hideの曲をどれをカバーするかで、そのミュージシャン、バンドの音楽観や立ち位置がわかる

結論

hideカバーの選曲は、大まかにこう読める。

つまり「有名曲を選んだか、渋い曲を選んだか」だけではない。選曲によって、

  • hideをスターとして継ぐのか

  • hideを異端として回収するのか

  • hideの曲を自分のジャンルに引きずり込むのか

  • 自分を消して原曲を保存するのか

が見える。

Dragon Ash「ROCKET DIVE」

これはものすごくDragon Ashらしい。

「ROCKET DIVE」は、hideの中でも最も外向きで、若者に対して「自分で飛び出せ」と呼びかける曲だ。暗さや失敗を抱えながらも、最終的には速度と推進力に変換する。Kjの「陽性の反抗」「若者に向けたアンセム」という立ち位置と重なる。

Dragon Ash自身も、hideが好きだったこと、特にIKÜZÖNEこと馬場育三がhideの大ファンだったことから即決し、メンバーで相談したうえで「ここはやっぱりこの曲」と選んだと説明している。Dragon Ash公式コメント/Universal Music

ここで重要なのは、Dragon Ashが「DOUBT」や「DICE」ではなく「ROCKET DIVE」を選んだこと。

Dragon Ashにもミクスチャー、ヒップホップ、オルタナ、デジタルという実験性はある。しかし彼らは、自分たちをアンダーグラウンドの破壊者としてだけでなく、巨大な観客を動かすロックバンドとして捉えている。だからhideの「奇人」「ノイズ職人」ではなく、「若者を連れて飛ぶポップスター」の部分を継承する。

アレンジもバンド+デジタルの融合に寄せており、原曲の明るい推進力をDragon Ash式の重量と現代性に更新していると評される。Dragon Ash版レビュー

要するに、

hideは異端だったから偉いのではなく、異端の音を大衆まで運んだから偉い。

というDragon Ashのhide観に見える。

RIZE「ピンク スパイダー」

これはDragon Ashとは対照的。

「ROCKET DIVE」が飛び出す瞬間なら、「ピンク スパイダー」は飛ぼうとして失敗する曲。理想、嫉妬、自己欺瞞、挫折を、重いリフと寓話によって描いている。祝祭的なhideより、オルタナ/ラウドロック側のhideが前面に出る。

RIZE版は2006年にシングルとして発表され、I.N.Aがプロデュースに関与。単なる追悼企画の一曲ではなく、自分たちの代表的なレパートリーにまで取り込んだ。RIZE版「ピンク スパイダー」作品情報

JESSEは2008年のhide memorial summitで、洋楽中心に聴いていた自分たちがhideを通じて「日本にもかっこいいバンドがいる」と実感したこと、RIZEを誇示するためではなく、若い人に「hideさんがかっこいいんだ」と伝えたかったことを語っている。JESSEのステージ上での発言

これは重要で、RIZEの「ピンク スパイダー」は、hideをヴィジュアル系の先輩として祀る行為ではない。

海外志向のミクスチャー/ラウドロックから振り返っても、hideは普通に世界水準でかっこいい。

という再認定になっている。

しかもRIZEは、hideのポップな側より「重いリフ」「歪み」「苛立ち」「失敗する主人公」を選んだ。彼らはhideを日本のデヴィッド・ボウイ的な総合芸術家というより、ニューメタルやオルタナにも接続できる“日本のラウドロックの祖先”として読んでいる。

Dragon Ashが「hideのロケットに乗る」カバーなら、RIZEは「hideのリフを自分たちの筋肉で鳴らす」カバー。

清春+SHOJI「Beauty & Stupid」

これも選曲が露骨なくらい清春的。

「Beauty & Stupid」はhideの中でも、性、グラム、猥雑さ、悪趣味、ユーモアを全面に出したロックンロール。深遠な思想や追悼に向かう曲ではなく、美しさと下品さを分けない曲だ。

清春が「MISERY」や「GOOD BYE」ではなくこれを歌うのは、

hideの本質は善良なメッセージではなく、美と醜、品格と下品、男性性と女性性を同時に演じられることだ。

という読みになる。

しかも録音時期は黒夢活動停止後、SADS始動前。清春が黒夢後の自分を、よりグラマラスで退廃的なロックンロールへ置き直そうとしていた時期だ。したがってこれは追悼であると同時に、清春自身の立場表明になっている。

hideを「自由の象徴」と抽象化するのではなく、肉体、化粧、性、悪趣味を含めてロックだと認める。その意味で清春は、hideの精神性より“美学的な不純さ”を継いだ人だと思う。

布袋寅泰「ROCKET DIVE」

同じ「ROCKET DIVE」でもDragon Ashとは意味が変わる。

布袋はhideより上の世代であり、「後輩がhideを継ぐ」のではなく、先行する日本のギターヒーローが、hideの到達点を承認する構図になる。しかも布袋自身も、ニューウェーブ、打ち込み、派手なギター、スター性を大衆音楽に持ち込んだ人。

