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「私って、もしかして毒親なんだろうか……?」──AIに聞いたら、最後は怨念扱いされた話



私って、もしかして毒親なんだろうか……?

ふと、そんな不安が頭をよぎることがある。
目の前にいるのは、中学3年生の息子だ。

世間一般の中3男子といえば、親との外出を嫌がり、一緒に出かけたとしても無地の服を着て、無頓着・無関心を装うのが圧倒的多数派だろう。
親が作ったハンドメイドのキーホルダーなんて、真っ先に鞄から外すのが「標準」のはずだ。

しかし、我が家の兄くんは違う。

キングダムに行くとなればキングダムのTシャツを着る。
コナンに行くとなればコナンのTシャツを着る。
先日は、ちいかわのTシャツを着て、キャラ帽子まで被ってコラボカフェを楽しんでいた。
そして極めつけは、私が手作りしたキーホルダーの件だ。

「これ、つけたままにする? 外す?」

と聞かれたので、私は「好きにして」と答えた。

すると彼は、そのままキーホルダーをつけ続けていた。
なぜ外さないのか理由を聞くと、彼はこう言った。

「だって『好きにして』って言われたから」

……お分かりいただけるだろうか。

言い訳をさせてもらうなら、私だって本音では「つけていてくれたら嬉しいな」と思いつつも、中3男子だし、外されたとしても「まあ、やむなし」と納得するつもりだった。
外したからといって不機嫌になるつもりなど毛頭ない。
それなのに、彼の頭の中では、

「好きにして=母は本当はつけていてほしいと思っている。だから、つけておくのが正解」

という変換が、自動的に行われていた。

言葉どおりに自分の好みを選ぶのではなく、母の免責すら見越した上で「期待」を察知し、母の機嫌を損ねない選択をしているように見えた。
もし、自分の気持ちよりも相手の期待を優先し、相手の顔色を読んで行動する子に育ってしまったのだとしたら、それは私の関わり方に原因があるのではないか。

「私は知らず知らずのうちに、自分のご機嫌を息子に押し付け、過剰に忖度させる毒親になっていたのでは……?」

その疑問があまりにも気になりすぎたため、感情論を排した冷徹な第三者の意見を聞くべく、AIに「中3男子が親の言う通りちいかわを着るのは毒親の支配か?」とぶつけてみることにした。
すると、返ってきたのは実も蓋もない構造分析だった。

そもそも中学3年生という発達段階では、強い苦痛や嫌悪感を伴うことを親から強制された場合、拒否や露骨な反発が起こるのが自然であり、物理的に中3男子を無理やり「ちいかわ」にすることはほぼ不可能なのだという。
つまり彼は、毒親の支配に怯えて母の顔色をうかがっているわけではない。

幼い頃から、イベントごとにキャラクターの格好をして一緒に楽しんできた経験──モンスターズ・インクのサリーのカッパ、ディズニーのウッディ、ハリー・ポッターのローブなど──の積み重ねによって、「その場に合わせて全力で楽しむ」という文化が我が家では当たり前になっている。
そのうえで彼は、母の意図を察し、「別に自分も困らないし、それでいいか」と合理的に判断しただけ。
つまり私が心配していたような「支配」ではなく、母の一歩先を行く処世術を発揮していただけなのだ──そうAIに冷ややかに諭される形となった。

……と、ここまでは思っていた。

しかし、この話にはオチがある。
結局のところ、そのキーホルダーはおでかけの途中で外されることになったのだ。

「つけてるのを友だちになんか言われないの?」

と私が聞くと、彼はこう返してきた。

「キーホルダーをつけてから、友だちと全然遊べてない」

話を聞くと、夕立などの悪天候に見舞われたり、相手の体調不良が重なったりして、延期に次ぐ延期が続いていたらしい。
そして彼は、真顔でこう言った。

兄:「これ絶対、母の怨念(呪い)だろ……」
母:「(そりゃまずい)外しておきな!」

こうしてキーホルダーは、恐怖を感じた息子によって無事に(?)外されることとなった。

「母への過剰な忖度」で始まったキーホルダー騒動だったが、最後は「母の怨念」として怪奇現象扱いされ、強制撤去されるという結末を迎えたのである。笑
毒親の呪縛どころか、イベントは全力で楽しみ、必要とあらば母のキーホルダーすら「呪い認定」して外す中3男子。

ちいかわのTシャツを着て笑うその姿は、母のくだらない不安など、とっくに追い越していた。
……どうやら心配すべきだったのは「毒親」ではなく、「怨念を信じられている母」のほうだったらしい。


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