小説「日本リブート」 13 中巻〜永田町の悪魔〜 第3章 消耗品としての消費-7
「ただちに避難してください。建物の中、または地下へ避難してください」 不協和音のようなJアラートが鳴り響くたび、日本列島は恐怖に包まれます。
その恐怖を打ち払う「切り札」として、ニュース映像で繰り返し流されるミサイル迎撃システム『PAC-3』。
空に向かって発射機を掲げるその姿は、国民にとって頼もしい「鉄の傘」に見えます。
しかし、一ノ瀬翔が視察した迎撃の最前線——都心の一角に展開した部隊——で待っていたのは、残酷なまでの「確率」との戦いでした。
「飽和攻撃を受ければ、防ぎきれません」 現場指揮官が口にした、あまりに冷徹な真実。 翔は、この巨大な発射機が、実は国民を守るためではなく、「政府は何かやっている」というポーズを示すための「鎮痛剤」に過ぎないのではないか、という疑念を抱きます。
今回は北朝鮮の脅威と向き合う、3分間の絶望の物語。
本編:第3章 消耗品としての消費
3-2-4. 偽りの鉄傘(2040年 晩秋)
1. 公園の異物
その光景は、シュールレアリスムの絵画のようだった。 都心の平和な緑地公園。 ベビーカーを押す母親や、ジョギングをする老人たちの日常風景の中に、突如として迷彩色の巨大な鉄塊が鎮座していた。
航空自衛隊・地対空誘導弾愛国者(ペトリオット)部隊。 通称、PAC-3。
北朝鮮からの弾道ミサイル発射予告を受け、迎撃態勢をとるために展開された部隊だ。 一ノ瀬翔は、SPと共に規制線の内側に入った。 発電機(ジェネレーター)の低い唸り音が、周囲の静寂を乱している。
「政務官、お待ちしておりました」 出迎えたのは、部隊長である三等空佐だった。ヘルメットの下の瞳は、連日の展開任務で充血している。 翔は、天を睨むように仰角をかけて設置された発射機(ランチャー)を見上げた。 箱型のキャニスターの中に、迎撃ミサイルが眠っている。 「ニュースではよく見ますが……実物は威圧感がありますね」 「はい。ですが、これはあくまで『最後の砦』です」 三佐の口調は事務的だった。 「イージス艦が撃ち漏らした弾頭を、着弾直前に地上で迎撃する。言わば、ゴールキーパーです」
2. 音速の壁、物理の壁
翔は、指揮所となる車両(ECS)へと案内された。 狭い車内には緑色のレーダースクリーンが光り、若い隊員たちが無言でキーボードを叩いている。 独特の閉塞感。 ここにあるのは、国を守るという熱気よりも、機械的な「処理」を行う冷たい空気だった。
「率直に聞きます」 翔は三佐に向き直った。 「もし、北朝鮮がミサイルを撃ってきたら……本当に守れるんですか?」
それは、国民全員が抱いている疑問だった。 三佐は一瞬ためらい、周囲の部下たちに視線を走らせてから、声を潜めた。
「……条件によります」 「条件?」 「単発で、かつ通常軌道であれば、高い確率で迎撃できます。ですが、相手もバカじゃありません」
三佐はモニターを指差した。 「ロフテッド軌道(高角発射)でマッハ10以上の速度で突っ込んでくる弾頭。あるいは、変則軌道で飛んでくる極超音速滑空兵器。そして何より恐ろしいのは……『飽和攻撃』です」
飽和攻撃。 同時に多数のミサイルを撃ち込み、防御能力をパンクさせる戦術。
「我々の持っている弾数には限りがあります。同時に十発、二十発と撃ち込まれれば、物理的に手が足りません。それに、PAC-3が守れる範囲は、半径数十キロ……この公園を中心としたごく一部のエリアだけです」
翔は言葉を失った。 テレビでは「万全の態勢」と繰り返されている。 だが現実は、東京という巨大都市のごく一部に、小さな傘を差しているに過ぎない。
