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母親失格かもしれない —— そう思いながら育てた娘が、26歳になった

双子を育ててきて、26年。
娘と息子はそれぞれ社会人と学生になり、今は2人とも独立して暮らしています。

私の中には、今も消えない“自責の気持ち”があります。
特に、娘に対して。

彼女が生まれたのは、壮絶な出産の末でした。
吸引分娩で、先に生まれてきたのは娘。
けれど仮死状態で、すぐに大学病院へ搬送されてしまいました。
続いて生まれてきたのは逆子だった息子。両足を引っ張られて、無事に取り上げられました。

娘と初めて面会できたのは、息子と一緒に退院してから。
不安と焦りと疲労のなか、ようやく再会できたその瞬間のことは、今もはっきり覚えています。

そこからが、本当の始まりでした。

いざ双子育児が始まると、娘は手がつけられないほど手がかかり、
息子は拍子抜けするくらい手のかからない子でした。

——そのうち、だんだん私は、娘のことが可愛く思えなくなっていったんです。

泣きながら怒鳴った日。
眠れぬ夜に、後悔ばかりしていたこと。
誰にも話せなかった気持ち。

育児書に書いてある「双子育児のコツ」なんて、現実ではまったく役に立たなくて。
今のようにスマホも、AIも、SNSもない時代。
頼れるのは、役所の電話相談くらいでした。

ある日、「生まれてすぐに母乳をあげると、母性のスイッチが入る」という記事を目にして、
ショックを受けたことがあります。
もしかしたら産後すぐにそばにいてあげられなかったから、私は母性を失ったのかもしれない。
そんなことばかり考えては、自分を責めていました。

今思えば、それに科学的な根拠はないそうなんですけどね。

それでも「ちゃんとした母親」でいなきゃ、と必死でした。
毎日をこなすだけで精一杯だったのに、
自分には“まだ足りない”と、そう思っていました。

娘がグレてしまうかもしれない——と、本気で思っていた時期もありました。
でも今、彼女は優しくて、芯のある立派な女性になりました。
息子も、穏やかで思いやりのある青年に育ってくれました。

60歳の今だから、ようやく思えるんです。
子育てに、正解なんてなかった。

あの頃の私は、ただ一生懸命だった。
それでも自分には足りなかったと思い込んでいた。
もっと、自分を許してあげてもよかったのかもしれません。

育児って、誰にも見えないところで、自分自身と戦う毎日です。
“正しくある”ことよりも、“壊れない”ことのほうがずっと難しかった。

きっと、どんな育児にもドラマがあります。
これは、私のその一部です。



この先のこと……
まだ書いていない、もう少し深い部分については、
いつかnoteの続きを、有料記事というかたちで綴るかもしれません。

ここまで読んでくださった方がいたら、本当にありがとうございます。
同じように悩んでいる誰かに、少しでも届けば嬉しいです。

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