指笛が鳴らせなかった。だから私は「ホーホー」と鳴らしていた
子どもの頃、友達の中に指笛を鳴らせる子がいた。
人差し指と親指で輪をつくる。
それを口に持っていって、舌の上に指を乗せる。
そして、息を吹く。
すると、
「ピーッ」
と、よく通る音がする。
私は、それができなかった。
何度やっても鳴らない。
友達の指の形を真似する。
舌の位置も真似する。
息を吹く。
「フーッ」
音にならない。
またやってみる。
やっぱり鳴らない。
子どもの私には、これがかなりの劣等感だった。
今考えれば、指笛が鳴らせないくらいで何だ、という話なのだが、あの頃は違った。
友達はできる。
自分はできない。
それだけで、なんとなく悔しかった。
指笛ができない。
そこで私は、別の方法を考えた。
両手を合わせる。
手のひらの中を少し膨らませる。
そして、手の根元のところに口をつけて、息を吹き込む。
すると、
「ホーホー」
と音が出る。
指笛のような鋭い音ではない。
どちらかというと、フクロウみたいな音だった。
「ピーッ」と鳴らしたいのに、
「ホーホー」。
全然違う。
でも、何も鳴らせないよりはましだった。
友達が指笛を鳴らしている横で、私は両手を合わせて、
「ホーホー」
とやっていた。
今思えば、ずいぶん妙なことをしていたと思う。
それでも、子どもというのは面白い。
できないなら、できないなりに別のことを考える。
指笛が無理なら、手で鳴らしてみる。
本物の代わりにはならない。
でも、自分なりの音は出る。
それで遊んでいた。
手の合わせ方を少し変える。
口を当てる場所を変える。
息の強さを変える。
すると、音も少し変わる。
「ホーホー」
「ホォー」
たまには、変な音になる。
それでも、何度もやっていた。
今でも、指笛を上手に鳴らしている人を見ると、
「いいなあ」
と思う。
何十年も経っているのに、子どもの頃の気持ちが少し残っている。
あの頃は、本当にできるようになりたかった。
何度練習しても鳴らない。
友達は簡単そうに鳴らす。
自分だけできない。
今なら、そんなことは気にしない。
人には得意不得意がある。
指笛が鳴らせなくても、生活には何の問題もない。
それは分かっている。
でも、子どもの頃というのは、そういう小さなことが大きかった。
思えば、子どもの頃には、そんな「できないこと」がいくつもあった。
友達にはできる。
自分にはできない。
それだけで、少し肩身が狭いような気がした。
大人になれば、そんなことは忘れてしまう。
できなかったことも、いつの間にかどうでもよくなる。
でも、なぜか指笛だけは覚えている。
たぶん、あの「ピーッ」という音が、子どもの私には特別だったのだろう。
今でも私は、指笛を鳴らすことができない。
人差し指と親指で輪をつくって、口に当てても、たぶん「フーッ」で終わる。
でも、昔のように悔しくはない。
もし今、両手を合わせてみたら、また鳴るだろうか。
手のひらを少し膨らませる。
口を手の根元に当てる。
そして、息を吹く。
「ホーホー」
もしかすると、今でも鳴るかもしれない。
フクロウみたいな音が。
そう考えると、少しおかしい。
できなかったことを、無理にできるようにしなくてもいい。
あの頃の私は、指笛の代わりを自分で見つけた。
本物とは違った。
格好もよくなかった。
でも、それで遊んでいた。
今になって思うと、それも悪くなかった。
「できないなら、別のやり方を探す」
そんなことを、子どもの私は知らないうちにやっていたのかもしれない。
指笛は、今でも鳴らせない。
でも、あの頃の「ホーホー」という音は、なぜか覚えている。
そして時々思う。
できなかったことより、できないなりに工夫したことのほうが、長く記憶に残るのかもしれない。
今夜あたり、久しぶりに両手を合わせてみようかと思う。
もし「ホーホー」と鳴ったら、昔の自分に少しだけ会えるような気がする。
