交渉手帖 #03 パワハラ再び ─ 補償を得て独立に至るまで
交渉手帖#02では、AIを用いて裁判をどのように進めてきたかを書き、続くAI手帖#01では AI画像生成について触れるなど、ここしばらくは、私自身がハマっている「AI」を軸とした記事が続いてきました。
一方で、義兄との間で続いている民事訴訟は、その後も進行していました。
準備書面の応酬を経て、裁判はいよいよ「本人尋問」という一度きりの局面へと移行し、現在は判決を待つ状態です。
尋問は、書面とは比べものにならないほど慎重な準備を要する工程です。
そのため、この期間は思考と整理のほぼすべてを裁判対応に割かざるを得ず、noteの記事を書く余裕がまったくありませんでした。
結果として、今回の更新は約2か月半ぶりとなります。(言い訳 乙)
本記事では、#01 の続編として、
「パワハラから逃れるために転職した先で、再び同様の状況に直面したとき、私はそれをどのように処理したのか」
その過程について書いていきたいと思います。
感情論ではなく、事実と「戦いの構造」を中心に、当時の判断と行動を振り返ります。
第1章 穏やかなスタート ― 理想的な在宅勤務
前職を退職してから2か月後、私は外資系の通信機器メーカーに転職しました。
通信分野では世界的に知られ、技術者コミュニティでも名の通った企業です。
日本法人は、10人弱の技術系社員と、事務系社員数名の小規模な組織で、そこに本社から定期的に出張してくるエンジニアたちが加わり、“技術者集団”といった雰囲気の会社でした。
私の役割はマーケティング担当です。
国内向けのプロモーションや業界分析、需要予測の作成、本社との連携による技術イベントのサポートなど、関わる業務は多岐にわたっていました。
数字の扱いや資料作成には慣れていたため、環境に馴染むまでに時間はかかりませんでした。
この会社では、コロナ禍以前から在宅勤務が標準でした。
週に2〜3回、オンラインでミーティングがあり、それ以外の細かな報連相はSlackやSkypeで済ませるのが常でした。
無駄な会議はなく、誰も「顔を合わせるためだけの会議」を開かない。
仕事の裁量も大きく、成果さえ出していれば細かいことを言われることもありませんでした。
入社してから1年近くは、間違いなく快適でした。
働く環境としては理想的で、業務も淡々と進み、強いストレスを感じることはほとんどありませんでした。
しかし、振り返ってみれば、この快適さこそが、後に訪れる“二度目の嵐”の前触れだったのだと、今では分かります。
第2章 最初のほころび ― 虚偽の報告
入社してから10か月ほど経ったころ、最初の違和感が生まれました。
ある顧客向けの提案書を作成していた際、GM(上司)が提示した成果データに、不自然な点があったのです。
明らかに数値が高く、検査結果とも整合していませんでした。
「この数値、実際よりも高すぎませんか?」
そう尋ねると、GMは面倒くさそうに、「そのままでいいから出して」と答えました。
しかし後日、顧客から問い合わせが入り、数値が誇張されていたことが露見します。
するとGMは、即座に責任を私に転嫁しました。
「彼が間違えて記載した」
その言葉を聞いた瞬間、前職での嫌な記憶がよみがえりました。
“責任のすり替え”という手法は、パワハラ体質の企業に共通する特徴です。
私はこの時点で警戒心を強めました。
それ以降、違和感を覚えたメールやチャット、会議内容については、意識的に記録を残すようになります。
面倒な作業ではありましたが、何かが起きたときの“保険”として、今動いておくべきだと判断したのです。
第3章 「教育」という名の圧力
入社11か月目に入ったころ、GMから突然「技術教育をする」と言われました。
それは“教育”という言葉から想像されるものとは異なり、実態としては“試験”に近いものでした。
本来、私はマーケティング職として採用されています。
しかしGMは、専門的な計算式や技術的前提を扱う内容を求めてきました。
しかも Skype を使った1対1のマンツーマン形式で、毎回17時から始まり、気づけば3時間以上に及ぶことも珍しくありませんでした。
GMは理屈に厳しく、定義のわずかな揺れや言葉の選び方を執拗に突いてきます。
「この数式の意味は?」
