村上春樹『夏帆』を読んで、物語との付き合い方を考えた
大事なことを教えてくれた気がする。
さて、何から書くべきか、非常に悩ましい。率直に言って、不可思議な読書体験だった。
恐らく今ぼくが感じている読後感を俗に村上ワールドと呼んでいるのだと思う。
村上春樹からしか得られない読書体験はそこにしかとある様に改めて思い知らされた。
発売前からかなり話題になっていたし、流石としか言いようがない。
書店でも品切れが発生している投稿などもSNSで目にした。
本好き。もとい、村上春樹さん好きとしては、このお祭り乗らねばなるまい。
境界を行き来する物語
簡単にストーリーを少し紹介。夏帆というイラストレーター兼絵本作家の女性が主人公だ。
表紙にもいるアリクイ。それも夫婦のアリクイとの出会いで急展開を見せる。
村上作品を読むと毎度のこと、現実と非現実の境界が曖昧になっていく。日常のどこかににわかに現れる穴。その穴を通して、物語の中でさらに別の物語を読む様な不思議な体験ができる。
「普通なら」という言葉はあまり好きではないが、年に200冊とか読んでいても「アリクイ」が登場する物語には出会ったことはない。だがその異物感が夏帆との会話や佇まいからSFとかファンタジーの様に大袈裟ではない距離感でしっとりと馴染む。
今作においては、主人公がクリエイティブを生業にしていることも突発的な異常事態を受け入れる土壌を作っている様な気もする。
実際に作中で夏帆は絵本を二作書いているのも偶然ではないだろう。
夢か現かという、ゼリーに覆われた異様な空間や牧歌的な庭付きの縁側と、遭遇場所そのものも、境界を行き来する。
夏帆とアリクイの会話が何度か行われるのだが、その軽妙さ、丁寧さ、そして前提、アリクイが人語を話しているというユーモラスな状況が癖になるのだ。
こんな風に語ってはいるけれど、本音を言えば、今作の芯を捉えられている感覚はまるでない。読後感も「ああ終わってしまった、何を思おうか、何を書こうか」と思案したくらいだ。
読んでいる最中は、心地よい日常と、なんとなく脳内に浮かぶ風景に憧れた。武蔵境の古い一軒家でひとり静かに暮らす様子は、生活の中にアリクイや絵本を想う余白をもたらしているようだった。
また詳細は記さないが、日常とは裏腹に、文字通り手に汗を握るスリルあるシーンもあって、本を開くたびに「この先どうなるんだろう」と予想がつかない愉しさがあった。
「夏帆みたいに物語を嗜みたい」
読み終わって、時間をおいてもこの作品のテーマを言葉にはできなかった。
けれど、作品を通して、読書との向き合い方が以前よりも少しはっきりした。
読み終わったのは昼で、夜寝る前、次読む本を本棚の前で選んでいる時にふと思った。
「夏帆みたいに物語を嗜みたい」
ぼくの中の読書は、いわゆる勉強の為とかわかりやすいものでもない。強いて言えば表現の肥やしだ。
読めども読めども、次に読みたいものは出てくるし、一方で読んだ本から分かりやすい何かを獲得しているかと問われると、曖昧模糊としている。
ただ『夏帆』を読んで、なにかシナプスがつながったような気がした。
別に読書に正解とかないと思うけど、こんな風に物語に向き合えたら気持ちがいいなと、得心した感覚があった。
ぼくも、アリクイを信じられる読者でいたい
小説はフィクションではあるけれど、ぼくは読んでいる最中はそんなことは考えない。考えたくもない。現実的な正論なんて無粋だ。
現実とも、夢想とも境界が曖昧で、知識の様にわかりやすく自分の中に溜めていけるものではない。けれど、一度読んだ本は濃淡はあるけれど、確かに自分の中に存在している。
そして、悲しみや喜びといった感動をくれる。
なんだか、夏帆とアリクイの関係性がぼくと小説のあり方と重なる部分がある様な気がしたのだ。
夏帆は絵を描き、実家を独立して働く女性だ。一方、アリクイと会話し、それを信じて受け入れる。現実と別世界を戸惑いながらも誠実に行き来する。
だから、ぼくもそうありたい。
読了して、現実的には、つまりフィジカルには世界に影響はなくて、時間をかけた割には何が変わったのか、成長したのか不安になることもある。
けれど、物語を読んで動いた感情は、何か儚い軌跡をこころに残していってくれると思う。
ぼくも夏帆の様に、アリクイもしくはオカピのような変わった動物が突然現れても、真摯に向き合えるように、これからも小説一編一編を大事に読んでいきたい。
