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私の夫は宇宙人〜契約結婚・観察日記〜 #07

帰還命令

​彼は母星へ帰還する最後の日まで、これまでと変わりなく完璧な家事という任務をこなした。

近所のマダムたちへの挨拶も抜かりはなく、言い訳は海外に単身赴任ということになった。

マダムたちからのお餞別やらを両手に、彼は帰宅した。

帰還の前日には、セクター(ルンバ)に、残りの餌をやり、何度も天板を撫でていた。

最後の晩餐は、二人で細やかなホームパーティーを開いた。彼は、私の好みを完全に把握した料理を何日分あるかと思うほど大量に作り、満足げに言った。

「雫さん、残りは冷凍庫にストックしてありますので、しばらくはこれで凌げるはずです」

そんな細やかな気配りとは裏腹に、最後の日は、拍子抜けするほどあっさりとした別れだった。

「雫さん、お世話になりました。任務完了です」

私にそう告げると、彼は玄関から、まるでコンビニにでも行くような足取りで光の粒子の中に消えていった。

あまりにもあっけなく——

私は喉元に引っ掛かったままの、別れの言葉をどう処理していいものか考えあぐねていた。

そして、もう二度と伝えることはないであろう、その言葉を飲み込んだ。

なんだか、いつもより少しだけ広く感じる部屋で、清々しくもちょっとだけ切ない空気を吸い込む。

当面は彼が残していってくれた、冷凍庫のストックがあるし、明日からはタバコや変なオブジェも気にすることなく自分のペースで過ごせるのだ。

そう…また元の生活に戻るだけ――

翌朝、目を覚ますと、そこにあるのは完璧な静寂。

私がかつて、何よりも愛していたはずの「私だけの銀河」……

​しかし、数日が経過するうちに、その銀河に綻びが見え始めた。

ゴミ袋の結び方はアシンメトリーになり、ソファの上には不格好な洗濯物の山ができる。
デスクの上には、片付け忘れたコーヒーカップが3つ。

彼がいれば、これらはすべて「最適化」(片付け)という名のシステムによって、音もなく処理されていたはずだ。

タンスの中の、完璧に畳まれた洗濯物、
ピカピカに磨かれたグラス、
彼の使っていたコーヒーカップ……

まだ部屋のあちこちに、確かに彼が存在した形跡が残されている。

私は、お気に入りのソファの上に積み上げられたままの洗濯物の山を崩しながら、独り言を吐く。
​「もう……全くもって非効率ね」

深刻なバクの最中、彼が撒き散らしていたあの独り言。気づけば私自身の口から漏れ出している。皮肉なものだ。

けれど、私は感傷に浸る暇などない。
私にとって、これが通常モードだったはず。

自分の不器用さに呆れつつも、​目の前の仕事を片付け、苦手な家事という名のタスクを、眉間にシワを寄せながら一つずつこなしていくしかないのだ。


観測プロトコルの再起動

彼が銀河へ帰還してから、三ヶ月余り……

ランチを兼ねた​仕事の打ち合わせを終え、帰宅した玄関前。

この重い扉の先に広がる、洗い残した皿やカップが山積みになっているキッチン、ソファの上に積みあがる洗濯物の図を想像しながら、一度気合を入れる。

玄関のドアを開けたその時、私の鼻腔を掠めたのは、あの忌々しい匂い。

心拍数が、私の意志とは無関係にわずかばかり上昇する。

まさか、という思考と「ありえない」という論理が交錯する。

廊下の奥から聞こえてくる換気扇の回転音。

​そっとキッチンに近づく​と……

​そこには、バツが悪そうに目を泳がせ、左手で必死に何かを追い払っている宇宙人の姿。

あんなに緻密な計算をノートに綴っていた知的生命体が、物理的な匂いを素手で消せると思っているその滑稽さ。

​私は、これまでで一番冷ややかな声を意識して、こう言った。

「……くさい。何してるの、コウさん」

​彼は、まるで宿題を忘れた生徒のような顔をして、消え入りそうな声で答えた。

「……忘れ物を、しました」

「宝くじも、あの変なお菓子も、もう無いわよ」

「いえ、宝くじでも、お菓子でもなく……」

彼は泳いでいた視線を、ほんの一瞬だけ、私の瞳と合わせた。

「火曜日のゴミ出しルールに重大な解釈の余地があることが判明しました。
それと、雫さん好みのコーヒーの温度が季節変動により0.8度変化することを予測・アップデートするため、再派遣を要請しました。
これから買い物に行く時間です」

彼はそれだけ言うと、慌てて換気扇を「強」にして、逃げるように買い物袋を手に取った。

隠しきれていないタバコの匂いと、相変わらず的外れな「宇宙人」の言い訳。

私はキッチンカウンターの隅に置いてある魔法の消臭剤を一吹きして、宇宙の神聖な香りを吸い込む。

この消臭剤もあることだし、まぁ、いいか。
そうだ、ストックもまた作ってもらわなきゃ。

目の前のキッチン、リビングのソファ、お気に入りの家具の上……

塵ひとつ残っていない完璧な空間を見渡す。
そこに広がる聖域(サンクチュアリ)


私はふっとため息をつき、それから、自分でも驚くほど穏やかな気持ちで、持ち帰った資料を開き、新しい日常に戻っていった。


その後も、まぁ……いろいろあるが、それはまたの機会にしておこう。

ということで、私はここで「観察日記」の筆を一旦置くことにする。


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