「なぜその解釈を選んだのか。根拠は?」
「その説明では足りない。理解が浅い」
少し言葉に詰まっただけで、「君は技術を理解していない」と断定される。それが繰り返されました。
在宅勤務という環境も、この状況をより閉鎖的なものにしていました。
このやり取りを見ている第三者はおらず、誰にも共有されない。
画面の向こうで何が起きているのかは、私とGMしか知り得ない状態でした。
そして、この“教育”と称される時間が増えるにつれて、GMの言動は次第にパワハラ・モラハラの色合いを強めていきました。
詰問の口調は厳しさを増し、指摘は人格に踏み込むものへと変わっていきます。
この段階で、私は一つの判断をしました。
感情的に反応するのではなく、事実として残すことを優先しよう、と。
それ以降、Skypeでの画面共有はスクリーンショットとして保存し、発言の要点は日時とともにメモに残すようになりました。
その時点では、
「いつ、何のために使うのか」
そこまで明確に見えていたわけではありません。
ただ、これは単なる行き違いや指導の範囲ではなく、後になって意味を持つ可能性がある。
そう感じていたのは確かでした。
第4章 突然の退職勧告 ― 理解できない理由
入社からちょうど1年が経過したころ、GMは突如として退職を勧告してきました。
理由は、「技術力が不足している」というものでした。
マーケティング職として採用されている私に対して、なぜ技術力不足を理由に退職を勧めるのか。
当時の私には、まったく理解できませんでした。
疑問を抱いた私は、CEOに相談しました。
CEOは70歳を超える著名なエンジニアで、普段は物腰の柔らかい人物でした。
彼は「そんな計画はない。気にしなくていい」と言い、表面上は私を慰留する姿勢を見せました。
しかし、その後もGMからの怒号や攻撃は収まりませんでした。
Skypeでは理不尽な指摘を受け、オンライン会議では「あなたのせいで顧客が混乱している」と公然と非難される場面もありました。
その場にCEOが同席していても、状況が是正されることはありませんでした。
CEOは終始静観するだけで、実質的な介入や対応は行われなかったのです。
この一連のやり取りを通じて、私は確信しました。
これは個人間の衝突ではなく、会社全体が是正しようとしないパワハラ構造なのだ、と。
第5章 静かに形成される排除の構図
入社から1年2か月が過ぎたころ、本社エンジニアとのミーティングで、私は思いもよらない話を耳にしました。
日本法人の人員構成について、本社側で何らかの議論が行われているらしい、というものです。
この時点では、その内容が具体的にどこまで進んでいるのか、誰が対象なのかまでは分かりませんでした。
ただ、それまで説明のつかなかったGMの言動――突然の態度変化、過度な責任追及、執拗な「能力不足」という評価――が、単なる感情や偶発的な衝突ではないのではないか、という疑念が初めてはっきりと浮かびました。
ただ、当時の私は、確証を持っていたわけではありません。
しかし、「個人の問題として片付けるには不自然な動きが多すぎる」と感じ始めていたのは確かでした。
⸻⸻⸻
ここから先は、後になって得た情報です。
本社は当初、日本側のエンジニアを削減する方向で検討していました。
ところが、その方針を事前に把握していたCEOは、自身の体制を守るため、GMと利害を一致させ、別の「切る対象」を必要としていた――その結果、選ばれたのが私だった、という構図です。
CEOは本社に対し、「日本市場で成果が出ていないのは、社内に技術知識が不足している人材がいるからだ」という説明をしていたそうです。
さらに悪質だったのは、GMが顧客企業に在籍する自身の元同僚にまで虚偽の情報を流し、私の評価を意図的に下げるための働きかけを行っていた点です。
これは当時は知り得なかったものの、後に断片的な証言や状況証拠から明らかになっていきました。
⸻⸻⸻
話を戻します。
ちょうどこの頃から、GMの行動には明確な変化が現れました。
それまでメールやSkypeで行われていた指示が、次第に電話中心へと切り替わっていったのです。
理由は明白でした。
文字として記録が残らないようにするためです。