「じゃあ、この部隊展開は……」 「……はい。半分は『見せること』が任務です」 三佐は自嘲気味に笑った。 「国民の皆様に『自衛隊が守ってくれている』という安心感を与えるための、精神安定剤(プラシーボ)のようなものです。もちろん、我々は一発でも多く撃ち落とすために命をかけます。ですが……物理法則だけは、根性では曲げられません」
3. 三分間の無力
その時だった。 指揮所内のスピーカーから、無機質な警報音が鳴り響いた。
『演習、演習。弾道ミサイル発射探知。SEW(早期警戒情報)受信』
空気が凍りついた。 隊員たちの目が一変し、キーボードを叩く速度が上がる。 これは訓練だ。だが、その緊張感は本物だった。
「目標、日本海へ向けて飛翔中! 飛翔体数、四!」 「トラック(追尾)開始! 射撃諸元計算!」
翔は、ただ呆然とモニターを見つめるしかなかった。 画面上の赤い点が、恐ろしい速度で日本列島に近づいてくる。 発射から着弾まで、わずか十分足らず。 迎撃の判断を下す時間は、数分もない。
(速すぎる……) 政治家が「遺憾の意」を表明する原稿を書いている間に、都市ひとつが消し飛ぶ速度だ。 「目標、ロフテッド軌道! 落下速度増大!」 「迎撃可能範囲(エンゲージ・エンベロープ)に入ります!」
三佐が叫ぶ。 「撃てッ(ファイア)!」
シミュレーション上のミサイルが発射された。 画面上で光の点が交錯する。 一つ、二つ……消滅。 だが、残りの二つは、赤い線のまま東京の地図上へ到達した。
『……着弾確認。被害想定、千代田区および港区全域』
演習終了のアナウンスが流れた。 静寂が戻った車内で、空調の音だけが虚しく響いていた。
「……これが現実です」 三佐が、汗を拭いながら言った。 「今回は四発でしたが、これが核弾頭なら、撃ち漏らした一発で終わりです。我々は、たった一つのミスも許されないロシアンルーレットを、毎日強いられているんです」
4. 張り子の安心
視察を終え、公園の外に出た。 外では、何も知らない親子連れが、展開された発射機をバックに記念撮影をしていた。 「すごいねー、強そうだねー」 子供の無邪気な声が、翔の耳に痛いほど刺さった。
(俺たちは、嘘をついている) 「国民の生命と財産を守る」 その美名の下で、このPAC-3という「張り子の虎」を展示し、国民を思考停止させているだけじゃないか。 現場の隊員たちは、その嘘の片棒を担がされ、重圧の中で胃に穴を開けている。 そして、本当にミサイルが落ちた時、責任を負わされるのは彼らなのだ。 「なぜ撃ち落とせなかったんだ」と。
翔は、夕焼けに染まる発射機を見上げた。 それは頼もしい盾ではなく、空に向かって突き立てられた、無力な墓標のように見えた。
「……守れていない」 翔は、握りしめた拳に爪を食い込ませた。 この国には、敵基地を叩く「矛」がない。 ただひたすら、飛んでくる石を素手で叩き落とす練習だけをさせている。 そんな歪な構造を「専守防衛」という美しい言葉で誤魔化してきたツケが、今ここに回ってきている。
SPが車のドアを開けた。 「政務官、次の予定があります。官邸で総理への報告が……」 「ああ、分かっている」
翔は、冷たい目で振り返った。 報告することなど、もう決まっている。 「現場は頑張っています」なんて甘い言葉は言わない。 (武器をくれ、と伝える) 迎撃ミサイルだけじゃない。相手に「撃ったらお前も死ぬぞ」と思わせるだけの、本物の抑止力がなければ、彼らの命は守れない。 議論を恐れて先送りにしてきた政治家たちの罪を、俺はもう背負う気はない。
車窓から見える東京の摩天楼。 それは、たった数発のミサイルで消え去る砂上の楼閣だ。 翔の中で、また一つ、何かが冷たく固まっていった。
■ あとがきエリア
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