター」という名前まで付けて何やら話しかけている姿を見ていると、少々哀愁を誘う。
餌(ゴミ)を食べるように体内に吸引し、自分でハウス(充電基地)に戻る姿は、健気な犬のように見えなくもない……のかもしれない。
昨日は、ゴミの代わりに犬用のドライフードをこっそりと撒いてセクター(ルンバ)が黙々と掃除する様を眺めていたのを見てしまった。
ここは、できるだけ触れないでおいてあげようと思う。
神殿の崩壊とエッグ・ドーム
私が冷蔵庫を開けると、そこには数日前に築かれた「キュウリの神殿」が、静かにその姿を変えつつあった。
キュウリが、重力と乾燥に押され、わずかに形容が変化していた。
「……雫さん。現在の野菜室は、計算上の最適解から3.2%逸脱しています」
いつの間に現れたのか、背後で辛(コウ)さんが痛恨の極みといった顔で立ち尽くしていた。
「野菜だもの、仕方ないわよ」
「リソース(水分)の喪失です。細胞圧が低下し、私が設計した冷気整流ラインが歪み始めています。地球のエントロピー増大という名のノイズが、私の構築した秩序を侵食している……」
「コウさん。完璧なものなんて、地球には存在しないのよ。これ、明日の朝食にすればいいじゃない?」
私にできるのは、彼が整えそして守りきれなかった 「残骸」を、朝食として淡々と受け取ることだけだ。
「……雫さんのその 『代謝』という名の受け入れが、今は唯一の救いに思えます。秩序が保てないのであれば、いっそエネルギーへと変換されるべきだ」
最強のデフラグという名の嗜好品(タバコ)を封じられている彼は、こうして野菜の劣化という小さなノイズにすら、自分の存在を脅かされているのだろうか。
まぁ、確かに私にコーヒーを飲むことを禁じられたらと考えれば、同情はするが……
けれど、タバコという有害物質を吸い込むのだけは御免だ。
翌朝、食卓には驚くほど美しく、かつて神殿だった面影を一切感じさせないほど瑞々しく切り揃えられたサラダが並んでいた。
「雫さん、サラダだけでは消費しきれないので、浅漬けも作りました。」
彼のデフラグの残骸を、美味しく頂く。
それが、家事の一切を任せている私にできる、彼への最大限の敬意の払い方だった。
冷蔵庫の「キュウリの神殿」が、地球の乾燥に敗北して撤去された後、彼は新たに「エッグ・ドーム」を建設した。
卵の一つひとつが、殻の曲率を計算し尽くされた角度で積み上げられている。
冷蔵庫ならしばらくは鮮度が保たれるはずの卵だが、彼にとっては「完成した瞬間から、目に見えないレベルで殻が歪み、ドームの構造強度が低下し続ける」という、滅びゆく星のような儚い存在らしい。
彼は毎朝、儀式のようにドームの端から「ひとつ」だけを慎重に手に取り運んでいく。
「……コウさん、卵一個で何を作るの?」
「雫さん、これは調理ではなく『聖なる解体』です。今日の私の演算ログをリセットするために必要な、最小単位のタンパク質変換なのです」
彼はその一個を、恭しく手に取ると、器用に片手で割り、繊細な手つきで儀式の如く目玉焼きに仕上げる。
数日前まで、計算し尽くされた角度で神殿を構成していた「パーツ」が、今は皿の上で黄身の半熟具合も完璧に円を描いている。
彼はこの 「一個ずつ消えていくプロセス」 そのものにデフラグの効果を見出しているようだった。
そこまで拘る必要性が、私には理解できないが……
これは宇宙人の一種の依存症なのだろうか。
まぁ、ギャンブル依存症よりはマシではある。
私は神妙な面持ちで、胸の前で手を合わせる。「今日のデフラグの欠片、いただくわね」
「感謝します、雫さん。崩壊していくエントロピーを摂取し、エネルギーへと再構築する。
これこそが、この惑星における最も合理的な『敗北の認め方』です」
彼は満足げに微笑み、残された卵の角度を、また数ミリだけ微調整した。
冷蔵庫の中の儚い神殿は、あと数日をかけて、私の胃袋の中に完全に「収穫」される予定だ。
サバ缶の不法建築
野菜室のキュウリが「有機的な敗北」を認めて撤去された後、新たに建設された「エッグ・ドーム」
冷蔵庫の中の、あまりにも無益で、それでいてひたむきな「完璧への抵抗」を見ていると、呆れを通り越して、奇妙な哀愁すら感じてしまう。
だが、問題はリビングである。
冷蔵庫の中の神殿が「毎日ひとつずつ消える」という有限の美しさを持っていたのに対し、リビングに突如現れたそれは、あまりにも無機質で、永遠を主張していた。
「……コウさん。あれ、いつまであそこに置いておくつもり?」
私が指さしたのは、北欧家具で統一したはずのチェストの上だ。
そこには、サバ缶とトマト缶が交互にスタッキングされ、朝日に照らされて異様に輝く「メタル・モニュメント」が鎮座していた。
私のお気に入りの家具や小物たちと、サバ缶のロゴのチグハグさ。
「雫さん。これはこの部屋の磁場と、私のプロセッサの共鳴を安定させるための『外部演算アンテナ』です。
この配置、この光沢の反射角。これが失われると、私の内部ログには致命的なノイズが蓄積されます」
タバコによるデフラグ(彼の脳内の情報整理)の代替案として、彼なりに必死に考え出した共鳴アンテナ。
ついに彼は、冷蔵庫という狭い空間に秩序を閉じ込めておくことに限界を感じ、リビングという私のテリトリーにまで 「秩序」を拡張し始めたのだ。
契約時に交わした「不可侵条約」はどこにいったのか……
けれどこの奇妙な銀色の塔が、私の洗練された空間を静かに侵食している事実には、この際目をつぶることにした。
これは家事の一切を彼に依存し、清潔で静かな暮らしを享受していることへの私なりの譲歩である。
「……わかった。その『アンテナ』建設を了承するわ」
「感謝します、雫さん。
あなたのその『高貴なる妥協』は、私のシステムにとって極めて純度の高い報酬として処理されます」
私たちが絶妙な距離感を保つために、今はこの「ノイズ」を受け入れるしかない。
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