通話中は録音できないアプリが多いことも、彼は熟知していたのでしょう。特に自分にとって都合の悪い内容ほど電話で伝え、「証拠が存在しない状態」を意図的に作ろうとしているのが、あまりにも露骨でした。
しかし、私はすでに前職で似たような経験をしていました。
そのため、今回も黙って受け身になるつもりはありませんでした。
可能な限り電話の内容は別デバイスで録音し、録音できない場合でも詳細なメモを残す。
Skypeでの画面共有は、スクリーンショットや画面録画として保存する。
見えない攻撃には、見える記録で対抗する。
静かに、しかし確実に形成されていく排除の構図の中で、私は次第に理解していきました。
これは偶発的な衝突ではなく、時間をかけて設計された流れなのだ、と。
そして同時に、心の中でこう整理していました。
「感情で反応してはいけない。ここからは、事実を積み上げる“準備のフェーズ”だ」
そう自分に言い聞かせながら、私は静かに次の段階へ進む準備を整え始めていました。
第6章 悪循環の深まりと“やさしさ”の罠
この頃から、顧客とのやり取りにも、少しずつ支障が出始めました。
GMが曖昧な指示を出し、その内容を前提に資料を作成すると、後になって「これは誤りだ」と責められる。
一方で、顧客――GMの元同僚である担当者からも、妙にタイミングよくクレームが入るようになりました。
その内容はいずれも、GMが後から問題視した箇所と完全に一致していました。
偶然にしては出来すぎている。
そう感じざるを得ない状況が、何度も繰り返されていました。
クレーム対応のたびに、私は「報告が不十分だったのではないか」と注意を受けましたが、その“報告を不十分にさせる前提”となる曖昧な指示を出していたのは、他ならぬGM自身でした。
説明しようとしても聞き入れられず、事前確認を求めれば疎まれる。
修正すれば別の点を責められる。
一つひとつは小さな出来事でも、それらが連なっていくことで、「誤りを起こす役割を私に固定する構造」が、静かに出来上がっていくのを感じていました。
CEOに相談しても、返ってきたのは「少し様子を見よう」という言葉だけでした。
その言葉が、状況を変えるための具体的な行動につながることはありませんでした。
少なくとも私には、そう受け取れました。
この頃から私は、「この会社に長く留まる前提で考えること自体が、現実的ではないのではないか」と、冷静に捉えるようになります。
ちょうどその時期、以前の取引先からスポット案件の相談が入り、“マーケティング屋として独立する”という選択肢が、頭の中で具体的な形を持ち始めました。
感情的に逃げ出したいと思ったわけではありません。
ただ、ここで何が起きているのかを構造として見たとき、自分の立場が改善される方向に進む要素が見当たらなかったというだけでした。
一方で、状況は好転するどころか、さらに厳しくなっていきます。
・教育”と称した長時間の圧迫
・曖昧な指示と後出しの否定
・責任の転嫁と集中
・矛盾を含んだ叱責
それらが積み重なり、次第に身体にも影響が出始めました。
夜は眠れず、胸が締め付けられるような動悸が続く。
朝は布団から起き上がるだけで強い疲労感があり、ため息が無意識に漏れる。
鬱病というほどではありませんでしたが、この状態を放置すれば、確実に悪化するという感覚は、はっきりと自覚していました。
そんな中で行われたCEOとの面談で、次の提案が出されました。
「無理をせず、しばらく休んではどうか。休職中も出社扱いにするから」
表面上は配慮の言葉でした。
しかし、それが状況を改善するための具体策でないことは、すぐに分かりました。
そして、その違和感は、ほどなくして現実のものになります。
休職に入ってから十日ほど経ったある日、本社のエンジニアから電話がありました。
「CEOが、『彼が長く休むようなら、退職も検討せざるを得ない』と言っていたが、体調はどうなんだ?」
その言葉を聞いた瞬間、少なくとも、この休職が“私を守るための時間”ではないということだけは、明確になりました。
この時点では、全体像が見えていたわけではありません。
ただ、それまで点として存在していた違和感が、一本の線としてつながり始めた感覚はありました。
それから数日後、私が復帰の意思を伝えると、「医師の診断書を提出してからにしてほしい」という返答がありました。
