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今日もnoteを書かなかったあなたへ

承認欲求という言葉がありますね。人間は、自分の存在を価値あるものと位置づけたい生き物です。だから褒められることを喜びます。もちろん自分で自分を褒めてもいいんですが、やっぱり他人から褒められる方が嬉しいですよね。だから、人から承認されることを必要とします。

それを承認欲求と言います。でも承認欲求って、なんだか悪い言葉のように思えてしまいますよね。他人から褒めらたい!ってちょっと嫌ですよね。でも承認欲求って、悪いことではないと思うんです。子供が大人に褒められたいのって悪いことではないですよね。そうやって社会ルールを学んでいくわけですから。それを大人になっても続けているだけです。だから私は承認欲求という言葉のネガティブなイメージを払拭するべく、存在証明欲求と言い換えています。

人間は、自分の存在を価値あるものと位置づけたい。自分の人生には意味があると感じたい。ただ生きて死んでいくだけの存在だとは思いたくない。だから自分の存在意義を証明しようとするのです。これが存在証明欲求です。これは悪いことではありません。

ソクラテスもニーチェもハイデガーもジョン・レノンも北野武も、みんな存在証明のために哲学したり、言論したり、創作したりしているわけです。それの何が悪いことなのでしょうか。

ソクラテスやニーチェは、純粋に人間を探求したいという思いから哲学をしたでしょうか。そこには、世間から認められたいという欲求がなかったと言い切れるでしょうか。ジョンレノンや北野武は、純粋な芸術的探究心から創作活動をしたのでしょうか。ヴィクトルユーゴーは? 太宰治は? あらゆる創作活動の根底には存在証明や承認があると私は思います。

存在証明は人間の心理的なクセだと私は考えていますが、その存在証明とどのように向き合うかは、また別の話です。

なんでこんなことを言うのかというと、note界隈には、その存在証明を見失っている人が多いような気がするからです。noteを見ていると、こんな記事をよく目にするのです。

毎日続けることを目標として、noteを開設した。初めは書きたいことがどんどん溢れてきて、毎日書くことが楽しかったのに、いつの間にか何を書きたかったのか浮かんでこなくなった。それでもとりあえず何かを書こうとして、悩みながら自分でもわけの分からない何かを書いている。

毎日何かを書いて投稿することを、意義のあるものだと考えている人が多いように思います。

続けることに意味がある。1日1歩、3日で3歩。継続は力なり。そのような格言がこの世に溢れています。毎日何かを書くことには、何かしらの意義があるのかもしれません。

しかし、果たしてそれは絶対的真理でしょうか。

人間は何かを続けなければならないのでしょうか。続けることをやめたら、意義がなくなるのでしょうか。人間は続けることでしか成長できず、何かをやめることは劣っている証なのでしょうか。

書きたいことが溢れ出てこないのは劣っている証拠でしょうか。感性が年老いた証でしょうか。人間は、日々の暮らしの中でふと見つけた些細な事柄を言語化したりシェアしたりして共有するべきなのでしょうか。それができない自分を恥ずべきでしょうか。

それとも、そんなのはきっとどうでもいいことなのでしょうか。

noteを書いて投稿すると、「〇〇日連続投稿しました」とか「〇〇週連続投稿しました」なんてことを言われますね。

noteは営利団体で、コンテンツを増やすことが彼らの資産になります。もちろんその内容は書いた人に帰属するわけですが、そのコンテンツを集約しているプラットフォームとしての資産価値が上がるわけです。だからnoteは我々に書くことを勧めます。

それが「継続は力なり」的な価値観と結びつき、note界隈の人々は毎日何かを書くことを「正しいこと」だと位置づけるのです。

自分の中から溢れ出たものを言語化する事。そしてそれにイイねがついて嬉しくなる事。これは純粋な存在証明です。何も悪い事ではありません。しかし、それがいつのまにか、存在証明欲求ではなく「続けなければいけない」「今やめてはいけない」という強迫観念のような価値観によって継続されてしまう。

この行為に、果たしてどれだけの意義があるのでしょうか。

もちろん、何かを絞り出して書くことに意味がない、と言っているわけではありません。そこには大切な意味があるかもしれませんし、辛くても続けていたら、何かが見えてくるかもしれません。

しかし、あるいは、もしかしたら、そんな作業はさっさとやめて、他の楽しいことを始めたほうが、よっぽど有意義なのかもしれませんよね。ツラいものを継続するのと、新しい好きなものを探すこと、どちらが有意義でしょうか。

私は、何かを書こうとして、タイトルと序文だけはとりあえず書いたものの、気持ちが乗らなかったので削除したnoteが数え切れないくらいあります。

これはもしかしたら、私が劣っている証拠かもしれない。

でも、もしかしたら、その気持ちが乗らなかったことを受け止めて、書くのをやめた私は、何かしら成長したのかもしれないですよね。

その判断は私にはできませんが、できれば後者であってほしいと思います。

だから、このnoteを書きました。

noteを書こうとして、結局書けずに削除したあなた。

それでいいのではないでしょうか。

人間は、続けることでしか成長できないものではありません。やめたらやめたで、そこから見えてくるものが必ずあります。

毎日何かを書かなければいけない。そんな呪縛から解き放たれたことを、むしろ喜ぶべきなのかもしれません。

noteを書くことに苦しんでいる人に、そんな視点を持って頂けたらと思って、この記事を書きました。

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