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難聴エッセイ|息子とはもう同じものを見てはいない

離島への家族旅行。
飛行機が離陸したときのこと。わたしの膝に2歳の息子、隣に夫が座っていた。

息子 「てきぎ! てきぎ!」

わたし 「んー? なんのことだろうねえ」

夫 「『適宜』って言っているよ」

わたし 「そんなわけなかろう。『適宜』なんて言葉知ってるわけないよ」

夫 「アナウンスでそう言ってたのを、真似して言ったんだよ」

わたし 「!!!!!」

機内アナウンスで「適宜ご案内します」とか「適宜ご利用ください」と言っていたのだろう。わたしはアナウンスを聴いていなかった。


滞在中の朝、森と海にかこまれたホテルの近くを散歩した。ぶらぶらと歩いていると、ホテルの方向とは別のほうへ延びる、森の中の小道を発見した。夫が行ってみようと言い、ずんずん進んで行く。わたしは息子を抱っこして、あとに続く。夫が遠くから、何か叫んだ。

夫 「海に通じてたよ!」
わたし 「えーっなにー?」
息子 「つうじてたよ」
わたし (!! どこかに通じていたのか)


わたしは感音性中等度難聴で耳が聴こえにくいため、機内アナウンスが流れていること自体、夫が遠くから何か叫んでいること自体はわかっても、内容を聴き取ることができていなかった。

聴き取れないわたしと音源との間に、まさか息子がすっと入り込んでくるとは。息子は2歳になって喋り始めたばかりだったので、油断していた。



森の小道を抜けると、ぱっと視界が開けて広い砂浜に出た。海岸沿いにホテルも見えた。夫は急な腹痛に襲われてホテルに走って帰ってしまったので、わたしと息子は貝殻を拾ったりしながらのんびり歩く。
すると、あとから同じ小道を通って小学校低学年くらいの子と祖父母がやってきて、地面を指さししゃがんだりしている。息子はその様子をじっと見て、そしてわたしを見上げて、「かに!」と言った。彼らの会話が聴こえたのか。かにを見つけたのか。
息子はたたた、とその家族に近づいていき、かにを見せてもらっていた。


ああ、すごいな。息子は難聴ではないから当たり前のことなのかもしれないが、わたしよりもずっと多くのことを聴いている。この世界から情報を受け取っている。この世界と、音声を介してつながっている。
聴いて、聴いたことを言ってみて、言ったことに対する反応を受け取って、それを繰り返してもすごいスピードで脳内のシナプスが結合していって、言葉を理解していっているのだろうな。


息子が生まれてから毎日一緒にすごしているわたしは、息子と同じ経験を積み重ねてきたつもりだった。同じ場所へ行き、同じものを見て、同じことを感じていたと。だからわたしは、息子について夫と話すとき、「(息子は)〇〇(という言葉)はまだ知らないはず」とか「〇〇(という言葉)はこの間見たから知っているんじゃない?」とよく言っていた。
それはもう、違う。おこがましい。というかそんなの、もしわたしが難聴ではなかったとしても、ひとりひとり見るものも聴くことも感じることも違うはずなのだから言えたことではないのに。

悔しいけれど、難聴であるわたしはどんなに耳を澄ませたって集中したって聴こえないものは聴こえない。だから、「同じようには聴けないし、同じものを見てはいない」という当たり前のことをちゃんと自覚して、先入観や決めつけをなくして、まっすぐにふたりの話を聴けるようになりたい。


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