復帰を前提としない条件が、形式的に提示されたのだと受け取りました。
医師に相談したところ、「鬱病ではないが、この状態で復帰すれば、症状は確実に悪化する」という判断でした。
会社は戻る前提を示さず、医師は戻ることの危険性を示す。
私は、どちらにも進めない位置に置かれました。
このとき、私の中で判断は静かに固まりました。
ここから先、どう終えるかを、自分で設計するフェーズに入った。
「どうせ辞めるなら、得るものを得て辞める。そして、その資金を独立の第一歩に変える」
この判断が、後に交渉という局面へ進むための、明確な起点となっていきます。
第7章 退職勧告と、静かな反撃
それから約2週間後、CEOから一通のメールが届きました。
内容は、淡々とした文面による退職勧告でした。
まるで、「私が復職する前に、計画どおり退職まで持っていく」と、すでに決めているかのような、迷いのない文章でした。
読み返してみても、私への配慮や状況確認といった要素は一切ありません。
ただ事務的に、「辞めてほしい」と記されているだけでした。
そこには、CEOがすでに結論ありきで動いていることが、はっきりと表れていました。
しかし、私はまったく動じませんでした。
驚きや怒りよりも、むしろ冷めた感情の方が強かったように思います。
「このCEOは、エンジニアとしては優秀なのだろう。だが、マネジメント能力もリスク管理も欠けている。組織運営の視点も、法的リスクに対する感覚も乏しい」
そんなふうに、どこか距離を置いた目で状況を観察していました。
私は、返信メールに簡潔にこう記しました。
「これは違法です」
そして、淡々と根拠を示し、労働契約法第16条に抵触する可能性が高いことを指摘しました。
送信から1時間も経たないうちに、CEOから着信がありました。
電話口の声には明らかな怒りが含まれており、第一声はこうでした。
「君は会社を脅しているのか!」
私は、声のトーンを変えることなく答えました。
「脅しているのではありません。法的な事実をお伝えしているだけです」
その瞬間、電話の向こうに一瞬の沈黙が生まれました。
私は続けて、これまで整理してきた証拠の存在を伝えました。
録音、スクリーンショット、チャット履歴、曖昧な指示の時系列――
それらはすべて分類され、整理された状態にありました。
もちろん、CEOが私に休職を提案した際の音声も含めてです。
通話を続けながら、証拠の一部をまとめた資料を添付し、CEOへメールを送りました。
そこには、次のように記しました。
「本件については、第三者である弁護士または司法書士に相談のうえ、双方にとって現実的な解決の可能性を検討されることを希望します。
それでもなお一方的な退職要請が続く場合には、こちらとしても法的な対応を取らざるを得ません」
このメールを送信して以降、CEOの態度は明らかに変わりました。
それまでの強気や怒りは影を潜め、代わりに焦りがにじみ出ていました。GMからの連絡も、完全に途絶えました。
これまで私を追い詰めてきた側の声色が変わった、その瞬間。
私は胸の奥で、はっきりと感じました。
「流れが変わった」と。
第8章 膠着と賭け ― 交渉の扉を開くために
そこから約1か月、私は休職状態を続けながら、CEOと復職後の扱いについて断続的にやり取りを重ねていました。
しかし、その内容は、交渉と呼べるものではありませんでした。
話題は常に宙づりにされ、核心には、決して踏み込まれない。
一方で、CEOとGMの言動からは、私が元の形で職場に戻ることを想定していないという前提だけが、はっきりと滲み出ていました。
説明は曖昧なまま、判断は先送りされる。
結果として、私とCEO・GMとの間で、出口のない綱引きだけが続いている状態でした。
この時点で私の中では、すでに「この会社に戻る」という選択肢は消えていました。
残っていたのは、どのような形で終わらせるかという一点だけです。
また当時は、明確な言語化には至っていなかったものの、会社の意思決定そのものが、どこか噛み合っていないという違和感も強まっていました。
誰が何を決めているのか分からない。
説明される理由と、実際の振る舞いが一致しない。
そのズレは、偶然や行き違いでは説明できないものでした。
私は内心、こう考えていました。
