部屋の電気をつけられなかった367日間 - 暗闇の中で見つけた、かすかな光
はじめに:昼でも真っ暗な部屋で
カーテンレールが軋む音がする。
重い遮光カーテンを少しだけ開けてみる。眩しい。すぐに閉める。
時計を見る。午後3時。外は明るいはずなのに、僕の部屋は真っ暗だ。
電気のスイッチは、手を伸ばせば届く場所にある。でも、つける気になれない。
暗闇の方が、落ち着く。自分の顔が見えないから。鏡に映る情けない姿を、確認しなくて済むから。
これが、23歳の春から1年以上続いた、僕の日常だった。
暗闇に逃げ込んだ日
4月15日。
この日付は、今でも忘れられない。
最後の面接結果が届いた日。第一志望だった会社からの、不採用通知。
「今回は残念ながら...」
メールの最初の一行を読んで、スマホを投げた。画面にヒビが入った。
それまで受けた32社、全滅。
友達のグループLINEには、内定報告が次々と上がっていた。
「〇〇商社に決まった!」 「△△銀行から内定もらった!」 「みんなで内定祝いしようぜ!」
僕は、そのグループから抜けた。
そして、部屋の電気を消した。
カーテンも閉めた。遮光カーテンだから、昼でも真っ暗になる。
布団に潜り込んで、そのまま3日間、一歩も外に出なかった。
暗闇の住人としての生活
最初は、ただの現実逃避のつもりだった。
でも、気づいたら、暗闇が日常になっていた。
朝、目が覚めても、時間が分からない。スマホを見て、やっと今が朝なのか夜なのか分かる。
食事は、1日1回。深夜にコンビニに行って、適当に買い込む。レジの眩しい照明が苦痛で、サングラスをかけて行くようになった。
「お客様、大丈夫ですか?」
店員さんに心配されたこともある。大丈夫じゃないけど、「大丈夫です」と答えた。
部屋に帰ると、また暗闇。
買ってきた弁当を、スマホの明かりだけで食べる。味なんて分からない。ただ、カロリーを摂取するだけ。
風呂は3日に1回。髭は伸び放題。髪はボサボサ。でも、誰も見ないから、関係ない。
親との電話という拷問
週に1回、実家から電話が来る。
「健太?元気にしてる?」
母親の声。心配そうな、でも期待も込められた声。
「うん、元気だよ」
嘘だ。
「就活はどう?」
「うん、頑張ってる」
大嘘だ。
「そう、良かった。お父さんも応援してるから」
「うん、ありがとう」
電話を切った後、いつも自己嫌悪に襲われる。
親に嘘をついている。期待を裏切っている。でも、本当のことを言う勇気がない。
「息子は引きこもりのニートです」なんて、言えるわけがない。
暗闇の中での思考
真っ暗な部屋で、布団の中で、僕は考え続けた。
なぜ、自分はダメなのか。 なぜ、みんなのように普通に就職できないのか。 なぜ、生きているのか。
答えは出ない。ただ、同じ思考がグルグル回るだけ。
時々、危険な考えも浮かんだ。
「このまま、消えてしまえたら」 「朝、目が覚めなければいい」 「誰も悲しまない消え方はないか」
でも、実行する勇気もない。死ぬ勇気もない、生きる気力もない。ただ、暗闇の中で腐っていくだけ。
ある日、ふと思った。
「俺、もう人間じゃないな」
暗闇を好み、人を避け、昼夜逆転の生活。まるで、モグラかゴキブリみたいだ。
その考えに、笑いそうになった。笑い声は、掠れて、咳のような音になった。
200日目の小さな事件
引きこもり生活200日目。もう、日付の感覚もあやふやだった。
その日、アパートの大家さんが来た。
「健太くん、いる?」
ドアをノックする音。僕は、息を潜めた。
「電気メーター、全然動いてないけど、大丈夫?」
電気メーター?そうか、電気を使ってないから。
「返事してくれないと、合鍵で開けちゃうよ?」
慌てて、ドアの前に行った。でも、開けない。チェーンロックだけ外して、隙間から顔を出す。
「あ、生きてた」
大家さんの安堵の表情。
「いや、その、電気メーターが全然動いてないから、もしかして...と思って」
「あ、すみません。節電してるだけです」
「節電?真っ暗じゃない?」
隙間から見える部屋の中は、確かに真っ暗だった。
「大丈夫です。慣れました」
大家さんは、心配そうな顔をしたまま帰っていった。
その夜、久しぶりに電気をつけてみた。
眩しい。目が痛い。
部屋の惨状が、蛍光灯の下に晒される。
積み上がったゴミ袋。散乱した服。埃だらけの机。
そして、鏡に映った自分。
髪はボサボサ、無精髭、やつれた顔、濁った目。
「うわ...」
思わず声が出た。これが、今の自分か。
すぐに電気を消した。やっぱり、暗闇の方がいい。現実を見なくて済む。
300日目の転機:一通のメール
引きこもり生活300日目。
もう、完全に社会から切り離された存在になっていた。
その日、大学からメールが来た。
「卒業要件について」
そうか、もう留年確定か。当然だ。授業に全く出てないんだから。
でも、メールの続きを読んで、驚いた。
「健太さんの状況を心配しています。学生相談室では、様々な悩みを抱える学生のサポートを行っています。一度、お話を聞かせていただけませんか?」
ゼミの教授からの個人的なメッセージも添えられていた。
「健太くん、最近顔を見ないけど、大丈夫?心配しています。無理にとは言わないけど、話したいことがあったら、いつでも研究室に来てください」
教授が、僕のことを覚えていてくれた。心配してくれている。
その事実に、何かが揺らいだ。
でも、会いに行く勇気はない。だって、今の自分は、人に会える状態じゃない。
決意:1ルクスの光から始める
その夜、布団の中で考えた。
このままでいいのか?