だから布袋版は、

hideはヴィジュアル系という局地的存在ではなく、日本のポップ・ロック史に連なる正統なギターヒーローだった。

という歴史的位置づけに近い。

同じ選曲でも、Dragon Ash版が世代継承なら、布袋版は先行世代からの叙勲に見える。

SIAM SHADE「ピンク スパイダー」

SIAM SHADEが選ぶと、「ピンク スパイダー」の意味は演奏面に寄る。

彼らは技巧派だが、技巧をポップな歌に封じ込めるバンドだった。したがって、単純なパンクソングではなく、重いリフ、変則的な展開、キャッチーなサビを併せ持つ「ピンク スパイダー」は非常に相性がいい。

RIZEがこの曲からラウドネスと反抗を取り出したのに対し、SIAM SHADEは、

複雑な設計を大衆曲に見せるhide

を評価しているように聞こえる。

これはDAITAを中心とした演奏者的なhide理解。hideをカリスマやアイコンとしてではなく、「変なことをしているのにヒット曲として成立させる作曲・編曲者」と見ている。

Cornelius「ピンク スパイダー」

1999年盤には「ピンク スパイダー」が二つあり、SIAM SHADE版とCornelius版が並んでいる。ここがhideという作家の幅を最もよく示している。

Corneliusはhideをロックバンドの先輩として再現するのではなく、音を分解して再構築できる素材として扱う。つまり、

hideの本質はギターの音圧ではなく、編集、人工性、サンプリング的発想、ポップアートとしての音響設計にある。

という読み。

RIZEが「肉体化」、SIAM SHADEが「演奏化」するのに対し、Corneliusは「脱身体化」する。同じ曲を選んでいても、hideの何を評価しているかはまるで違う。

GLAY「MISERY」

GLAYが「MISERY」なのも、かなり象徴的。

「MISERY」はタイトルや題材には陰りがあるが、それを明るく大きなメロディへ変換する曲。苦悩をそのまま暗い音にせず、聴き手を肯定するポップソングにする。

これはGLAYの音楽観とほぼ一致する。

GLAYも、疎外、孤独、別れ、生活の痛みを扱いながら、最後は巨大な会場で共有できるメロディにする。したがってGLAYはhideの実験性や性的挑発ではなく、

傷ついた人間の側に立ちながら、それを大衆的な希望へ変換するソングライター

としてのhideを選んでいる。

hideを「尖った天才」ではなく「優しいポップ作家」と見る選曲。GLAYの社会的位置――異端の出自を持ちながら国民的バンドになったこと――とも重なる。

LUNA SEA「SCANNER」

LUNA SEAが「SCANNER」を選ぶのも実にLUNA SEA的。

この曲はhideとRYUICHIの関係がすでに組み込まれた楽曲であり、耽美性、疾走感、身体感覚、ヴィジュアル系内部の濃密な系譜を持つ。LUNA SEAはhideを外部から再解釈するより、同時代を形成した当事者として鳴らしている。

したがってこれは「hideを自分たちのジャンルに移植する」カバーではなく、

hideとLUNA SEAは、もともと同じ時代精神の異なる表現だった。

という共同体内部からの応答に近い。

Cocco「GOOD BYE」

2018年盤で最も選曲の意味が重いのがこれだと思う。

Coccoは横須賀を訪れ、小さなスタジオでhideの雑誌を読みながら録音したことをコメントしている。Cocco公式コメント

「GOOD BYE」を選ぶことで、hideの派手さ、未来性、祝祭ではなく、不在そのものに向き合っている。Coccoは曲を使って自己主張するより、hideが残した空白に入っていく。

これは、

トリビュートとは自分のスタイルを誇示することではなく、死者の不在を引き受けることだ。

という音楽観。

Dragon AshやRIZEがhideを未来へ運ぶのに対し、Coccoは一度立ち止まり、死者のいた場所を確認する。ミュージシャンというより、詩人・表現者としてhideに接している。

MIYAVI「ピンク スパイダー」

MIYAVIも「ピンク スパイダー」だが、RIZEとは違う。

MIYAVIにとってhideは、単にラウドな先輩ではなく、

  • ギタリストがフロントマンになる

  • 日本的な外見を隠さず海外へ行く

  • 演奏、衣装、映像、キャラクターを一つの作品にする

  • ギターの奏法自体を視覚的パフォーマンスにする

という先行モデル。

したがってMIYAVI版は、曲の寓話性以上に「hideという総合的な視覚表現者」の継承に見える。RIZEはhideをバンドキッズに戻し、MIYAVIはhideを未来型ギターヒーローとして更新する。

筋肉少女帯「DICE」

これは「hideのヒットメーカー性」より、奇怪な物語、ヘヴィなリフ、芝居がかった構成を評価する選曲。

筋肉少女帯はhideをヴィジュアル系のスターではなく、

ハードロック、パンク、ニューウェーブ、サブカル的悪趣味を、日本語の物語としてまとめられる人

として捉えているように見える。

「ROCKET DIVE」では筋少の屈折が薄まるし、「MISERY」では善良すぎる。「DICE」を選ぶことで、hideの中の奇人、怪人、物語作者を自分たち側へ引き寄せている。

