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心と言葉の日本語文法 入門(1)日本語とは

日本語とは

日本語と日本人

日本語がどのような言語かを外国人にうまく説明できるかと問われて「はい」と自信をもって答えられる日本人はそれほど多くないのではないだろうか。

私たちは日本語を使って生活しているが、その日本語についてしっかり学んだ経験がない。学校の国語という教科は基本的に文学を学ぶものであり、日本語という言語を学ぶものではない。中学や高校では国文法も学ぶが、それが役に立っていると思っている人はほとんどいないことだろう。文章の書き方や作法についても学ぶ機会がほとんどない。私たち日本人は日本語に関する訓練を受けることなく、ただなんとなく日本語を話し、なんとなく日本語を書いているのである。

これは深刻な問題である。コミュニケーションの重要性が強く認識され、グローバルコミュニケーションのツールとしての英語の必要性が声高に叫ばれている昨今だが、日本人の場合、そのグローバルコミュニケーションの基盤であるべき母語についての正しい理解がほとんどできていないのである。自分の言語もまともに知らないのに他人の言語のことなどわかるはずもない。

まず日本語をよく知るべきである。日本語の正しい姿を理解することだ。幸いなことに日本語の研究が進み、これまでわかっていなかった日本語の姿もわかるようになってきた。以下、そうした日本語研究の成果も取り入れながら、日本語という言語の概要について説明したい。

日本語は「人の視点」が中心の言語

日本語は「人の視点」から世界を捉える傾向がきわめて強い言語である。その地理的条件から他民族という「他者」が身近におらず、その視点を自分から視点を離して天に昇らせる必要がなかった。その結果「身内」とも呼ぶべき人間とのあいだに設定した「場」のなかでの細やかな心の交流を言語表現として発達させてきた。

日本語は「場」が中心の言語

欧米人と異なり日本人はこの世界を実体(entity)の集合体とみなしていない。世界はひとつの「場」であり、実体はそのなかの要素にすぎない。場が主役であり、実体は脇役だ。

「場」は、様々なレベルで設定されるが、いずれの場合も調和がなによりも大切である。日本語では場のなかで他との調和がとれていないことがもっとも嫌われる。これが「場違い」である。

場のなかの誰もが知っていることについては、日本語では述べる必要がない。そのため、欧米的発想でいうところの「省略」手法が多く用いられる。だが実際にはこれは「省略」ではない。「省略」とは述べるべきことを省くことだが、日本語の場合はもともと述べる必要がないのだ。逆に表現してしまえば、くどくなったり、ときには別の意味が加わったりもする。

時間に対する認識も、欧米語とは本質的に違っている。欧米語では時間を現在から過去と未来に伸びる一直線と捉える。日本語では時間を物理的なものだけではなく、人間の心のなかにあるものとも捉える。物理的に未来であっても、心理的に終わったことと捉えれば終わったこととして表現するのである。

ただし、上に述べたような伝統的な日本語の世界認識方法にくわえて、明治以降の日本語は西欧的な世界認識方法を積極的に移植してきた。そのため、私たちがいま用いている現代日本語は伝統的な日本語の認識と西欧的な認識とを併せ持つ「ハイブリッド」型になっている。日本語のように極度にハイブリッド化した言語は世界でも珍しい。


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