「CEO側から条件が提示されれば、そこから交渉に移れる」
「しかし、このままでは、相手から歩み寄ることはない」
こちらから補償の話を切り出せば、「脅迫だ」「金目当てだ」と受け取られる余地が生まれる。
それは、これまで積み上げてきた立場を、自ら崩す行為でもありました。
交渉の主導権は、表向きは相手に委ねつつ、実質はこちらが握る。
その形でなければならない。
そこで私は、一つの賭けに出ることにしました。
休職している事実は本社も把握していましたが、実際の状況は「長期の病欠」程度の認識に留まっていました。
その中で、本社エンジニアのうち一名だけが、水面下の状況をある程度理解しており、なおかつ私に対して友好的でした。
内容が内容だけに、彼を巻き込むことへの迷いはありましたが、この局面において、彼は極めて重要な存在でもありました。
私は彼に、率直にこう伝えました。
「正当な補償が得られるのであれば、私はこの会社を辞める選択も考えている」
彼からは引き止めの言葉もありましたが、CEOやGMが残る組織に、これ以上身を置くつもりはないこと、それが感情ではなく、冷静な判断であることを説明しました。
しばらく考えた末、彼はその意図を理解し、私の考えをCEOに伝える“橋渡し役”を引き受けてくれました。
あわせて私は、「今後のやり取りには、あなた自身は関与しない形にしてほしい」という点も、CEOに伝えてもらうよう依頼しました。
CEOの立場からすれば、「補償が条件なら退職してもよい」という話を、そのまま本社に説明するのは容易ではありません。
一方で、その橋渡しを引き受けたエンジニアに対しては、少なからず配慮せざるを得ない状況になる。
この構図であれば、彼に過度な負担をかけることなく、かつ、こちらの意思を相手に届けることができる。
こうして私は、直接交渉ではなく、間接的に圧力と選択肢を提示するルートを選び、次の局面へ進むための布石を打ったのでした。
第9章 決着
その数日後、CEOから着信がありました。
「失礼なのは承知していますが、どのような条件を希望していますか?」
その言葉を聞いた瞬間、私は理解しました。
交渉の主導権が、完全にこちらへ移ったのだと。
私は感情を交えず、条件だけを淡々と伝えました。
「一定額(数百万円規模)を解決金として支払うこと。ただし、課税対象外の扱いでお願いします。」
CEOは少し間を置いて、こう返してきました。
「病欠となっている人材に高額な補償を支払い、退職してもらう形は、本社に対して説明が非常に難しい」
この言葉を聞いたとき、正直なところ呆れました。
しかし、ここで私が“説明用のシナリオ”まで提示すれば、後から「誘導した」「脅迫された」と解釈される余地を与えかねません。
そこで私は、線を引くように、こう伝えました。
「本社への説明に関しては、私から提案する性質の話ではありません。説明がつかないのであれば、法的な対応を取るしかありません。」
するとCEOは、明らかに態度を変え、
「本社に説明しやすい形があるなら、一緒に考えてほしい」と返してきました。
この時点で私は、もはや揚げ足を取られる段階ではないという確信を持ちました。
そこで私は、あくまで「説明の材料」として、次のような整理を提示しました。
・病欠となっている私が復帰した場合、再発のリスクがあること
・若手エンジニアの中に、マーケティング志向を持つ人材がいること
(実際に、特定の利害に属さない若手が存在していました)
・中堅層を整理し、若手で補充したほうが、経済的なリストラ効果が高いこと
・私の技術知識では、顧客対応に難があるという主張も、形式上は成立し得ること
これらは結果的に、CEOやGMがこれまで内心で描いてきた構図と、ほぼ一致していたのでしょう。
CEOは、あからさまに「妙案だ」と言わんばかりの反応を示し、「タイミングを見て本社に説明する」と告げました。
その様子を見て、私は内心で、この人物は、ここまで一貫して“自分の都合”だけで動いているのだなと、冷めた理解に至りました。
その後、CEOは次のような提案をしてきました。
・私はさらに1か月間、休職を継続する
・その間に「病状が深刻である」という印象を、本社側に段階的に形成する
・私が示した提案を、CEO自身の判断で説明用のストーリーに組み立て直す
