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8/27 横一面の熊楠、縦一筋の賢治

おはようございます。
2冊とも和歌山を出るときに処分して、再び買い直した書籍。
例によって内容は忘れているので、初めて読むように読める。これがいいことなのか悪いことかは関係ない。
必要であれば何度でも。
とはいえ、今後書籍を安易に処分するのは止めようとは思います。

2冊とも平凡社の本でした。
昭和40年代だったか、家には「平凡社百科事典」が並んでいました。百科事典ブームがあったころ、教員だった異母兄が買いそろえてくれたものだったように記憶しています。
小学生だったワタシは、百科事典の文章は読まずにカラー写真や図説などばかり見ていた思い出がある。

南方熊楠の場合は、遊びに行った他家にそうした書籍がありと、読んで覚えて帰宅してから記憶した内容を全部書き出していたといいます。脳の構造が違ってたんですねぇ。
読んだら書き残す。ここで終わりじゃなく、それらを適宜引っ張り出し、他とリンクさせていく。だから2次元から3次元へとどんどん立ち上がっていくんですね。芋づるなんてもんではなく、天へにも届く豆の木のよう、知らんけど。
鎌田東二は熊楠を「横一面男」、宮沢賢治を「縦一筋男」と表現しています。熊楠は話が果てしなく広がっていく。

有名なところでは、大正14年(1925)熊楠が「履歴書」として日本郵船大阪支店長・矢吹義夫宛に出したもの、巻紙8m、細かな筆文字で約58,000字(400字詰め原稿用紙約150枚)というから、その型破り加減が半端ない。
そんな履歴書、誰が読むかいな? 今、我々が読んでいる。
しかし、矢吹氏がこれを捨てずに残しておいてくれてよかったです。

平凡社百科事典から熊楠の書簡に飛んでしまうあたりは、ワタシにもやや熊楠の氣があるかも?
あ、コレって今でいうADHDでしょうか。
いや、熊楠の場合はADHDとギフテッドの複合型か?

で、さらに賢治に飛ぶと、『農民芸術概論綱要』の中に

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである
われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう
求道すでに道である

『新校本 宮澤賢治全集』第13巻、9㌻、筑摩書房

とある。
もし、これをリアルタイムに言う人が居たら、ワタシは静かにその場を離れると思います。ヤバイッ、こんなヤツと付き合ったらいかん、ってね。
おそらく賢治は孤高だったと想像できるし、だから『よだかの星』のよだかのようにグングン天に昇っていき燃え尽きる「垂直」を目指したんだと思う。

賢治の作品、熊楠の書簡と併せて関連図書を読むのは実に、まことに楽しい、ワタシの場合。

Obsidianの読書記録グラフビュー

最近、それに加えてClaudコードがObsidian内で読書記録の分類整理をし年代別の読書傾向が動きで分かるようになった。パソコン作業に疲れたときなんぞにこの動きをぼーっと見ているのも悪くない。

では、本日もご機嫌元氣に参りましょう。

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