外側の未来と内側の昭和が同居していた時代
1986年、高校1年の自分が見ていた日本社会の“外側だけ未来へ進んでいく”奇妙な光景**
1986年、高校1年だった自分の目に映っていた広島の街は、急に未来へ向かって走り出したように見えた。
外車が増え、金髪の若者が普通に歩き、肩パッドの女性やダブルのスーツの男性が街を闊歩し、並木通りには露天商が現れ、夜には弾き語りのギターが風に混じった。
街の景色は一気に華やぎ、どこか外国のような匂いが漂っていた。
バブルの予感は気づけば現実になり、なぜか皆がお金を持ち、なぜか欲しいものが手に入った。
それを不思議だと思う人はほとんどいなかった。
街の光が強すぎて、理由を考える余裕すらなかったのだと思う。
しかし、今になって振り返ると、あの時代は街の外側だけが未来へ向かっていた一方で、社会の内側──価値観や文化の扱われ方、情報の流れ──は昭和のまま止まっていた。
ゲームは子どもの遊び、アニメはオタクの趣味、映画好きは変わり者、洋楽やパンクは不良扱い。
文化が成熟していても、社会がそれを理解するまでにはまだ時間が必要だった。
街は未来へ向かっているのに、文化の扱いだけは昭和の延長線上にあった。
この“ねじれ”が、1980年代後半の日本社会の本質だった。
その背景には、情報環境の偏りがある。
ネットも携帯もない時代、情報はテレビとラジオ、新聞と雑誌だけが握っていた。
テレビが言えばそれが正しく、雑誌が特集すればそれが流行になり、新聞が書けばそれが社会の空気になった。
比較も検証もできず、疑う材料もない。
だから疑う文化そのものが育たず、価値観は極端に均質化し、個人主義はマイノリティーだった。
学校では皆が同じ私服、同じグッズ、同じコンサート、同じ球団、同じ食べ物。
メディアが作る“正解”に疑いもなく従う空気が支配していた。
その一方で、メディアは“個性的なスター”を商品として持ち上げた。
奇抜なファッションや破天荒なキャラクターはテレビの中では称賛されるのに、日常の個性は「変わってる」と排除される。
個性は商品化されると歓迎され、日常では空気を乱す存在として扱われる。
この二重構造は、当時の日本社会の矛盾そのものだった。
そして、普段は馬鹿にされていた文化が、メディアに光を当てられた瞬間に“正義”へと変わる。
昨日まで否定されていたものが、今日には称賛される。
価値観が自分の内側からではなく、外側から与えられていた証拠だ。
高校1年の自分は、その手のひら返しの空気に強い違和感を覚えていた。
今になって思う。
自分はテレビとラジオで育ったからこそ、メディアの演出と現実の扱いの差に気づけたのだと。
流行の作られ方、情報の偏り、個性の扱われ方、マイノリティーの線引き、社会の同調圧力。
街の光の裏側にある“構造”が、自然と見えてしまっていた。
だから、皆が同じ方向を向く空気に、どこか距離を感じていたのだと思う。
溶け込めなかったのではなく、ただ、見えてしまっていた。
外側だけが未来へ向かい、内側は昭和のまま止まっていた1986年という時代。
その“ねじれ”の真ん中で抱えた違和感こそが、今の自分の感性の始まりだったのだと、ようやく言葉にできるようになった。
チップをありがとうございます。 そのまま宝にしておきます。^_^
