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#わたしとラジオ だから私は「かよちゃん」の名前を30年たっても覚えている

この記事は「#わたしとラジオ」の企画応募のために書いたものです。
そのため、いつもより少し長めの内容となりますが、最後までお読みいただけたら嬉しいです。
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中学生の頃、私は深夜ラジオを聞いて育ちました。
当時、部屋にテレビもなければ、パソコンもスマホもない時代。だから、真面目な(?)中学生が深夜にやれることは限られています。

親もすでに寝ている深夜、ボリュームを落としたラジオをこっそり聞くのが、中学生なりのライフワークとなっていました。

当時よく聴いていたのがニッポン放送です。
好きだったのは、ラジオの王道番組のひとつと言えるオールナイトニッポンや、わちゃわちゃ感とサブカル感のバランスが絶妙だったゲルゲットショッキングセンター。

ニッポン放送の中でも特にハマっていたのが、土曜日の深夜に放送していた
「ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!」です。

番組の内容は、毎週何人かのリスナーと電話をつなぎ、ロックバンド『叫ぶ詩人の会』のドリアン助川さんが悩み相談に答えるというもの。
電話をかけてくるのは10代の若年層のリスナーが中心でした。

ドリアン助川さんの、穏やかだけど、どこか陰のある語り口が、深夜特有の空気感をより一層濃くしていきます。
リアル中二でもあった中二病の自分は、深夜にこっそりラジオを聴く背徳感と、ドリアンさんの声が作り出す、優しいけれどちょっとだけ重苦しい感じがしなくもない、そんな雰囲気がとても好きでした。

番組にどんなリスナーが出て、どんな話をしていたか、具体的な内容はほとんど忘れてしまいましたが、一人だけ強烈に記憶に残っている女の子がいます。

彼女の名前は、かよちゃん。
私より少し年上の高校生でした。

電話の内容は、
ここしばらく体調不良が続いている。
家族や病院関係者は入院をすすめてくるけれど、なんでそんな大袈裟なことになっているのか分からなかった。
でもある日、看護師をしている姉の日記を見てしまい、白血病という言葉を目にした。

というものだったと記憶しています。

あまりの重さに、絶句していましました。
中学生だった私が、白血病という病にどのくらいの解像度を持っていたかは覚えていませんが、命を脅かす病気であることは理解していました。

私は子どもの頃から、悩みを誰かに相談することはほとんどなく、どちらかというと抱え込むことが多いタイプ。

当時、体型へのコンプレックスから拒食症に片足を突っ込んでいたり、部活では他の部員とうまく馴染めずイジメに近い状況だったり、決して「小さな悩み」では片付けられない問題を一人で抱えていました。

そうは言っても、まだ中学生。
心のどこかで「大人に相談すればたいていの問題は解決するもの」という感覚は持っています。

親に相談する、先生に相談する、病院に行く…。
私に限らず、子どもは「困ったら大人が何とかしてくれる」という世界観の中で生きていることが多いでしょう。

でも、かよちゃんの相談は違います。
ドリアン助川さんは「あなたが白血病のはずないよ」とも言えなければ「病院に行けばきっと治るよ」とも言えません。
神様でもお医者様でもありませんから、当然です。

子どもが大人に相談したからといって、何の解決にもならないという残酷な現実。
それを突然目の前に突きつけられました。

おぼろげな記憶ですが、確かドリアンさんは「生きていればいいこともある」のようなことを、もっと別の言葉で言い、そしてすぐに「いや、いいことばかりでもないんだけど…」と打ち消しました。

これは私の個人的な憶測の域を出ませんが、最初の言葉を発したあと、一瞬でそれまでの人生を振り返り、人間が生きていくということを綺麗な言葉で片付けようとした自分の発言を取り消したのかな…と思います。

当時のドリアンさんは、逆算すると30代半ば。
その若さで既に「生きていればいいことがある」とは限らないことを、経験としてたくさん知っていたのでしょう。

どんな人生を歩んできたら、そんな自問自答ができるようになるんだろう?

中学生から見たら立派な大人だったけれど、今の私よりずっと若かったんだと思うと、今になってドリアン助川さんの人生に興味が湧いてきます。

その日、答えは何も出ないまま「また掛けてきてください」と、かよちゃんとの電話は終了しました。

その後、かよちゃんは何度か電話で出演しましたが、闘病の末に亡くなったということを放送で知りました。

その時の感情を、もう正確には思い出せません。
だけど、30年経った今でも「かよちゃん」という名前を覚えています。

それはたぶん、まだ子どもだった私が「世の中には、誰かに相談しても解決しないことがある」と突きつけられた衝撃が大きかったから。

そしてもうひとつ、家族や学校という狭いコミュニティが世界のほとんど全てだった中学生が、ラジオという媒体を通じて「顔も知らない誰かの人生を想像し、想いを巡らせた」初めての経験だったからかも知れません。

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