・休職期間中の給与は、満額支払う
こうして、長く続いていた膠着状態は、ようやく「決着」という形を取り始めたのです。
第10章 「勝利」とは何だったのか
結果として得た解決金は、約500万円となりました。
確かに金額としては小さくありません。
しかし、今振り返ってみて強く残っているのは、金銭そのものではありません。
私が本当に取り戻したのは、尊厳でした。
暴言に反応せず、感情で返さず、起きた事実をすべて記録し、構造として整理する。
相手を論破しようとするのではなく、自らの矛盾が露呈する位置に、相手を立たせ続ける。
その積み重ねが、結果として交渉の帰結を決定づけました。
この一連の経験を通じて、私は「交渉」というものを、以前とはまったく異なるものとして理解するようになりました。
交渉とは、相手を打ち負かす行為ではありません。
相手が無理な説明や虚偽を重ね、自分自身で整合性を保てなくなるまでの時間を、静かに設計する行為です。
感情をぶつけた時点で、主導権は失われます。
声を荒げた側ではなく、最後まで構造を握り続けた側が、結果を持ち帰る。
先手を打つとは、強く出ることではありません。
相手の感情を刺激することでもありません。
・どこで矛盾が生まれるか
・どの時点で説明が破綻するか
・記録と発言が噛み合わなくなる瞬間はどこか
それらを淡々と把握し、あえて「何もしない時間」を意図的に作ること。
それこそが、最も強い先手でした。
交渉の終盤、私はある種の割り切りにも至っていました。
どうせ、この会社を去る人間です。
対外的な評価に影響しないのであれば、社内で私がどう語られようと、もはや構わない。
CEOが、本社に対してどのような説明をし、どのような言葉で物語を整えようと、それは彼自身の責任であり、彼自身が引き受けるべきものです。
私にとって重要だったのは、その説明が私の尊厳や立場を外部に傷つけないこと、そして、正当な補償という形で、次の人生への資源を確保すること。
それだけでした。
人は感情で動いたとき、論理と整合性を失ったときに破綻します。
これを意識して動けていたことが、少なくとも私を迷わせなかったと思います。
そして、この経験は後に、AIと向き合う際の思考姿勢にも、そのまま接続されていきました。
データを整理し、前提を疑い、構造を読み、感情を排除する。
それは技術の話ではなく、人と、そして組織と向き合うための基本姿勢だったのだと、今ははっきりと言えます。
この章で書いた「勝利」とは、誰かを負かしたという意味ではありません。
自分の判断を、最後まで自分で信じ切れる状態に戻れたこと。
それこそが、私にとっての本当の勝利でした。
■ おわりに
今回書いた出来事は、特別な成功談でも、誰にでも再現できる方法論でもありません。
全く同じシチュエーションがあるはずはないのですから。
ただ一つ確かなのは、私は「耐え続ける」ことを選ばなかった、ということです。
記録を残し、構造を読み、相手が自分で矛盾を積み重ねていくのを待つ。
そして、終わらせるタイミングを自分で決めました。
最終的に補償という形で区切りをつけ、その資金を次の一歩に変えたことで、私は「被害者」の立場からも、「戦い続ける人間」の立場からも離れることができました。
(その後、まさかの民事訴訟がやって来るのですが、、、)
正直に言えば、どうせ辞めていく会社で、社内で何を言われようと構わない。
対外的な評価さえ守られるなら、相手がどんな説明をし、どんな物語を作ろうと、それは彼の責任です。
私にとって重要だったのは、自分の判断を自分で引き受けられる形で終わること。
そして、次に進むための現実的な足場を築くことでした。
もし今、誰かとの関係が重い負荷になっているなら、無理に耐え続ける必要はありません。
真正面からぶつかることだけが、選択肢ではないからです。
距離を取る。
使えるものは使う。
終わらせ方を、自分で選ぶ。
そして、決めたら実行する。
自分の人生を、自分の手に戻す。
良い方向へ持っていくために、淡々と動く。
それだけで十分です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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