答えは、分かっている。良くない。
でも、どうすればいいか分からない。いきなり普通の生活に戻るなんて、無理だ。
そこで、小さな目標を立てることにした。
「明日、カーテンを10センチだけ開ける」
たったそれだけ。でも、300日以上暗闇にいた僕にとっては、大きな挑戦だった。
翌日、昼過ぎに起きて、カーテンに手をかけた。
心臓がドクドク鳴る。たかがカーテンを開けるだけなのに。
ゆっくり、10センチだけ開ける。
細い光の筋が、部屋に差し込んだ。
眩しいけど、温かい。
埃が、光の中でキラキラと舞っている。
なんだか、綺麗だと思った。
少しずつ、光を取り戻す
それから、毎日少しずつ、カーテンを開ける幅を広げていった。
10センチ、20センチ、30センチ...
1週間後には、カーテンを半分開けられるようになった。
部屋に光が入ると、気持ちも少し変わった。
まず、部屋を片付けたくなった。
ゴミ袋をまとめて、ゴミの日に出す。久しぶりの朝日が、痛いくらい眩しかった。
次に、風呂に入る頻度を増やした。3日に1回から、2日に1回、そして毎日。
髭も剃った。髪も切りに行った。美容師さんに「随分伸びましたね」と言われて、曖昧に笑った。
そして、ついに、部屋の電気をつけることができた。
最初は5分が限界だった。でも、少しずつ時間を延ばしていった。
367日目:相談室のドアをノックする
引きこもり生活367日目。
ちょうど1年と2日。
この日、僕は大学の学生相談室に行った。
久しぶりのキャンパス。学生たちが普通に歩いている姿が、別世界の住人のように見えた。
相談室のドアの前で、10分くらい躊躇した。
今さら何を話せばいいのか。1年も引きこもっていたなんて、どう説明すればいいのか。
でも、ここまで来たんだ。
ノックする。
「どうぞ」
優しい声。入ると、40代くらいの女性カウンセラーがいた。
「初めまして。今日は、どんなことでお話に?」
「あの...1年くらい、引きこもってました」
正直に言った。カウンセラーは、驚いた様子もなく、「そうでしたか」と頷いた。
「よく来てくださいました。大変でしたね」
その一言で、涙が溢れそうになった。
責められない。否定されない。ただ、受け入れてもらえた。
暗闇から学んだこと
カウンセリングを重ねて、少しずつ社会復帰していった。
就活も再開した。1年のブランクは大きかったけど、正直に話したら、理解してくれる会社もあった。
「挫折を経験して、そこから立ち直る。その強さは貴重です」
小さなIT企業だったけど、採用してもらえた。
今振り返ると、あの367日間は無駄じゃなかったと思う。
暗闇の中で、僕は自分と向き合った。逃げることもできたけど、結局、自分からは逃げられないことを知った。
そして、どんなに小さくても、光は光だということを学んだ。
10センチのカーテンの隙間から入る光でも、真っ暗闇の中では、希望になる。
今、暗闇の中にいる君へ
もし今、部屋の電気をつけられない人がいたら、伝えたい。
無理につけなくていい。
でも、カーテンを1センチでいいから、開けてみて。
スマホの明かりでもいい。ろうそくの火でもいい。
小さな光から始めればいい。
暗闇に慣れた目には、小さな光でも眩しすぎる。でも、少しずつ慣れていける。
そして、いつか必ず、太陽の下を歩ける日が来る。
僕がそうだったように。
367日間、電気をつけられなかった僕が、今は普通に生活している。
彼女もできた。友達とも笑える。仕事もしている。
あの暗闇の日々は、確かに辛かった。でも、あの経験があったから、今の光のありがたさが分かる。
君も、必ず大丈夫。
今は信じられないかもしれない。でも、暗闇の先には、必ず光がある。
その光は、君が思っているより、ずっと近くにあるかもしれない。
ただ、今はまだ、眩しすぎるだけ。
ゆっくりでいい。君のペースで、光に慣れていけばいい。
暗闇を知っている人は、光の大切さを、誰よりも知っている。
だから君は、きっと、誰よりも優しい光になれる。
その日を、僕は信じて待っている。
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