なぜ、あなたの写真から「決め手」となる一枚が残らないのか
フォルダを開いて、写真を眺める。
そこには、ちゃんと撮れている写真がたくさんある。
ピントも合っている。
露出も破綻していない。
構図も、極端におかしくはない。
それなのに、
「これだ」と言い切れる一枚が見つからない。
削除するほど悪くはない。
でも、代表作にするほどの確信もない。
そんな「悪くない写真」だけが、
いつの間にか溜まっていく。
これは、感性が鈍ったからでも、
センスがなくなったからでもないのかもしれません。
写真と向き合ってきた人ほど、
こうした違和感を抱くことが多いようにも思えます。
判断が速かった頃のこと
写真を始めたばかりの頃、
判断がとても速かったと感じる人もいるでしょう。
それは、
ピントや露出がどうこうという話だけではないように思います。
多くの場合、
その頃の自分には、ひとつの強い動機がありました。
この光を撮りたい。
この場所の感じが好きだ。
この瞬間を残したい。
それだけで、
写真を撮る理由としては十分だった。
写真が「うまいかどうか」を考える前に、
「これを撮りたいかどうか」が、
判断の軸になっていた人も多いはずです。
「撮りたい」が増えると、決めにくくなる

経験を重ねると、
自分の中に、いくつもの「撮りたい」が生まれてくることがあります。
きれいに撮りたい。
評価されたい。
自分らしく撮りたい。
物語を作りたい。
コンテストを意識したい。
間違っているわけではなく、どれも自然な動機と思います。
むしろ、写真を続けてきたからこそ増えていく欲求です。
ただ、それらを同時に満たそうとすると、
写真は「どれを一番にするか」が決めにくくなる。
すべてに少しずつ応えているけれど、
どれにも決定的ではない。
そうした写真が増えていくと、
「決め手に欠ける」と感じることが多くなるのかもしれません。
それは、感性の問題とは少し違う
この状態になると、
自分の目が厳しくなりすぎたのではないか、
何が良いのか分からなくなった、
などと感じる人もいるでしょう。
けれど、起きていることは、
感性の劣化というより、
見るための軸が増えた結果と捉えることもできそうです。
かつては「撮りたい」という一本の矢で写真を見ていたのが、
いまは複数の矢を同時に引いている。
どれも大切にするからこそ、
ひとつに絞るのが難しい。
その結果として、どんなに整っている写真でも、
「これだ」と言い切る決め手が見えにくくなることがあります。
「決め手」とは、完成度だけの話ではない

多くの人が探している「決め手」は、
完成度の高さだと考えられがちです。
でも実際には、
「その写真が何を担っているか」という点が、
大きな要素になっているように感じます。
物語を語る一枚
シリーズの核になる一枚
見る人の記憶に残る一枚
役割が見えた瞬間、
その写真は「悪くない」から
「決め手のある一枚」に近づいていきます。
逆に言えば、
役割が定まっていない写真は、
どれだけ整っていても、
「悪くない」ままで止まりやすいのかもしれません。
だから、フォルダには決めきれない写真が溜まる
経験を積むほど、
写真は破綻しにくくなっていきます。
一方で、
「この一枚は何を担うのか」という問いは、
だんだん難しくなっていく。
その問いに答えが出ないまま、
写真を「良い/悪い」だけで見ようとすると、
多くの写真は“悪くない”ままで止まってしまう。
それが、
決め手となる一枚が残りにくくなる理由のひとつなのかもしれません。
おそらくそういう状態の時は、
あなたの写真が弱くなったわけではないと思います。
ただ、
見るための「問い」が増えただけ
とも考えられます。
「なぜ決め手がないのか」と悩む代わりに、
「この写真は何を担うのか」と問い直してみる。
その問い方ひとつで、
フォルダの中の景色は、
少しずつ変わっていくでしょう。

そして、撮影に向きあっている時も、
「今から撮ろうとしている写真は何を担おうとしているのか」
と問い直してみる。
その問い方ひとつで、
自分の目で見る景色も、
少しずつ変わっていくでしょう。
