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センス -sense-


noteの海を回遊していると
いろんなクリエイターが仕上げた
センス溢れる作品に巡り会える。

小説、詩、音楽、イラスト、動画と
僕には紡げないような
センスある作品がたくさん広がっている。

その人の感性や想いが
作品に反映されているように感じられて
それぞれの色や物語を見ているようで
心地よい癒しや気づき、刺激を届けてくれる。

盛り上がりを魅せる企画やイベントで
巻き込む企画力や行動力のセンス。

企画やイベントにアンテナ張って
フットワーク軽く参加するセンス。

交流の場を作り
仲を深める様子を見て、
こういうセンスも大切だよなと感じつつ
ただただ素直にすごいなーと
思いながら眺める今日この頃…。



そんなことを思っていたら
ふと、「センス」って何だろう…?
という疑問が湧いてきた。

日常の中で
センスが良い、センス無い
と気軽に使うけれど、
センスって結局何なんだろう…。

何となくの雰囲気で
その人の感性や優れた才能みたいな
意味合いの認識で使っているけれど、
ぼんやりしていて、モヤモヤする。

気になり出すと連想ゲームのように
考えが広がりはじめた。

ファッションセンスやワードセンス、
部屋のインテリアやグッズに対しても
センスが良いって使うこともある。

ファッションやインテリアに関しては
人それぞれの好みがあるから
お洒落と見る人がいれば、
ダサいと見る人だっている。

センスの善し悪しは
それぞれの感性や感覚次第ってこと?

うーん…まだしっくりこない。



ファッションで言えば、
以前にパーソナルカラー診断を
受けてみたことがあった。

僕はメイクしないタイプの男なので
コスメやメイクのことは皆無だけど、
似合う服の色合いが気になって受けてみた。

パーソナルカラーは
生まれ持った肌、瞳、髪の色から
調和する似合う色を
イエローベース(イエベ)
ブルーベース(ブルベ)
四季でタイプを分けられる。

僕の場合
ドレーピング(色とりどりの布を
顔下に当てて似合う色の確認)をしたら
Autumn (イエベ秋)がメインだったが、
Winter (ブルベ冬)も似合うらしい。

落ち着いた色合いの服装が好きなので
安心と納得があった。

けれど、基準にはなったものの
結局は気になった服を着て過ごしている。
たまには、
少し明るめの服を着たい時もあるから。



ファッションの好みも
人それぞれ違うし、
メイクやヘアカラーが変われば
印象も大きく変わる。

ダボッとしたカジュアルな
リラックス系を好む人がいれば

シュッとしたシルエットが綺麗な
シックなファッションを好む人もいる。

場を弁えたTPOは大切だとしても
自分の好きな色、ファッションが
個性であり、その人のセンスに
なるのかもって気がした。

誰かにダサいと言われたとしても
他の誰かにお洒落、綺麗と
言われる時だってあると思う。

パリコレやファッションショーの衣装を
お洒落か奇抜か、
どう捉えるかはその人の感性や感覚次第。

そう考えるとこれまでに好きになった
色やファッションの遍歴や
インテリア雑貨やグッズの遍歴は
価値観や感性の遍歴にもなるのかも…。

流行やトレンドも大切かもしれないけれど
左右されすぎると
個性が消えてしまう気がした。



センスを掘り下げてみたら
これまでの遍歴や蓄積が
個性や才能として、
生まれてきているのかも。

そんな気がした。

だとしたら
「センス無い」って言葉は
おかしな言葉な気がした。

ファッションとセンスのことを考えて、
ワードセンスへと広げようとしたら
ふと、浮かんできた言葉があった。

「言葉はお洒落感覚で使うものではない」

言葉のセンスは、
流行り言葉やスラング言葉
見映えだけ良いカタカナや横文字で
綴って語っても磨かれないような気がした。

中身のない空っぽな文字だけが
残る包装箱みたいなもの。

言葉の意味や和訳も分からないまま
雰囲気だけで伝えたところで
気持ちや想いは言葉に宿らず
何も残らないまま流れてしまう気がする。



無機質で無頓着な言葉は
静かに相手の心をむしばみ、えぐることだってある
ような気がしている。

無自覚に悪気のない言葉を
渡した側は忘れてしまっても、

言葉を受け取った側は
ずっと長い時間、傷や痛みを
抱え続けることもある。

不思議なもので、
目に見えるプレゼントは
送った側が覚えているのに
貰った側は忘れてしまうことがある。

この違いは何なのだろう…。

目に見えるプレゼントには、
お金や手間が掛かったから
送った側が記憶に残るのだろうか…?

貰った側は受け取った時に
嬉々ききとして心打つプレゼントだったら
忘れずに大切にするとしても、

どうでもいい物だとしたら
忘れ去ってすぐに処分することもあるのに。



どうして、

目に見えるプレゼントは
心打つプレゼントを大切にして
どうでもいい物はあっさり処分できるのに、

言葉による贈り物は
傷付けて苦しめ続ける贈り物を
手放せずに抱え込んで

嬉しいはずの感謝や称賛は
受け取らずに手放してしまうのだろう…。


失礼が無いように礼儀を律儀に守って、
言葉をしっかり聴こうとする人は
毒のような廃棄物みたいな罵詈雑言ばりぞうごん
受け取ってしまう時がある気がする。

失礼が無いように
礼儀や社会性を大切にするのは
素晴らしいことだけど、

だからこそ、
礼儀を忘れて
“失礼な失言”を“自由な発言”と
履き違えた傍若無人ぼうじゃくぶじん
に対しては

言葉を拾わず、反応せずに
淡々と粛々とあしらっても良い。


もう発散の吐け口や都合良い利用の道具に
成り果てなくても良い。

土足でズカズカと
脆く柔らかい心室に
入り込ませないように

自分自身の心を防犯するため
境界線バウンダリーという名のセキュリティをかける。
大切なものを壊されないために…。



センスをそっとほどいてみたら、

言葉を雑に扱わず、相手や周りに
気持ちや想いを届けたい声を
自分の言葉で伝える姿勢が
ワードセンスになっていくのかも。

そんな気がした。

つたない言葉でも、
言い回しが独特だったとしても、
その言葉は
れっきとした個性や色になる気がした。

整いすぎた堅苦しい言葉よりも
魅力的に映ることだってあるかもしれない。

自分の言葉で話そうとしていくうちに
センスは磨かれていくのかもしれない。


そうして生まれる声で育った言葉が
小説や詩、音楽になって、

育ってきた表現力やアイデアが
イラストや動画、企画力の感性や才能が
伸びていくのかなって気がした。

誰しもが何かしらのセンスを
持っているんだと思う。

自分では分からなくても、
誰かからの感謝や称賛の声に
隠れているような気がする。

僕もまだ見つけられていないけれど、
少しずつ磨いていこう。
まだ見ぬセンスを探して…。



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