THE NOVEMBERS「DOUBT」

これもかなり立場が出る。

「DOUBT」はキャッチーなhideより、インダストリアル、ノイズ、反復、敵意のhide。THE NOVEMBERSのような耽美的オルタナ/ノイズロック系がこれを選ぶと、

hideは過去のヴィジュアル系スターではなく、日本で早期にインダストリアルとポップを接続した先鋭的音楽家だった。

という再評価になる。

若い世代が「ROCKET DIVE」で知名度を借りるのではなく、アルバム的・実験的な曲を選ぶ場合、「自分たちはhideの表層的な後継ではなく、音響思想を理解している」という自己規定も少し含まれる。

ACID ANDROID「ELECTRIC CUCUMBER」

zilchの曲を選ぶ時点で、hideの日本語ヒット曲ではなく、海外志向とインダストリアル・ロックを本体と見る立場。

これはかなり明確で、

hideの未完の未来はSpread Beaverよりzilch側にあった。

という音楽史観になる。

ACID ANDROIDのyukihiroも、ロックバンドの人間でありながら電子音、機械的反復、インダストリアルを重視する。hideの「キャラクター」より、制作技術と音響の更新性に反応している。

FLOW「D.O.D.」とGRANRODEO「TELL ME」

この二組を並べると、同じアニメ/大型フェス圏のロックでも違いが分かる。

FLOWの「D.O.D.」は、hideの馬鹿騒ぎ、パンキッシュな速度、観客参加型の楽しさを取る。hideを思想家として難しくせず、「ライブを爆発させる遊びの天才」と見る。

一方、GRANRODEOは「TELL ME」をほぼ原曲どおり演奏し、ギターソロも再現したと説明している。e-ZUKAは、自分の感性と似た部分が多いため、あえて大きく変えなかったという。GRANRODEOコメント

つまり、

  • FLOW:hideの曲を自分たちのライブ装置にする

  • GRANRODEO:hideの作曲完成度を保存する

という差がある。

後者は保守的とも言えるが、「自分の色を加えないこと」をリスペクトとする職人的態度でもある。

選曲で分かる「hide観」の階層

一番大きいのは、hideのどの層にアクセスしているかだと思う。

第一層:みんなのhide

「ROCKET DIVE」「TELL ME」「ever free」。

自由、前進、普遍的メロディ。ここを選ぶ人は、hideを大衆的なロックスターとして継承する。Dragon Ash、氣志團、西川貴教、GRANRODEOなど。

第二層:挫折するhide

「ピンク スパイダー」「MISERY」「GOOD BYE」「FLAME」。

明るさの裏の挫折、孤独、不在。RIZE、GLAY、Cocco、Jなど。ここではカバー側自身の傷や人生観が出やすい。

第三層:猥雑なhide

「Beauty & Stupid」「D.O.D.」「EYES LOVE YOU」。

性、悪趣味、冗談、グラム、享楽。清春、FLOW、今井寿など。hideを聖人化せず、ロックンロールの俗悪さを守ろうとする側。

第四層:音響家hide

「DOUBT」「DICE」「BACTERIA」「POSE」、zilch楽曲。

インダストリアル、ノイズ、編集、実験性。THE NOVEMBERS、HISASHI×YOW-ROW、ACID ANDROIDなど。hideを90年代の人気者ではなく、制作面で未来を先取りした音楽家として位置づける。

だから、あなたの感覚はかなり当たっている

特に最初の三例は、ほとんど三者の自己紹介になっている。

  • Dragon Ash「ROCKET DIVE」
    → 異端を大衆へ運ぶ、前向きな世代継承

  • RIZE「ピンク スパイダー」
    → 海外志向のラウドロックからhideを再発見し、肉体的なバンドサウンドへ戻す

  • 清春+SHOJI「Beauty & Stupid」
    → 美と醜、性と退廃を切り離さないロックンロール美学

同じhideを尊敬していても、Dragon Ashは「飛び出すhide」、RIZEは「落下するhide」、清春は「欲望するhide」を選んでいる。

そしてこれは、hide本人が一つの音楽的立場に固定できないから成立する。普通のアーティストのトリビュートなら選曲は「代表曲か隠れた名曲か」の違いで終わる。hideの場合は、選曲によってカバー側がロックを「希望」「反抗」「欲望」「慰め」「音響実験」のどれとして考えているかまで露出する。

ただし厳密には、トリビュート盤では制作側から候補を提示されたり、曲の重複を避けて調整された可能性もある。したがって「選曲だけで人格を断定」はできない。最もよく立ち位置が出るのは、RIZEのように自発的に長く演奏し、シングル化し、本人が理由まで語っているケース。次に、選曲とアレンジが同じ方向を指しているケースだと思う。

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