そんな俺は、ギャルゲーで女子高生に恋をしそうになった。
世間が言う“本当の恋愛”なんて、もう全部カネになるって話は知ってる。
構造は暴かれて、幻想は消費され尽くして、今じゃ恋愛ですらコンテンツ化されてる。
そんな分析ばっかしてる俺が──ふと、一本のギャルゲーに手を出してしまった。
いや、正確には“入り込んでしまった”と言った方がいい。
彼女は女子高生だった。ゲームの中の話だ。
制服を着て、ちょっと怒りっぽくて、勉強も運動も中途半端。
でも、自分の中のなにかを変えたくて、毎日必死に“何か”と戦ってる。
その姿がどうしようもなく、愛おしかった。
“好き”というより、泣きそうになった。
そして、照れた。
ゲームのキャラに感情動かされて照れる大人がこの世に存在するとは思わなかった。
でも、いたんだよ、ここに。
現実との使い分けができるようになった大人の敗北
昔は、“現実と虚構を区別できること”が大人だと思ってた。
今は違う。
現実でやったら終わることでも、
ゲームの中なら成立する感情ってある。
“好き”って言葉を現実で使うのはもう照れくさい。
でも、画面の中でそれを言いかけて、やめて、また言いかけて、
そのたびに彼女がちょっとだけ笑う、そのやりとりに泣きそうになるのは──
もう、どうしようもなかった。
たぶん俺は、自分に惚れてた
きっと女子高生に惚れたんじゃない。
思春期の壁に毎日挑み続ける彼女に心を動かされた“俺”に惚れてたんだ。
それってただのナルシズムかもしれないし、
傍から見たらすごく情けないことかもしれない。
でもあの一瞬、
「俺、まだこういうことで泣けるんだな」って思えた。
それがなによりの救いだった。
家族という現実の温度
そんな俺を、
「また泣いたん?」「誰に惚れてんの?」って
茶化して笑ってくれる妻がいる。
横では娘が、俺の手元のコントローラーを奪おうとしてくる。
そうやって、バレバレの情けなさも、ちょっとだけ隠しながら、
ゲームを終える夜が、
たぶん俺にとっての“ちゃんとした恋”なんやろなと思ってる。
恋愛を論破した後の俺が、
恋愛の真似事に泣いてることを、
誰かに笑われてもいい。
それでも、今日も俺は恋をしてしまいそうになる。
ゲームの中で。
