報われないまま3年。それでもやめられない「私の好きな奉仕活動」
ドイツに住む私は、数年前から、とある奉仕活動をしている。
野鳥のエサやりである。
最初のころは、散々だった。
ベランダにエサ台を1つ吊るし、近所のスーパーで買ったミックスエサを入れてみたが、ほぼ無風。
スーパーのエサが、気に入らないなんて…。
窓からみえるあの森の住民は、超グルメか、超偏食にちがいない。
ある日、エサ台をのぞいたら、ミックスエサのなかのひまわりの種だけが減っていた。
中身をひまわりの種に変えたら、エサ台がにぎわうようになった。
2年目は、エサ台の下をうろつく野鳥に目をつけた。
そうか、大きすぎてエサ台に乗れないのか。
ためしにお皿にオートミールを入れて置いてみたら、大ヒット。
3年目は、エサ台を1つ追加。
Amazonで買ったミックスエサを入れたら、こちらも空前のヒット。
わが家のベランダは、3種類のエサが用意され、10種類以上の野鳥がおとずれる場所になった。
しかし、よく考えると、私はじつに惨めである。
ベランダにやってくる彼らは、ひまわりの種の殻を、エサ台からおとす。
ミックスエサをつついて、ポロポロとこぼす。
プランターの土を掘りかえし、帰りぎわに用を足す。
もう、やりたい放題である。
私は毎日、落ちた殻やエサ、土を黙々とはき集める。
エサを補充し、フンがあればデッキブラシで掃除する。
うだるような暑さでも、クモの巣が凍るような寒さでも、献身的に尽くす。
それなのに、それなのに…
彼らは、手に乗ってくれたりなんかしない。
近づくと逃げられるから、限界までズームして盗撮した、イマイチな写真しか残らない。
エサがなくなると、とたんに誰も来なくなる。
一時帰国をおえて数週間ぶりに帰宅した私を迎えてくれるのは、空っぽのエサ台、散乱する土、大量の殻にフン。
あわててエサを補充しても、野鳥がふたたび姿をみせるのは2~3週間後である。
君たちの存在は、たしかに癒し。
どれだけながめても、飽きない。
ただ…塩対応すぎないかい?
でも、私はなぜか、エサやりをやめられない。
こういうものを、人は「趣味」と呼ぶのだろう。
じつは、次回の一時帰国で、購入をきめている本がある。
それは、『僕には鳥の言葉がわかる』(鈴木俊貴著)。
この本でとりあげられるのはシジュウカラだけれど、お腹が黄色いヨーロッパシジュウカラは、わが家の常連客。
ねぇ、君たちの世界にも外国語はある?
私、知りたいの。
私はいま、底なし沼に飲み込まれつつあるのかもしれない。
(998文字)

※今回の記事は、「まきと須川の文藝大賞2026」への参加記事です📚
応募期間は2026年9月15日までになっています。
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